- 熊本

2008/06/10/Tue.熊本

怖い話の構造に興味がある T です。こんばんは。

ふと思い出したので、テクニシャン嬢に「くねくね」の話をしてみた。気に入ってくれたのか、眼から涙がチョチョ切れていた。

「熊本で学会があるから演題を出しておいて」とボスに言われる。阿蘇山に行ったことはあるが、熊本市を訪れたことはない。熊本についてはあまり知らない。以下、調べずに書くので誤りがあるかもしれない。

熊本の有名人といえば細川護煕元首相か。彼は肥後藩主・細川家の正当な末裔であり当主である。肥後といえば天下の名城 (日本三名城の一) である熊本城が思い浮かぶが、これを普請したのは細川以前の領主・加藤清正だ。彼は築城家として有名である。この熊本城には、西南戦争の折りに官軍が立て篭もり、西郷軍を撃退している。銃が良くなったくらいでは、まだまだ日本の城は落とせない。中世の城郭を無力化するには大砲を引っ張り出す必要がある。

加藤清正の肥後入り以前は、佐々成政が統治していたはずだが、確か一揆が起きて改易になった。司馬遼太郎がこの一揆をエラく褒めていて、「肥後の人は理屈っぽく、熱い」みたいな評をしている (司馬は、どの国の人柄でも基本的に称賛するのだが)。

秀吉の九州征伐以前の熊本は大友家の勢力下にあり、島津家との抗争の場と化していたのではなかったか。このあたりから記憶が怪しくなる。南北朝時代には、後醍醐天皇の息子・懐良親王が九州で気炎を吐いていた。懐良親王という人は非常に面白い人物で興味を持っているのだが、彼に関するまとまった著作をまだ目にしたことがない。いつか調べようとは思っている。懐良親王を支援した国人の中に菊池という氏があったはずだが、確か本拠が熊本だったと思う。

それ以前になるとほとんど知識がない。熊襲の国が熊本らしい、ということくらいか。エラく時代が飛ぶ。ヤマトタケルが女装して熊襲に入り込み、クマソタケルを殺害した逸話は『古事記』に詳しい。『古事記』を読んでいたときに色々と調べたが、ヤマトタケルもまた興味深い人物である。いずれ日記で採り上げてみたい。

現代の熊本といえば水俣病が思い浮かぶ。熊本の必死の努力で、現在の水俣湾はそこいらの海よりはよほど綺麗になっていると聞く。どのような技術が用いられたのか、恥ずかしながら知らない。(知らないながら書くが) この種の環境技術で日本は世界をリードしており、経済的に見れば極めて重要な産業でもある。隠れた優良企業も多いようだ。

せっかくの機会だから、熊本の学会に行ってみようかなと思っている。