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2010/03/15/Mon.パクス

世の平和と心の平安は基本的に無関係だと思う T です。こんばんは。

いつの時代、どんな場所でも苦悩する人間が絶えることはない。仮に「大多数の人々の心の平安が保たれている状態」を「平和」と定義するなら、大多数とは何ぞやという疑問が生まれ、極端にいえば社会の平和は定量的で計量可能なものということになる。また、平和とされる世の中でも個人が無惨な事件や事故に巻き込まれる確率はゼロではない。アクシデントによってよってその人の平和が乱されるとするなら、個のレベルでは平和は確率的なものであるとすらいえる。平和の対義語を戦争とするのも納得がいくようで実のところ意味不明である。

ところで。

幕藩体制のことを「パクス・トクガワーナ」と書いているのを見かけて、面白いことを言う奴がいるものだと感心した。それでは摂関政治は「パクス・フジワラーナ」、御家人制度は「パクス・カマクラーナ」、室町幕府は「パクス・アシカガーナ」であろうか。

興味深いことに、近代以前の日本の安全保障制度が対象としたのは全て国内の秩序に限られる。国内といっても「パクス・フジワラーナ」においては下級階層の安寧は完全に無視されており、その実態は『羅生門』に見られる通りである。検非違使が令外の官である一事をもってこの制度を落第と判断しても一向に差し支えがない。

「パクス・カマクラーナ」はその優秀さゆえにかろうじて元寇を撃退することができたが、最初からそのような対外侵略を想定していたわけではない。事実、元寇後にその組織は大きく傾くことになったが、ある種の地方分権制度による国内安全保障という発想は以後の組織にも脈々と受け継がれることになる。

「パクス・アシカガーナ」は六代将軍義教の頃までは国内安全保障制度としてよく機能していたように思われ、特に三代将軍義満による南北朝の合一は秩序回復という観点からは大きな成果である。義満は対明朝貢外交において「臣源道義」という署名を使用するなど一部で評判が悪いが、これを対外安全保障戦術として考えるなら決して下策というわけではない。しかし義満の真意が奈辺にあったのかはいささか不明なところもある。

世界にも稀に見る完成度を誇った史上最高の国内安全保障体制「パクス・トクガワーナ」ですら、対外安全保障については完全な無策に等しく、外国の軍艦が一隻来ただけで崩壊してしまったのはある意味で驚くべきことである。武士階級を自衛隊、黒船を核兵器に喩えて現代を顧みるのは意地悪に過ぎる見方であろうか。

我が国の組織が試みたパクスは全て日本だけのパクスであった。外国を想定した自国の防衛にすら大した注意が払われておらず、近隣国の平和をも含んだ広域安全保障制度によって実現されたパクス・ロマーナやパクス・アメリカーナとは完全に異なる。

もしも戦前の大東亜共栄圏や五族共和といった考えがその理想とするところを実現していたなら、それは「パクス・ジャパーナ」と呼ばれ得るものであったかもしれない。しかし歴史を繰り返したところで「パクス・ジャパーナ」が実際に顕れることはないだろうと思われる。広域安全保障制度を構築する上で日本に足りなかったのは経済力や軍事力といったハードではなく、そもそも「そんなこと」を考えたことがないという歴史経験に最大の問題があるのではないか。

例えば中国はその歴史において「パクス・チャイーナ」を実現した時期を確実に持っている。日中両国が東アジアの安全保障においてその主導権を争うことがあるとすれば、このような歴史経験の差が意外と大きなものとなって現れてくるのかもしれない。