- ガリア方式

2011/06/15/Wed.ガリア方式

前置きもなく冒頭から本題に斬り込んでいく文章構成のことを、私は勝手に「ガリア方式」ないし「カエサル方式」と名付けている。ユリウス・カエサル『ガリア戦記』がまさにそのように書き出されているからである。

ガリアは全部で三つにわかれ、その一にはベルガエ人、二にはアクィーターニー人、三にはその仲間の言葉でケルタエ人、ローマでガリー人と呼んでいるものが住む。どれも互に言葉と制度と法律が違う。ガリー人はガルンナ河でアクィーターニー人から、マトロナ河とセークァナ河でベルガエ人からわかれる。なかで最も強いのはベルガエ人であるが、その人々はプローウィンキアの文化教養から遠くはなれているし、商人もめったにゆききしないから心を軟弱にするものが入らないのと、レーヌス河のむこうのゲルマーニー人に近いのでそれと絶えず戦っているためである。同じ理由でヘルウェティー族も他のガリー人にくらべれば武勇がすぐれ、毎日のようにゲルマーニー人と争い、自分の領地で敵を防いだり、敵の領地に入って戦ったりしている。

(ユリウス・カエサル『ガリア戦記』)

ガリア方式を実践するのは非常に難しい。文章には目的があり意図があり理由がある、書く者には動機があり欲望があり思惑がある。これら一切を出さずに文章を綴るのは大変な精神力を要する。これは一種のサービス精神ではないかとも思うのだが、しかしその神髄にはいまだ触れたことがない。

関西人にとってサービス精神とは、自己を隠蔽することではなく、むしろ徹底して晒し、貶め、他者を立てるために発揮されるものである(気取り屋が関西で嫌われる所以である)。何事につけ過剰をサービスと心得る関西人には、ガリア方式は極めて習得が困難な手法かもしれぬ。