- 神速

2010/11/15/Mon.神速

論文の投稿や研究費の申請で、色々な先生から署名捺印を頂戴する機会がある。高名な方にお願いのメールを送るときには随分と緊張したりもするのだが、さぞ多忙であろうと想像される人物であればあるほど、迅速に response を寄越して下さるという傾向がある。こちらは驚くと同時に安堵し——、畏敬の念を新たにする。

これらが何を意味するのかはさておき、彼らの対応の速さは見習うに値する。が、なかなか実践できるものではない。あるメールに素早く返信することは簡単である。だが、「全ての」メールに「いつも」機敏に応答するのは困難である。ややもすれば拙速になりかねない。

このあたりに微妙な絢があるように思う。しかしそれを論理的に展開してしまうと、いかがわしいライフハックに成り下がりそうな予感もある。ならば止めておこう。求められているのは理論ではなく神速である。

兵は神速を尊ぶ

(『三国志』「魏志郭嘉伝」)

ところで、上記の文句は、一読わかりやすいようでいて、実のところその真意が——少なくとも自分には——よくわからない。「将は神速を尊ぶ」ならば理解できる。本歌の『孫子』には「兵は拙速を尊ぶ」とある。これもよくわかる。「兵尊拙速、将尊神速」と並べれば、いかにも古典らしくなるのだが、しかし「兵は神速を尊ぶ」のである。

神速を尊ぶような優れた兵を育成せよ、ということであろうか。これは例えば、戦国時代の織田家が擁した職業兵士を想起させる。尾張の兵は弱いとされていたが、職業兵士ならば、半農半兵にはできない運用(農繁期の出兵)が可能となる。田畑の心配がない専業兵士は、戦場で手柄を立てたいという欲求が強くなる、すなわち自ずと神速を尊ぶようになる……かもしれぬ。

ここまで妄想すると、前段の問題と少しは関連してくるようにも思える。