- 俺は走馬灯なるモノを見たことがない

2010/02/28/Sun.俺は走馬灯なるモノを見たことがない

頭が痛い T です。こんばんは。

「自分の言葉で語る」という言説それ自体が、既に他者によって自動化されたものである。この撞着を今さら云々するつもりはない。独自の文体という存在も幻影にしか思えぬし、ましてやそれが最上のものであるとも信じられぬ。記号からなるテキストに求められるべきは、意味の正確な伝達である。もっとも、それすら一種の共同幻想ではあるのだが。

ところで、自分が実際に見聞したことがない事物を用いた比喩をどう考えるべきだろう。例えば俺は「走馬灯」なるモノを見たことがない。したがって「走馬灯のように〜」という比喩は、俺にとって比喩でも何でもない。経験知として、テキストの中での「走馬灯」の使われ所を知ってはいる。しかし、純粋に考えれば意味不明の形容なのだ。俺は「槍玉」を知らないのでそれを挙げることもできぬし、苦虫を噛み潰したこともない。二足どころか一足の草鞋すら履いたことがないのだ。

このような、使い古されてはいるが、全く自分に経験のない比喩をどう扱うべきだろう。やはり排除すべきなのだろうか。己の体験や知識のみを喩えの材料にするべきなのだろうか。だが、「俺の踵のようにガサガサである」という比喩を、一体どれだけの人間が理解し得るというのか。俺が「比喩っていらなくね?」という結論をひとまず支持しているのは、このような理由に依る。

読書日記