- プレイとしての撮影

2008/08/17/Sun.プレイとしての撮影

筋肉痛の T です。こんばんは。

安全人形

「写真を加工するかどうか問題」について、MO君が「積極的に修正を入れるべき」と書いており、興味深く拝見した。絵としての写真の完成を重視するなら当然の意見であり、例えば、仕事で使う顕微鏡の写真などについては俺も同じ考え方である。カメラは自分の眼で見た景色を再現するための道具にしか過ぎない、最終的な絵こそが写真の価値である、という立場だよな。

彼の日記を読んで、俺が拘っているのは画像の修正云々ではなく、カメラの操作である、ということに気付いた。これは、電車の撮影をしたときに感じた、「動く被写体の撮影はアクション・ゲームと同じ」(限られた範囲でポジションを確保し、ズバリのタイミングでボタンを押す) という印象に通じる。その場限りでどこまでの絵が作れるか、というゲーム。だから「ちょっと明るいかな」と思ったら、後からソフトで修正するのではなく、撮影するときに陽が陰るまで待つ。そういう一々が今は楽しい。

面白い写真を見ると、「良い絵だなあ」と思う前に「上手く撮ってるなあ」という感想が湧く。撮影というプレイの方に興味の重点がある、と言い換えても良い。だから、修正したかどうかが気になる。絵としてのみ観賞しているのなら、そんなことは問題にならないはずなのだ。

いやまァ、撮影は撮影として楽しみ、写真は写真で加工すれば両得なのでは、という気がしないでもないんだけど……。

で、夏休みはどこに行って何を撮ろうかしら。——その前にデジタルカメラのメモリを増設しておかねないと。すぐに忘れるので書いておく。