- 健全な精神は健全な気候に宿る

2008/06/08/Sun.健全な精神は健全な気候に宿る

Mac では Safari、Win では Firefox を使っている T です。こんばんは。

Web 日記

Firefox 3 RC 2 (Mac版) を導入してみた。ちょっと触った印象では、

という感じ。とりあえず、shuraba.com の動作や表示がおかしくなることはなかった。

運動日記

スポーツ・ジム 15回目。

「休日になると無性にイライラする病」が再発して、目覚めてから最悪の気分だった。走って発散するかとジムに行ったまでは良かったが、頭に血が昇っていたせいか、インナーは忘れるわ、コイン・ロッカー用の小銭を忘れるわで散々だった。走り始めてもフォームはグチャグチャで苛立ちは募るばかり。結局、3 km ほど走った時点でマシンを降りた。

それでも、汗を掻いてシャワーを浴びると、幾分かは気分もマシになる。今日は天候も今一つだったから、「さっぱり」の効果は絶大だよなあ。

芥川龍之介の死

ところで、「さっぱり」していない日には自殺が多くなる、というのは統計的な事実である (交通事故や凶悪犯罪なども同様の傾向を示す)。芥川龍之介が自殺したのは 1927年 7月 24日未明だが、この日の東京は非常に不快指数が高く、それが彼をして自死せしめた一因ではないか、という話を読んだことがある。原典は忘れた。最近、この種の記憶が曖昧で自分に腹が立つ。

念のために書いておくが、芥川の自殺は発作的なものではない。以前から周囲に自殺を仄めかしたり、薬物を入手したりなど、前兆となる行為が複数の人間によって証言されている (自殺をはっきり考え出したのは死の 2年前あたりから、というのが通説である)。したがって、それが 7月 24日でなくとも、芥川はいつか自決しただろう。7月 24日の不快指数は、自殺が「その日」に決行された理由に過ぎない。引き金ではあるが原因ではない。

七月二十四日は未明から雨だった。それまで連日のように猛暑がつづき、新聞では三十三年ぶりの暑さだと報じた。

(松本清張『昭和史発掘 1』「芥川龍之介の死」)

芥川の自殺については、松本清張が『昭和史発掘』の中で「芥川龍之介の死」を書いている。ちなみに清張自身は、7月 24日の気候と芥川の自殺の関連については述べていない。私生活、文学活動の両面から芥川は挫折し、複合的な苦悩が彼を自死に追いやったというのが清張の見解である。

芥川は自殺を決心したが、いかなる方法を以てしても決行する勇気は出なかった。彼は方法ばかり考えて、実行を恐れていた。

そのとき M女が目の前に現れた。彼は M女と情死しようと思いついた。自分ひとりだと死ねないが、女となら死ねそうである。つまり、女を死の跳躍台にすることであった。

(中略) さて、芥川は、こうして M女に逃げられて、かえってひとりで自殺する決心をかためた。彼は、女人による死のスプリング・ボードを失い——自尊心を傷つけられたことによって、敗北感に打ちひしがれ、孤独の死を決意したと思うのである。いや、女に逃げられた衝撃が、かえって自殺のスプリング・ボードになった。

(松本清張『昭和史発掘 1』「芥川龍之介の死」)

「あまりに文芸的な」ものに徹しようとした彼は、文壇の主流が告白体の私小説にあるのを見て、少なからず将来に不安を抱いたのではあるまいか。彼は谷崎ほどには強靭ではなかった。

芥川の自信の喪失——作品の挫折感は、その虚弱な肉体からきている。彼がその挫折感を征服して乗り切るには、その衰弱した肉体ではとうてい不可能であった。大体、彼のテーマそのものが短篇性であるが、それも彼の弱い身体と無関係ではない。

芥川が「スプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じ」(遺書) て、その決心を固めたのは、親友宇野の発狂を目のあたりに見てからだといわれる。(中略) 痴呆になった宇野の姿に人間末路のやりきれなさを見て、自殺決行になったのではなかろうか。

(松本清張『昭和史発掘 1』「芥川龍之介の死」)

芥川のいう「ぼんやりとした不安」という文句は、どうも作為的な感じがする。作家の遺書は、どうしても「作品」のようになってしまうきらいがある。江藤淳の「形骸」とか。日本には「辞世の句」などといって、死に臨んであらかじめ「作品」を作っておく習慣があるから、その流れで理解するべきなのかもしれない。

「自分の遺書は後世に残るから」という作家の自意識は、自らの永続性を願う一般的な心理と相通ずるものがある。自殺の心理はこれと真逆のベクトルではあるが、それでもなお死なずにはいられないという撞着が懊悩を呼ぶのだろうか。作家なら、そのときにこそ遺書ではなく「作品」を書いてほしいと思うが、人間はそこまで強くないということなんだろうな。