- Diary 2013/04

2013/04/28/Sun.

米国に来て四週間が過ぎた。という書き出しは今回で最後とする。以後は米国在住であることを一々断らずに書く。

週末に待望の家具が届いた。また、Dr. NM に自動車を出してもらい家電製品を購入することもできた。些細なことでは、ずっと気になっていた自転車のブレーキを調整した。今週前半まで降雪があったが、週末は半袖で出勤できるほどに気温も上がってきた。生活全般が一転して comfortable になり、とても気分が良い。

自宅で落ち着いて過ごせるようになったので、日記の内容も実のあるものにしていきたい。生活の話題は興味深くネタも尽きないのだが、それらは留学した誰もが経験していることであり、今さら時間を使って書き残す価値があるかは疑わしい。書くのであれば、米国の様式を抽象するなどの操作を加えたものが良いだろう。四週間を費やして、そのような作業を可能にする物質的な環境と精神的な余裕がようやく整ってきたともいえる。

私が propose した研究テーマに関して、京都の先生方からプラスミドなどのサポートを頂くことができた。大変ありがたく、本当に心強く思う。

2013/04/21/Sun.

米国に来て三週間が過ぎた。

他人の手をわずらわせずに動けるようになり、実験の速度も上がってきた。今週は私が propose したテーマについて基礎的なデータを出すことができ、プロジェクトの価値を示唆できたのも良かった。

自宅で落ち着くことができればより能率も上がるのだが、いまだに台所では立って飲み食いをし、部屋では床の上に座るか寝転がるかという生活が続いている。今週末にようやくベッドが届いたが、肝心のマットレスが発送されておらず、ベッドフレームやシーツを恨めしく眺めながら床で眠っている。早く家具が欲しい。今の私の願いはそれだけであり、逆にいえば、他に不満がない程度には現在の生活に順応している。

英語も相変わらず下手糞なままだが、下手糞であることを何とも思わないくらいには慣れてきた。契約や規則でわからないことは質問せねばならず、腹が減れば何かしら喰わねばならぬ。私の broken English は、日々の事態に否が応にも対処を迫られる。のび太のように、「もう少しうまくなってから練習したほうが……」などと悠長なことは言っていられない。最近では、「俺の英語ハよく会話がまだ難しいので、お前ハわかりやすく話してくれマスね。ありがとう」と冒頭で宣言して後は平然としている。これからも関西精神を発揮して図太く生きていきたい。

2013/04/16/Tue.

米国に来て二週間が過ぎた。

渡米二日目より実験を始め、三つのプロジェクトを進めている。一つはラボの重要なテーマで、これは既にかなりのデータが存在する。一つは野心的なもの、もう一つは私が propose したもので、これらは海のものとも山のものともわからない。いずれも幹細胞、初代培養、動物を使うので、私のスケジュールは彼らに支配されている。

生活の立ち上げや様々な手続きは実験の合間にこなした。最初の数日は灯のない部屋で CASIOPEA を聴きながら黙々とソリティアに興じていたが、先週末にルームライトと自転車を購入し、今日はインターネットが開通して、段々と人間らしくなってきた。注文している家具が届けば一段落するので、今少しの辛抱である。

時差ボケ jet lag には最も苦しめられた。三時に目が醒め、昼間は眠くて仕方がないという状態が十日ほど続いた。高緯度かつ夏時間の Minnesota では六時から二十時まで陽が高く、日本とは異なる時間感覚にも体内時計を惑乱される。一回の食事量が違うから、腹時計も参考にならない。ようやくリズムが掴めてきたのはこの二、三日のことである。

私が一番恐れているのは、この地の寒冷な気候である。四月も半ばになりながら、なお数センチの降雪があるのには閉口した。もちろん真冬ともなればこんなものではない。こんなものでなかったらどんなものか。温暖な地域で生まれ育った私には想像できない。とにかく想像を絶するのであろうという想像がさらなる恐怖を呼ぶ。十月には初雪が降ると聞く。それまでに冬支度をせねばならないらしい。しかし私にとって冬支度とは、走馬灯や槍玉と同じく文字でのみ知る存在であり、その実態は全くつまびらかではない。

——以上は僅々二週間の経験である。二週間は、一年=五十週間の四パーセント、留学期間三年=百五十週間の一パーセント強でもある。

ところで、先日の日記で「郷には入れば郷に従え」と書いた。せっかく米国に来たのだから、できるだけ米国式で生活しようと思っている……のだが、我家に土足で踏み込むことだけは実行できていない。どうにも敷居が高い。米国の部屋には敷居がないのに不思議なことである。

2013/04/07/Sun.

米国に来て一週間が過ぎた。

日本と違って米国では——とつい書きたくなるが、この言説には大した価値がないので慎もうと思っている。米国が日本に与える影響は巨大だが、日本が米国に及ぼす変化は些少だからである。米国がどのようであるかは、日本がどのようであるかに依存しない場合が多い。今の私にはそのように観察される。

米国で生活をするというと、多くの人が「さぞ不自由でしょう」と同情してくれる。しかしこれは発想が全くの逆である。日本の様式でしか暮らすことができない(と思い込んでいる)ほうが、よほど不自由なのではないか。米国に来たのだから、米国のものを買い、米国のものを食べ、米国のものをまとえば良いと私は思う。米国の様式に何ら問題がないことは米国人が身をもって証明している。

ここで考えるべきは、「郷には入れば郷に従え」という言葉の意味である。この諺の適用範囲は、どうも日本国内に限られるらしい。海外に出れば今度は一転、できるだけ日本式を貫こうとするのが日本人である。どこに行っても米を炊き、味噌汁をすすり、醤油をかけようとする。郷に従うのではなかったのか。それとも、これが噂に高い島国根性なのか。

そういえば、外国でも故国の様式をかたくなに守ろうとするのは、途上国の人間である印象が強い。より一般的にいえば、出身の如何に関わらず、原始的、本能的、後進的、宗教的、身体的な様式ほど強固に保存される傾向にある。生物的な保守性の顕れかもしれない。一方、先進的な様式ほど容易に破棄され、置換され得る。例えば米国の大学では誰も彼もが iPhone や iPad を持ち歩いているが、十年前に存在していなかったこれらの様式が、十年後に消滅していても私は不思議に思わない。

米国というこれまでとは異なる環境において、私は私の様式があらわになるのを目の当たりにすることになる。そのとき、私は新たな様式を身に付けるかもしれないし、以前の様式に拘るかもしれない。いずれにせよ私の輪郭は描き改められるだろう。

ここで心強く思うのは、私が既に科学の様式を体得しているということである。家賃の支払いに戸惑う私でも、渡米二日目には ES 細胞の培養を始め、研究室の同僚と研究内容を議論することができる。これが可能であったのは、私と同僚が共通の智識を持っていたからではなく、お互いが科学という様式にのっとっていたからである。普遍的な様式は、このような在り方を可能にする。

2013/04/01/Mon.

〇七五五、伊丹発。〇九〇五、成田。味噌ラーメン、按摩六十分。一五四五、成田発。

以下、米国時間。

米国でのボスのことを BOSS と書く。一二四〇、Minneapolis、BOSS 夫妻。大学、サンドイッチ。ISSS チェックイン。銀行口座開設。研究室、Dr. TN、Dr. NM。BOSS と研究相談。アパートメント入室。中華料理。スーパーマーケット。帰宅後、日本への連絡、荷物の整理。深夜就寝。

読書日記



渡米前に読破した本は以下の通りだが、蔵書が手元にないので抜けているかもしれぬ。