明石で魚を食べてきた T です。こんばんは。
1 月はやたらと食べた。正月は実家で母の手料理をたらふく喰らい、仕事が始まってからはボスとの会食が続いた。結局、今月は一度もジムに行っていない。ドブに金を捨てているようなものである。来月からは生活を改めたい。
ラットの精巣を破砕した T です。こんばんは。
Reviweres への response letter を英文校正に出した。Revised manuscript の修正個所は全て letter に含まれているので、本文を校閲に出さずとも letter を校正してもらうだけで事は足りるし、何より金銭と時間の節約になるのだ。とボスから聞いたときにはナルホドと思ったものだ。もう 1 年も前になる。
西原理恵子の本は漫画なのか。そんなことに頭を悩ますのは不毛なので、旧来の "Comic Review" および "Comic List" をそれぞれ "Book Review" ならびに "Book List" へと統合した。
ボスと河豚を食べてきた T です。こんばんは。
「自作ツールによるサイトの管理に限界を感じて Movable Type に移行した」のだが、今度は Movable Type によるサイトの管理に限界を感じて自作ツールに還ってきた。
「自作ツールによるサイトの管理に限界を感じ」たのは、自分で書いたプログラムがあまりにも複雑怪奇になり過ぎたからだ。ちょうど 4 年前の今頃、Perl の勉強のために初めて書いたプログラムが、現在に至るまでコアの部分で動いている。この頃のコードは酷いもので、とても読むに耐えない。そんな代物に、行き当たりばったりの拡張を繰り返してきたのだから、今やサイトのプログラム群は、スパゲティどころか、浜辺に打ち捨てられたテグスのようにもつれ合っている。これを修正するくらいなら一から書き直した方が早いのだが、「早い」といっても相当の時間がかかる。それならいっそ、Movable Type にでも移行しよう——と思ったのだ。3 日で挫折したが。
諦めて、過去の己が書いたプログラムを解読することにする。
祖母が倒れたとかで、27 日からテクニシャン嬢が欠勤している。仕事のことは気にせず家族を大事にしなさい、と彼女に伝えた手前もあって、独りで実験を頑張っている。
論文の仕上げは佳境を迎えている。夕刻からボスとディスカッションし、response letter を仕上げた。明日、英文校正に出して、それが終わったら submit する予定。
ボスと一緒に昼食を摂った T です。こんばんは。
Revision を要求された 2 本目の論文の deadline が迫っている。実験は既に済んでいる。今日は最後の figure を追加して、本文をかなり書き足した。Reviewers への response letter も作成した。
夕刻から電車で大学へ移動。プリントアウトした論文を車内で推敲したが、書き終えてから時間が経っていないので成果は上がらなかった。今夜はさっさと寝た方が良さそうだ。大学のセミナーに参加し、牛丼を食べて帰宅。帰途にボスから電話があり、晩餐を誘われたが断った。
遺伝子組換えマウスの勉強をしている T です。こんばんは。
雑用まみれで、とても scientific とは言い難い一日だった。ラボの円滑な運営には雑用が必須だが、その負担は不公平になりやすい。
以下は一般論である。仕事ができる人間ほど雑用を回される。結果、優秀な人材から嫌気が差して職場を去っていく。これを防ぐには、有能な人物を雑用から隔離する (本来の仕事に専念させる)しかない。一方、「優秀な人間は能力に応じて雑用もこなすべき」という思想が、主に年配の世代に存在する。それが「平等」なのだと彼らは言う。日本的である。しかし優秀な人間にとっては「悪平等」でしかないので、これから逃れるためには辞めるしかない。日本人を辞めて海外にまで行ったりする。人材流出である。
雑用をさせたいのなら、そのための人間を雇えば良い (そのように雇用された人にとって、それは「雑用」ではない)。これはある種のワーク・シェアリングでもある。雑用を任されていた優秀な彼は少し給料が下がるかもしれない。けれども、ストレスから解放され、生産性は上がるだろう。
今日は大学でラットの精巣を頂戴した。「精巣」などと書いているが、要するに睾丸である。小さな眼球のような外見の、極めてグロテスクな代物だった。これを破砕するのかと思うと気が重い。
ラットには ES 細胞が存在しないので、未分化マーカーの positive control を得ようと思えば、精巣か卵巣の中に存在する germline cell に頼るしかない。たかだか予備実験に難儀なことだが、このような小さな面倒を一つ一つクリアし、ツールを揃え、ちょっと便利で有用な系を立ち上げる——この積み重ねが、最終的には大きな advantage につながっていく。「ちょwwすげーアイデア思い付いたww」というだけでは何も確かめられない。ライブラリがない状態でプログラムを書くことを想像すれば、その不毛さが理解できるだろうか。
久し振りにサイトをリニューアルした T です。こんばんは。
自作ツールによるサイトの管理に限界を感じて Movable Type に移行した。旧システムからの移行はまだ途中だが、とりあえず日記の更新を再開する。
これまでのページは全て移植する。ツールを書いて一気に変換することも可能だが、オーバーホールの良い機会なので、1 ページずつ内容を確認しながらアップしている。結構楽しい。
17 日に引き続き、昨日も 4 人の方を面接させてもらった。
今日は留学中の先生に面接の様子を伝え、来年度以降の相談をした。枠組みはだいぶ固まってきたが、実際に仕事が回り始めるにはもう少し時間がかかるだろう。
面接される側に近い立場でありながら面接する側の人間として面接に臨席するたびに複雑な気持ちになる T です。こんばんは。
午後からラボへ。少し細胞培養をして、夕方からポスドクの面接に同席する。面接官はボスのみ。
応募者は俺より一つ年上の男性で、農学の出身 (今春博士号取得見込み)。我がラボには農学出身者が以外と多くて、研究員嬢も研究員君も農学 (修士) だし、一昨年に面接した 2 人も農学 (修士) だった。
話を戻すと、面談は 45 分程で終了。応募者が研究歴やその内容を口頭で説明し、ボスがちょこちょこと質問を挟んだ。概ね和やかな雰囲気であったが、応募者が、我がラボの他にも KJ 研究所の S 先生のラボにも apply していると言ったときには、ボスと俺は苦笑いを隠せなかった。この S 先生は、先日の日記に登場した S 先生その人であり、ボスとは仲が良い。
S「ポスドク探してるんだけど、良い人いない?」
ボ「ワシも探しているところや」
という会話まで交わしていたというのだから……、この世界の狭いことよ。
応募者は真面目で温厚そうな方であり、俺は好感を抱いたが、ボスは何となく不満のようだった。その理由は応募者の業績にあるらしく、「かなり一生懸命にやらなアカンぞ」と、面接では異例の檄を飛ばしていた。しかし、叱咤するということはほぼ採用ということだろう。
面接後、ボスと 2 人で、駅から少し歩いたところにある焼き鳥屋 (初訪問) へ。「なかなか良い人がおらんなぁ」とボスが呟く。近い将来、ポスドクとして面接を受けねばならぬかもしれない俺は、その言葉をしみじみと聞くのであった。
ここ数日の寒さには往生している T です。こんばんは。
昨日の朝は大学に寄って、テクニシャン C 君からサンプルを預かってきた。病院に帰り、サンプルを処理するのだが、ゴチョゴチョと雑用が入ってきて思ったより進まなかった。夜はデスクワークをしようと決めて、その前にカップラーメンで腹ごしらえをしていたらボスが登場。「飯に行くぞ」「今ラーメン食ってるんですけど」「吐き出せ」。ヒドい。室町三条の小洒落た店で呑んできた。参加者はボスの他に、大学院の K 先生、テクニシャン嬢、研究員嬢、隣の研究員嬢、テクニシャン U 君。結構大勢だったが、春からのことについてボスと秘密の相談をする。
今朝は大学院の K 先生の投稿論文について作戦会議。米国の CR 誌から reject っぽい判定を受けた iPS 細胞の論文は頑張って食い下がることに、欧州の CR 誌から reject された ES 細胞の論文は諦めて別の雑誌に投稿することとなった。
3 月下旬の学会のプログラムが決まった。俺の演題が "Featured Research Session" とかいう大層なセッションに入れられている。単なる現象 study で分子機構も何もわかっておらんのだが、臨床的に興味深いということなのだろうか。面倒だなあ、臨床的なことはよくわからんなあ、という想いは相変わらず強いが、いやまァ名誉なことであるよな、と思えるようにもなってきた。業績リストの賑やかしになるのなら何だってするぜ、みたいな意地汚い根性が芽生えつつあるらしい。良くいえば「プロ意識」と言えないこともないが、そんな上等なものではない。飯を食べていくのに必死なだけである。
上記の演題は L という遺伝子についての研究なのだが、3 月初頭に、ボス主催の研究会でも同じことを発表することになっている。それは別に構わないのだが、何を血迷ったのか、ボスは L をクローニングした S 先生を特別講演で招請していやがる。俺は発見者の眼前で L について話さなければならないわけで、これは何の罰ゲームだろうかと今から気が重い。
4 月の学会に抄録を投稿した。5 月の国際学会 (京都で開催される) にも抄録を投稿済みで、これの採択が 2 月の上旬に決まるはずだったと思う。6 月以降は今のところまだ予定はない。
今週末にポスドクの面接をするらしい。ボスから同席するようにと言われた。どんな方が来られるのだろうか。
ポスドクの募集にはそれなりの数の応募があったらしい。しかしボスは、「年齢と業績を見てほとんどを書類で切った」という。「センセイ、いっぱい論文を書かなアカンぞ」とはボスの言。外の寒風より身に沁みるぜ。
この三月で博士課程を折り返す T です。こんばんは。
昨日、今日と、大学院の合宿に参加してきた。
大学院、特に博士課程の単位制度というのは形骸化していて、真面目に講義が開かれている例は少ないと思う。医学研究科は教員も学生もほとんどが医者であり、みな忙しいから尚更である。それではイカンということで、四年ほど前からコース・ミーティング (CM) なるものが催されている。これがなかなか面白い。
普通、大学の研究室(講座)は縦割りになっている。医学部の臨床系なら、神経科・眼科・皮膚科……という具合である。一方、CM は横断的に展開されていて、「再生」「癌」などと銘打たれている。そして例えば「再生」なら、神経科からは神経の再生をしたい人間が参加し、眼科からは網膜の再生を目指す者が来る。このヘテロな集まりは広く開放されており、研究科の学生や教員はもちろんのこと、他学部からの聴講も可能である。CM は週に一回から月に一回ほどの頻度で開かれ、学生が発表したり、高名な先生を呼んできて講演を聴いたりする。CM に真面目に参加すると、博士課程の単位(必修)が得られる。
複数の CM に所属することも可能である。例えば幹細胞というのは一種の癌細胞でもあるから、「再生」と「癌」の 二つの CM に参加することで知見を広める——というようなことができる。
CM では年に一〜二回、泊まりがけの合宿が開催される。今回、私が所属する CM の合宿は郊外のホテルで行われた。
一日目。研究室の紹介と簡単な自己紹介。その後、三つのグループに別れて学生のポスター発表(俺も発表した)。夕食後、理研の YS 先生による特別講演。オーガナイザーの TN 先生と YS 先生との座談会。風呂に入って懇親会。
二日目。朝食後、ポスター発表の続き。サブオーガナイザーの SY 先生の特別講演。昼食後、循環器の IK 先生の特別講演。そして、JY 先生と MY 先生による「私が研究者になった経緯」的な講演。
バスに乗って大学に帰還。そのまま病院に直行して、予定していた実験を行う。色々と発表や講演を聴いた後なのでヤル気が湧いてくる。CM 最大の利点は、他の研究室から受ける刺激であろう。貴重なものだと思う。
ウンコ話が大好きな T です。こんばんは。
夕方は大学でセミナー。
大学からの帰路の途上にカレー屋がある。大学に行った日にはよく寄っている。残念なことに、ここのカレーを食べると必ず腹が痛くなる。今日も「腹痛が来るのだろうなあ」と思いながら平らげた。案の定、帰宅後に腹が痛み出す。折悪しくトイレット・ペーパーが切れていたので、ウンコを我慢している。
ヒトにとっての搾りカスであるウンコに蝿が集 (たか) り蛆が湧く。環境とは、エネルギーとは何ぞや。クソバエの感覚を我々が具体的に想像することは難しい (バカにせず、騙されたと思って真剣に妄想してみたまえ)。人間の空想が届く範囲は広いようでいて、思ったよりもずっと狭い。人間がその肉体感覚から遊離することはほとんど不可能である。
世界で起きる微小な (巨視的な) 現象を、我々の感覚で把握できるように引っぱり上げる (引きずり下ろす) 行為を科学では「観測」という。いい加減なものだ。
音楽は可聴域で奏でられ、映像は可視光で投じられる。芸術の何が自由なものか。よくよく見れば、「芸」も「術」も、どちらかといえば「技」の概念に含まれる字である。以前から「芸術はテクニックで作り得る」などと書いてきたが、「芸術」という字意には今日まで気付かなかった。この訳語を創ったのは誰だろう。
閑話休題。例えば赤外線を探知する装置というものがある。不可視光である赤外線を可視光に変換する機械である。これで「世界が拡がった」というのはいささか語弊がある。「(人間が感じることのできる) 世界が拡がった」のではなく、「(人間が感じられる形に) 世界が縮まった」のである。
我々は世界を圧縮してきた。様々な法則は圧縮コードのようなものである。コードに従って圧縮すると解凍も可能になる。これを「理解」という。法則の発見は圧縮率を改善するから、我々は昔の人に比べて、質的には同程度の脳髄にも関わらず、色々なことを知っている。
年末年始は実家で弛緩してきた T です。明けましておめでとうございます。
仕事始め。どこでも同じだろうが、1 月から 3 月は慌ただしい。アレをしてコレをして……と想を練っていたら興に乗ってきて、結果的に集中して仕事ができた。やるべき実験のプロトコルやらサンプル・シートなどを作成して何枚も印刷する。後は機械的に手を動かすだけだ。単純作業になるといえばその通りなのだが、頭が空いていると手を動かしながら色々と考えることができるので、新しいアイデアが閃くことも多い。このような好もしい流れを、ある程度意識的に作るようにせねば、なかなか仕事ははかどらない。
テクニシャン嬢には、培養細胞を起こしてもらった後、年末に買った primer が work するかを試してもらった。概ね期待通りの数字が出たので満足する。
夕方には、皆が郷里から持ち寄った土産をつまみ食いしてリラックス。
夜はセミナー。その後、ボス、助教の先生、大学院の K 先生と一緒に新年会。「40 歳までは一所懸命に研究する。40 歳を越えたら作戦で生きる (ポストをゲットする)。それ以後は酒を飲んで調子の良いことを言うておればよろしい」とはボスの言。何をいい加減なことを——と思うのだが、「ワシはそうしてきた」と言われると反論できぬのだから俺もまだまだである。