- ゲームや書籍で中古販売が盛んな理由

2010/04/02/Fri.ゲームや書籍で中古販売が盛んな理由

ここ数年はほとんど古本を買っていない T です。こんばんは。

シェア

シェアとはよくわからない数字である。

例えば Web ブラウザ。俺は自宅で Mac と Win を併用しており、それぞれ Safari と Chrome をメインのブラウザとして使っているが、IE でしか閲覧できないページにアクセスするときは IE を起動せざるを得ないし、自分のサイトを確認するときは Firefox や Opera を立ち上げることもある。好みや必要に応じて、一人でも色々と使い分けているのである。

ゲーマーなら PS3 も Xbox も Wii も PSP も DS も全部持っているだろう。加えて携帯電話や iPod などの端末まである。俺は携帯電話、iPod touch、PSP を所有しており、そのいずれもがネットに接続できる端末であるが、寝床で俺がこれらのガジェットに手を伸ばすとき、その選択基準は「一番近くに転がっているもの」である。iPod の UI が優れているから iPod を手に取るわけではない。だから、販売シェアや接続シェアといった数字も眉唾ものである。選択肢が拡散しているだけではないのか。

シェアを重視する背景には「選択肢は一人一つ」という暗黙の前提がある。一人につき一台しか携帯端末を持てないのなら、シェアは重要な数字だろう。けれども現実にそんなことはない。かつてテレビは「一家に一台」であったが、今や一人一台が当たり前のようになっている。それと同じ拡散が個人レベルでも起きている。

「一人一つ」の前提に立つ「シェア」という概念は、貧しかった時代の遺物であろう。老人が出席する会議では必要な数字かもしれないが、消費者する側の人間が気にするようなものではない。

ゲームや書籍で中古販売が盛んな理由

少し話は逸れるが、似たような話題なので書いておく。

以前から不思議に思っていることだが、テレビゲームや書籍が、どの作品も同じ価格帯で販売されるのは何故だろう。製作費数十億円のゲームと、素人が趣味で作ったようなゲーム。あるいは、国民的な文学賞を受賞した作家の、面白いことが保証されているシリーズの続編と、無名の新人が書いた海のものとも山のものともわからぬ小説。内容に対する期待値の異なる両者が、ほぼ同じ価格で販売される。価格が同じであるから、その評価が販売本数に反映される。「100 万本突破!」「増刷 10 万部!」ということである。

もう少し融通を利かせられないものだろうか。「このゲームには莫大な製作費を投じました。したがって定価は高めですが、面白さは保証します!」といったセールスがあっても良い。本当に面白ければ高くても売れるだろう。逆に、どんなに安くてもクソゲーが売れることは決してない。ワゴンセールの存在がそれを証明している。

「無名の新人作家の作品が、芥川賞を受賞した作品と同じ価格では売れるわけがない。しかしこの作品は面白い。作者のネームバリューで売れないのはもったいない。大勢の人に読んでもらいたいから、低価格で販売する。なに、評価が高まれば次の作品で元が取れるさ」。そういう戦略が、なぜないのか。

ゲームや書籍で中古販売が盛んな理由は、どの作品の定価も大体同じだからではないのか。需要と供給のバランスを出荷本数にのみ頼っているから、均衡が崩れやすいのだ。もっと多様な価格設定があっても良い。そうすれば、腰を据えた大作なども生まれてくるだろう。

様々な事情があるのはわかるが、クリエイターや鑑賞者は、これらの事柄にもっと批判的であっても良い。