- 発言に対する執着

2008/05/10/Sat.発言に対する執着

言ったことはすぐ忘れるが書いたことはよく覚えている T です。こんばんは。

ボスという人種は、自分の言ったことをすぐに忘れる。ボスの言を忠実に守って仕事をしているはずなのに、「そんなことはやらんで良い」と言われたりする。いや、お前の言う通りにしているだけなのだが。と反論したくなるが、よくあることなので適当に受け流すことが多い。

「なぜ自分の言ったことをすぐに忘れるのか」は長年の謎だったのだが、最近になって何となく理解できるようになってきた。というのも、俺自身が自分の言ったことをすぐに忘れるようになってきたからだ。

例えば、テクニシャン嬢達がおかしなプロトコルで実験をしていることがある。そのことに俺が気付いて、「どうしてこんなプロトコルでやっているのか」と尋ねると、不審げな顔で「すみません」と謝ってくる。よくよく訊いてみると、彼女達は「俺が言った通りに」実験しているだけらしい。バカな。俺はそんなことを言った覚えはない! ……がしかし、何だこの奇妙な既視感は。

俺にとって、実験のプロトコルは求める結果を得るための手段に過ぎず、その大半はルーチンであってキモとなるべきポイントは限られる。さらに言うならば、個々の実験は研究という仕事の一部に過ぎず、データが得られればその細かいプロトコルは忘却してしまうことも多い。必要があればノートを見れば済む。実験は適当に (appropriately) やりさえすれば良い。自分が何をしているのかを把握しているから、仮にプロトコルの記述を間違えても、実験の最中に気付くことができる。

でも、テクニシャン嬢達にとっては、実験こそが仕事のほぼ全てであり、俺が指示するプロトコルは「業務命令」なんだよな。それを遵守するのが当たり前であり、勝手な判断は許されない (と信じ込んでいる)。

要は、発言に対して発信者と受信者が感じるボリュームの違いが問題なんだろうな。思い付きを含む俺の発言は、俺自身にとっては one of them で相対的なものだが、テクニシャン嬢達にとっては only one で絶対的なものである。俺が大したことと思わず、すぐに忘れてしまうようなことでも、彼女達は真剣に聴き、脳裏に刻みつける。このギャップは、発言する側にとって非常に恐ろしい。

ここまでくれば、同じことがボスと俺の間でも起こっているんだな、と想像するのは難しくない。俺の研究も、ボスにとっては数あるプロジェクトの 1つに過ぎない。すぐに忘れてしまうということは、それだけの仕事を抱えている、あるいはもっと重要な仕事が存在するという証左でもある。そこに仕事の広がりを感じられれば、あるいはもっと伸びることができるやもしれぬ。

ここまで書いて、この話は痴話喧嘩における「言った・言わない」論争にも援用できるなあ、と気付いた。相手の言ったことをしつこく覚えている側か、自分の言ったことをすぐに忘れる側かで、相手に対する真剣度がある程度はわかるかもしれない。