- 死に様データベース

2012/06/01/Fri.死に様データベース

切腹列伝は懸案の課題の一つである。そのために切腹データベースを作りたいのだが、これとてさらに大きな構想の一部に過ぎない。

歴史は人々の物語でもある。より正確にいえば——、死んだ人々の物語である。したがって人々の死因は、歴史を構成する重要な factor といえる。自死は個人の生き様と直結しているし、刑死や戦死は社会との関係なくして生じ得ない。病死や、あるいは自然死であっても、当時の医学や公衆衛生を少なからず反映しているはずである。そこで、死に様データベースという発想が出てくるのだが、真面目に考えると色々な問題が出てくる。

切腹を考えよう。これは自死である……のだろうか。例えば「詰め腹を切らされる」「腹を召されよ」といった状況が、本人の意思とは別個の理由で起こる場合がある。これは自死とは言えまい。責任を取っての切腹は刑死に近いし、腹を切って場を収めるなど、政治的生贄としか形容できない事例も多い。

切腹は手段であり、目的は別に項を立てる必要がある。諌死、殉死、憤死、悶死など、多様を極めるはずである。三島由紀夫の切腹、あの行為の目的は何か。手段は形式的に判断できるが、目的となると証明不可能であり、機械的な分類もできない。原因についても同じことがいえる。

織田信長は本能寺の変で死んだ。恐らくは自ら命を絶ったのであろうが、詳細は不明である。少なくとも戦死ではあるまい。かといって自死ともいいかねる。それは措くとして、そも本能寺の変とは何か。明智光秀による暗殺か。それにしては規模が大き過ぎる。それでは合戦か。しかし信長は軍勢を率いていない。光秀によるクーデターというのが実態に近いと思うが、ならば「クーデターで殺された人物の一覧」に「織田信長」を含めるのか。これには違和感を覚える人も多いだろう。

死に様データベースの構築はなかなか難しいようである。それでもやはり「病苦で自殺した人物の一覧」などがあれば、不謹慎ではあるが面白いだろうとは思う。

容易に実践できることとして、日記に登場した人物の死に様を簡単に書き添えていこうとも考えている。「カントールは無限について考えた揚げ句、頭がおかしくなって死んだ」などはその一例である。これは誇張であり、やり過ぎると筒井康隆『レオナルド・ダ・ヴィンチの半狂乱の生涯』のようなパロディにもなりかねないが、色々な効果が期待できる。