- Diary 2008/12

2008/12/30/Tue.

大晦日に帰省する T です。こんばんは。

Web 日記

「T は mixi の日記の更新をチェックするのが異様に早い」とキモがられている。別にベッタリと mixi に貼り付いているわけではない。RSS で更新をチェックしているだけである。

「あしあと」で人の来訪時間をチェックしている手前の方が余程キモいぜ。

日記には大した情報がないのでほとんど誰も読んでいない

「『検索して出てくる情報には価値がない』という、いささか極論的なドグマを認めてしまうと (略) 日記に書くことがなくなる」わけだが、もちろん日記以外にも発信することはある。最近は blog の影に隠れ、表立って話題になることも少なくなったが、昔ながらの「ホームページ」で撮り溜めた写真を公開しているサイトなど、ユニークでディープでマニアックな情報を公開している人もいまだたくさんいる。本当に欲しい情報はこういう場所にあることが多い。この種のサイトに脚光が当たる時期がまた訪れるのではないか。

shuraba.com でいうと、MHP2G のまとめページや、仕事のための覚書 (あまり更新していないけれど) にたくさんのアクセスがある。あとは写真も多い。日記を楽しみに読んでくれている人には意外かもしれないが、PV だけで言うと、shuraba.com の主流なコンテンツはこれらの情報なのだ。日記 (トップを含む) ページへのアクセス数は全 PV の約 1 割しかない。含まれる情報量 (というより質か) を考えれば当然の結果といえる。

もちろん日記は俺にとって重要なものである。アクセスが多いところに注力するということもない。ない、というか、好きにする。情報の発信は大切なことだが、shuraba.com は別にそのことを目的としていない。情報発信をしたいのなら、例えば論文を書けばよろしい。どれだけ日記を一生懸命に書いたところで、この世界におけるインパクト (情報の質や独自性) は 1 編の論文以下だろう。

2008/12/28/Sun.

「忘年会」という言葉は日本語独特のものだよなあ、と思う T です。こんばんは。

元テクニシャン S 嬢の帰省に合わせて、テクニシャン K 嬢、研究員嬢、元隣の研究員嬢と一緒に忘年会。「かしわが食べたい」という S 嬢のリクエストで鶏鍋の店に行った。関東の人は御存知ないかもしれないが、西日本では鶏のことを気取って「かしわ」ということがある。別に特別な品種を指しているわけではなく、普通の鶏肉である。

鍋をたらふく喰った後、2 時間ほどカラオケ。最後にカラオケに行ったのは 2 年前だから、随分と久し振りである。

総括 2008

1st author の論文が 2 月に accept され、coauthor の論文もこの 1 年間で 4 本が publish された。学振の審査にも pass し、小額ではあるが来年度から研究奨励費と科研費が支給される。研究をして論文を書いて研究費を取ってくる、という一連の流れが、ささやかながらも達成できたのが嬉しい。これをサイクルとして回していくのが今後の課題となる。一層の精進が必要となろう。

今年は色々と余裕もできて、夏以降は珍しく、あちこちをウロウロとしたし、たくさんの人にも会った。

総じて良い 1 年だったのではなかろうか。

2008/12/26/Fri.

年内には書評をやっつけたい……と思っている T です。こんばんは。

研究日記

午前、雪が舞う中を歩いて大学へ。来年から世話になる施設を見学させてもらう。想像以上に設備が整っていて安心した。顔見知りの先生もいらっしゃるので何かと心強い。

留学中の先生から本日も国際電話を頂戴する。あれこれと話をして、今年の仕事は終了。

テクニシャン嬢、研究員嬢、元隣の研究員嬢と忘年会。

2008/12/25/Thu.

たくさん primer を注文した T です。こんばんは。

クリスマスやからな。

研究日記

留学中の先生と連日連絡を取っている。国際電話の料金もバカにならないと思うし、時差も結構あるのだが、あちらから (日本の) 日中にかけてくるので俺の心配することではない。留学中の先生とのことは、年が明けたらもう少し詳しく書けるだろう。

ラットの iPS 細胞ができたという。これで knockout/knockin ラット作出の可能性が出てきた。既にマウスがあるじゃないか、ラットいらなくね? そうでもない。ラットの方がマウスより体躯が大きく、手術などによる病気・障害モデルの作成が容易である。遺伝子改変ラットの潜在的な需要は大きい。科学といえども人の営みである。できないことはやれないし、難しいことはやりたくない。ラットであればやってみたい (ラットでなければできない) というプロジェクトも多いだろう。

「クリスマスやからな」とボスがケーキを買ってきてくれた。皆で食べる。「うまいやろ。ふぇふぇふぇ」。このオッサンのこういう部分をどう評価したら良いのか、今でもよくわからない。

2008/12/24/Wed.

雇われ研究員の T です。こんばんは。

正論だと思う。

研究日記

留学中の先生とアレコレと相談する。来年は忙しくなりそうである。

以下はいささか逆説的な話。

忙しくするのは簡単だ。しかし (自分にとって) 簡単な分だけ、他の人間に皺寄せが行く。休みを取ろうとすると皺寄せが自分に来る。大変で、面倒で、億劫なことだ。だから、つい易しい方へ——忙しい方へと流されてしまう。こういう人は多いのではないか。しかしこれはやはりよろしくない。気が付いたらもう止めよう。

金曜日が仕事納めなので、培養庫の清掃などを始める。

ボスの依頼で、平成19年度の報告書に加筆する。平成19年度てアンタ。こんなものに今頃ケチを付けてくる役所 (武士の情けで名前は伏せるが文部科学省である) もどうかしている。他にやることがあるだろう。

大学院の K先生の 1本目の投稿論文が返ってきた。Reviewers は major revision を要求しており、editor も resubmit は de novo で、と言っておる。It is not acceptable for publication. じゃあ reject かというと、どこにも "reject" とは書かれてないんだよなァ。Publish されたときに、submit から accept までの (見かけの) 時間を短くするため、最近はどこの雑誌もやたらと de novo での resubmission を要求してくる。この風潮には感心できない。

夜はボス主催の忘年会。参加者はボス、俺、テクニシャン嬢、研究員嬢、元隣の研究員嬢、途中からテクニシャン君。しゃぶしゃぶを喰って梅酒を呑む。

2008/12/22/Mon.

「情報化社会」というのもよくわからん日本語だなァ、と思う T です。こんばんは。

最近考えている、「検索して出てくる情報」について。

「情報化社会になって、人々は日々情報に追われて生活している」というのは、全くの間違いである。いかにも文弱な輩が考えそうなことではないか。

例えば辞書というものがある。これは最初の一頁から読み進めるものではなく、必要なときに必要な箇所を読むものだ。「検索して出てくる情報」もそれと同じで、大切なのは、必要なときに必要な情報を引き出すことができる技術である。決して、ライフ・ハックとやらを駆使して膨大な情報を摂取し続けることではない。そんなことをしなくても済むのが情報化社会——いつでも必要な情報にアクセスできる社会——ではないのか。今の世界が本当に情報化社会なのか、という疑問はさておき。

重要なことなので何度でも書くが、大事なのは「検索しても出てこない情報」である。皆が触れている情報にはほとんど価値はない。「乗り遅れないようにしなきゃ」という発想がダメなんだよな。逆に考えるんだ、「皆が触れている情報には自分が触れる必要はないさ」と考えるんだ (©ジョージ・ジョースター)。それに気付くことができれば、「時間が足りない」という事態にはそうそうならない。

無論、余暇の過ごし方として「皆が触れている情報」にアクセスするのは結構なことである。無駄こそが趣味であり文化であり快楽であるからだ。要は峻別だよな。そこを混同して、趣味に実用を求めたり、実用的な能力を趣味的に獲得しようとしたりするのは、情報の区別ができていないからであり、であるからこそひたすらに情報を追い求めるハメになる。で、時間が足りなくなるから趣味に実用を求めたり……と、以下ループに陥る。

——などと、いかにもライフ・ハック的なことを書いてしまったわ。この日記にも何の価値もない。もし仮に、貴方がこの日記を真剣に読み、「なるほど」などと思ったりしようものなら、もうその価値判断がおかしいと僕は断ぜざるを得ない。なんてな。

2008/12/20/Sat.

単細胞生物を reprogram して培養細胞のようにできるのだろうか、とバカなことを考えた T です。こんばんは。

「検索して出てくる情報には価値がない」という、いささか極論的なドグマを認めてしまうとどうなるか。日記に書くことがなくなるんだよな。放っておいても皆が書くであろう主題について、今さら俺がこんなところで何かを述べても仕方がないというか。この日記で時事についてほとんど語らない理由もそのあたりにある。

研究日記

iPS 細胞を使って何をするのか。色々とアイデアは出されているが、基本的な路線は、「患者由来の iPS 細胞を再生医療に利用する」というものである。例えば、心筋梗塞の患者から体細胞を採取し、iPS 細胞へと reprogram した後、心血管前駆細胞に分化させ、それらを梗塞巣に移植して心血管の再生を促すということが考えられる。非常に遠大ではあるが。

「iPS 細胞を経なくとも、体細胞から前駆細胞に直接 reprogram したら良いんじゃね?」ということは少し考えれば誰でも思い付く。しかしこれは難しい。前駆細胞はいささか概念的な存在である。前駆細胞を定義するなら、「自己増殖しつつ、特定の細胞へとしか分化しない細胞」であるが、こんなものが生体内に本当にあるのかどうか——特に心臓のような基本的に増殖しない系において——、まことに疑わしい。

Nature に存在しなくとも、前駆細胞様の性質を持つ細胞を人工的に作出すれば良いじゃないか。医学系や工学系の人間はそんなことをいう。医療工学的な発想だよなあ。そんなことを生物学出身の俺は思ってしまうのだ。この種の葛藤については以前に少し書いた ("Nature v.s. Artifact")。

iPS 細胞を含む再生医療の研究は理念先行型である。一般的なイメージの応用研究は、「細胞の reprogramming の機構が基礎研究でわかったので、それを前駆細胞の作成に応用しよう」という順序である。それが理念先行型では、「前駆細胞が必要であり、その作成には細胞の reprogramming の知識が必要なので、基礎研究をしよう」となる。もちろん、興味の在り方が違うだけで、どちらがどうという話ではない。

2008/12/18/Thu.

来年からの仕事が徐々に具体化しつつある T です。こんばんは。

研究日記

下のサイトが面白い。

PubMed の情報を元に、ある author が発表した論文のテーマなどを視覚化してくれる。特に、author と author の関係を結んで表示する "NetworkView" は見ているだけで面白い。例えば俺の場合だと、学生の頃の人間関係と、就職してからの人間関係が、ちゃんと別の cluster として出てくる。だから何だって話だが、妙に感動する。

情報の価値

「検索すれば出てくることをわざわざ訊いてくる奴って何なの?」と苛立っても仕方がないので、建設的な方向に考えを進めてみよう。

「検索すれば出てくる」ということはつまり、その情報がオープンでありフリーであることでもある。そんな事柄に他人を煩らわせる = コストをかけるのは罪悪だ、というのが上記の論法の前提にある。逆にいうと、検索しても出てこない情報を得るためにはコストが発生する。少なくともその分だけの価値が、検索しても出てこない情報にはある。

検索しても出てこない、「価値がある情報」とはどのようなものだろう。

  1. 未知の事柄に対する情報。
  2. 存在はするがネット上にはアップされていない情報。
  3. 隠されている情報。

これらに対応して取るべき行動は下のようになる。

  1. 探究する。
  2. 発信する。
  3. 秘匿する or 暴露する。

1. は要するに学問、特に科学そのものである。未解決の問題や未知の事象を解決、発見、観察、記述し、発表する。それが価値となる。

3. は一言でいえば「秘密」である。個人情報は秘されるべきだし、不正や犯罪は暴かれねばならない。これらの行為が情報に価値を付加する。

2008/12/17/Wed.

添え物の音楽で関心があるのはゲーム・ミュージックくらいの T です。こんばんは。

ゲームは何十時間、何百時間と遊ぶので、BGM は割と気になる。それ以外の、一回きりの音楽 (映画の BGM など) にはさほど関心が湧かないし、そこまで意識が回らない。

以前に、ミュージカルにおける音楽について書いたが、映画の BGM の方がよほど奇妙な存在なのではないかと考え直した。

ミュージカルでは、ストーリーが中断されて音楽がかかると、画面あるいは舞台の中の人間が歌い、踊り出す。ミュージカルで奏でられる音楽は、観客にも「中の人」にも聞こえているわけだ。一方、BGM は「中の人」には聞こえない。もっぱら観客のためだけに外挿される。この種の複相性 (これは同時性でもある) は、文字だけで記される小説ではちょっと表現できない。

BGM の逆パターンを考えると、例えば楽曲のプロモーション・ビデオ (PV) なんかが思い付く。PV の多くが短い映像のコラージュからなるのは、それが BGV (background video) であるからではないか。

2008/12/15/Mon.

人がそれぞれ個性的になるのは良いことだ。だが押し売りはやめて頂きたい。凡人の個性に興味を持つ者などいない。人々が愛するのは偉大なる個性であって手前のそれではない。

2008/12/11/Thu.

イヌとネコの違いを考えるとき、ヒトとのコミュニケーションという要素は無視できない。

昔、SONY が、ヒトとのコミュニケーションをテーマにした AIBO というロボットを売り出したが、これはイヌを模した形をしていた。バウリンガルという商品も存在した。これもまたヒトとイヌとのコミュニケーションを題材としたものである。最初に採り上げられるやはりイヌであって、決してネコにはならない。

日本が誇るネコ型ロボット、ドラえもんがあるじゃないか。しかし彼はネコの象徴である耳を欠いた姿で登場する。この造詣は非常に興味深い。

『南総里見八犬伝』も同様で、八房がネコだと話が成立しない。イヌあるいはネコが登場する物語については、いずれ表にでもまとめてじっくり眺めてみたいと考えている。

2008/12/01/Mon.

今週末は横浜に行く予定の T です。こんばんは。

10月、11月と慌ただしかったからか、日記の記述がいい加減になっておる。読み返しても要領を得ない。来週からは落ち着いて日記を書きたい。

それにしても外出続きで銀行の残高が悲惨なことになっている。出張費が還ってくるのは年が明けてから (規定で 2ヶ月後の月末となっている)。もう少し早くならんものかといつも思う。

ゴミ日記

京都市では指定のゴミ袋を購入してゴミを出さねばならぬ。袋は一般用と資源用 (缶やビン) の 2種類がある。

ところで、ゴミを集めているのは回収業者だけではない。自転車に乗ったオッサンもよく集めている。彼らのターゲットは缶やビンである。ということは、指定のゴミ袋を購入せずとも、普通の袋に缶やビンを詰めて路上に転がしておけば、業者には引き取ってもらえないだろうが、オッサンたちが回収してくれるのではないだろうか。

なんてことを考えた。機会があれば実験する。