- 視覚的気付き

2011/05/14/Sat.視覚的気付き

前の日記で、「私に見えているコト(≠モノ)を他者にも見えるようにすることが絵画的表現である」という考えを紹介した。

絵画的表現の最も大きな特徴は、表現、伝達、受容の様式が一意に定まらないということである。したがって、科学では絵画的表現が厳しく排除される。写真でも同様である。写真だけでは説明として不充分であり、必ず何らかの定量化を要求される。数字になれば任意の解釈が許されなくなり、以後の論理展開が可能になるからである。このあたりの事情は「論理性と定量性」で少し述べた。

では、研究者は定量化しないと何も考えられないのか。もちろん否である。顕微鏡で細胞を観察したとき、ネズミを開腹したとき、泳動した物質のバンドを確認したとき、彼らは一瞬にして前後の事情を把握できる——場合もある。これは視覚的気付きである。しかし個人の気付きだけでは科学にならないので、他者に伝達するために、定量化・理論化・言語化という作業が行われる。ここで使われるのは聴覚系の能力である。

重要なのは、視覚的気付きの全てが言語化され得ないであろう、という点である(もしそれが可能なら、論文に写真を添える必要はないはずである)。このことには常に注意しておくべきであろう。