- ハードなソフト

2011/06/12/Sun.ハードなソフト

職場の方の結婚式に参列してきた。

帰宅の途上で Mac mini とキーボードを購入した。夜までに、壊れかけの iBook からデータを移し、諸々の update を行ってセットアップを済ませることができた。主な変更点は以下の通り。

iBook/OS X 10.4 でも特に不満がなかったので、変更は必要最小限に留めた。私がシステムに求めるのは安定性と継続性であり、数年前からは、Mac を使うことにも特に積極的な意味を見出していない。私が本当に欲しいのは、昨日まで使っていたのと同一のシステムである。しかしそれは無理な話だから、似たようなもので我慢するしかない。それだけのことである。

一方、ハードウェアを刷新することで処理速度が向上したり、画面が広くなったりするのは単純に快適で、喜ばしいことである。今や、コンピュータを買い替える理由のほとんどがこの点にあるといって良い。ハードはどんどん進化しているし、またするべきである。

ソフトウェアの悩ましいところは、バージョンアップが必ず進歩を伴っているとは限らないことである。新しい機能、新しい外観——、それらの内の一体どれだけが真に必要とされているのだろうか。

昔々……、コンピュータは非常に高価であった。一台の高額なマシンを様々の用途に供するため、ユーザはそれぞれの目的に応じてソフトを組んだ。現在の状況は全くの逆である。ユーザの大多数は自らプログラムを書くこともなく、他者が提供するソフトをただ使うだけの存在になり下がった。反対に、ハードは高性能かつ安価になり、ユーザは目的に応じたマシンを柔軟に構成できるようになった。

これでは、どちらがハードでどちらがソフトなのかわからぬ。例えば PC ゲーマーは、ソフトを動かすためにハードを組み替えるのが常である。

ところで私は、二〇〇二年に発売された Adobe GoLive 6.0 というアプリケーションでこの日記を書き続けている。十年前の恐ろしく古臭いソフトであるが、私に必要な機能を過不足なく提供してくれている。今回、彼が動かなくなることを恐れながら OS を更新したわけだが、幸いにも杞憂に終わった。向こう三年間——現職の任期中——は、まず安泰であろう。