- 美機能

2011/06/06/Mon.美機能

"Less is more" いう標語が希求しているのは結局のところ "more" なのであって、no more な人間にとってはつまるところ less でも何でもない。

機能美という観点からいえば、全ての装飾的な design は不要で不純で余計であり、この考えを突き詰めていくと "less is more" という言葉すら五月蝿く感じられる。大体、説明している時点で既に矛盾している。

自然物と機能美には密接な関係がある。私は心臓の造形を大変美しいと思うが、百合だの薔薇だのには大した感興を覚えぬ。これらの花は何百年にも渡る人為的な交配の末に生まれたもので、とても「自然」のものとは言えぬ——少なくとも自然淘汰を経ていない。

人工物の機能美は物理法則に従うことで発揮される。例えば流線型がそうである。最大効率を求めることで、自ずから美が顕現する。

……ということを考えていくと、どうも美というものは単体で存在するわけではないらしいことが見えてくる。すなわち、美は論理や構造や機能を持つ——あるいはそれらの裏面である。そういう仮説である。次に行うべきは、定性的でも良いから、その検証可能性を考えることであろう。例えば、美的評価と機能評価を紐付けるなど。

機能美が存在するなら、美機能があってもおかしくない。美しい機能とは何であろうか。それを考えるのもまた楽しい。