- 秋の日のヴィオロン

2010/10/29/Fri.秋の日のヴィオロン

学振 PD の結果は不採用であった。クラス A で T スコアも悪くなかったが、採用されなければいずれ同じである。死んだ子の歳を数えても始まらぬ。

今年は PD に「内定」が出なかったらしい。

平成23年度採用分特別研究員の第一次選考(書類選考)結果について(2010年10月29日)

PDについては、現時点においては平成23年度予算の状況が未定であるため、書類選考による「不採用者」以外は、12月下旬の政府予算案が確定後に採否の結果 (「内定」、「補欠」又は「不採用」のいずれか)やその後の手続き方法等について通知する予定です。

予算によってはそれなりの数の申請者が、年末にもなってから「不採用」を喰らうことになる。それから別の仕事を探すのは大変だろう。酷な話である。最近の我が国の科学技術政策には本当に溜め息しか出てこない。

研究を続けることは幸せだが、この国で研究者として生きることが幸せであるかどうか、疑問符を投ぜざるを得ない状況が続いている。じゃあ海外に行け、近頃の若者は留学すらしたがらない——、そう主張する人もいる。しかしこの国の若者が、博士課程を修了する学費に加え、海外に定住する資金を確保するのは、現在の経済状況や科学予算からすれば相当の困難を伴う。

そもそも——論理だけの話をすれば——、「(実家に)金がない奴は学問をするな」「もっと外国に行け」というのは、科学技術立国を標榜していること(「日本で研究して下さい」)と根本的に矛盾している。これは欺瞞であり、研究の厳しさとは全く別のものである。

我々は、我々の仕事を託すべき存在を見出せずにいる。普通の人間は「人類のため世界のため」では働けない。所属機関のためというモチベーションは、今日では否定されるべきものに成り下がった。せめて、国のためと思わせてはくれないか。

幸福を求むるなら日本を出て行くか、研究を辞めるかしか選択がないというのでは、とても先進国とは言えまい。後進国はむしろ科学者を優遇するので、そのような途上国ともまた違う。学問のレベルに比して珍妙に過ぎる我が国の現況は世界に類を見ない。一番二番云々以前に、間違いなくオンリーワンであろう。それも、出て行くことを考えざるを得ないような。情けない話である。

以上の話は極論ではある。しかし、このような極論が出てくる時点で最低だとも思う。