- 東北地方太平洋沖地震に思う

2011/03/12/Sat.東北地方太平洋沖地震に思う

東北地方太平洋沖地震で被災された方々にはお見舞い申し上げる。

などと書いたところで毛ほどの役にも立たぬ。今回の災害に限った話ではないが、僕たちのほとんど全員は傍観者に過ぎず、どのようにあがいても、それ以上の者になれるわけではない。僕はその事実を阪神大震災のときにイヤというほど味わった。あのとき、僕の住んでいた街は実質的な損害を被らなかったが、なまじ神戸に近いだけに、情報だけは洪水のように流れ込んできた。毎朝毎朝、神戸新聞でゲップが出るほど被災地の記事を読んだ。でも、そんなものをいくら摂取したところで何も変わらない。苛立ちばかりがつのる。

だから東北地方太平洋沖地震のニュースも見たくない。「不快な情報から目を背けているだけではないのか」と問われるかもしれないが、真正面から向き合ったところで、何もできないという現実は毫も変わらない。当事者気分だけを味わって自分の気持ちを誤魔化す暇があるなら、義援金でも投じた方が良いだろう。

実際、我々が行える範囲で最も効果的な行動は義援金の拠出ではないのか。真心を金銭で示す良い機会である。阪神大震災のとき、ボーイスカウトで募金活動を行ったことを思い出す。あのときの集まり具合は、定期的に行っていた赤い羽根共同募金の比ではなかった。日本人は優しい。例えば今この瞬間、暴動が起こるのではと不安を抱いている人はほとんどいないだろう。これはとても素晴らしことである。

この年度末、全国の研究室では、予算の帳尻を合わすためにつまらぬ物品を購入する作業が行われている。研究費から義援金を出したり、あるいは毛布などを買って寄付したりするとどうなるのだろう。やはり罰せられるのだろうか。男気とユーモアと反骨精神のある研究者は実行してみればどうだろう。各所に対する強烈な問題提起と皮肉になると思うのだが。

しばらく先のことになるが、新任地での初任給は、募金に使おうと決めた。忘れぬよう書いておく。