- Diary 2008/04

2008/04/30/Wed.

学会から送られてきた専門用語集に感銘を受けた T です。こんばんは。

専門語の翻訳は重要な仕事である。

研究日記

朝一番で実験動物業者の方 3名が来訪。GW 明けに始める動物実験についての打ち合わせ。具体的な実験手順などについて、相互の見解を詰め合わせる。

ボスが申請していたグラントが 1つ当たったらしい。今年度から 3年間だから、俺が博士課程を修了するまでは安心して実験ができそうである。上機嫌のボスからは、「センセイも学振を獲ってきてくれよ」と発破をかけられた。

午後はテクニシャン嬢と免疫染色。ポジティブ・コントロールがしっかりと染まっていたので抗体は反応しているはずだが、肝心のサンプルは ambiguous な感じだった。バックグラウンドが高いのか、それとも他の問題か。もう少し多様な条件で試行しなければならないが、そのうち綺麗に染まるだろうという漠然とした手応えは得た。この予感は恐らく当たる。

夕刻から、病院の動物実験施設の講習会。病院の動物実験委員長はかなり アタマのおかしな 厳格な人であり、施設を利用するために驚くほど煩雑な手続きを要求する。ゆえにこの施設は敬遠され、ほとんど誰も使っていない。俺も GW 後の動物実験は大学で行う。大学と病院を往来する手間は惜しいが、そんなものは病院の施設を使用することに比べれば些事であるとすら言える。全くバカバカしいことだ。

「当病院の動物実験施設は非常にクリーンである」というのが動物実験委員長の自慢であるが、動物が搬入されていない施設が清潔なのは当たり前であり、老人のギャグとしてはなかなかのものだと思うが、生憎と本気だから困る。

極めて清潔な環境を要する実験が存在することは事実である。一方、それほどのクリーンさを要求しない実験もまた存在する。求められているのは使い分け。Western を DEPEC 水で行う愚を考えれば良い。何事にも必要条件と充分条件がある。

2008/04/29/Tue.

サヨクどもは「昭和の日」についてどう思っているのか気になる T です。こんばんは。

ちなみに俺は昭和天皇という人物を尊敬している。昭和55年生まれだから、崩御以外のリアルタイムの記憶はあんまりないけどね。

研究日記

1次抗体と反応させた組織切片を wash して 2次抗体と反応させる。検出までやりたかったが、それは明日を待ってテクニシャンと一緒にする予定。教育的配慮 (?) というやつ。

福岡で Dr. ヒゲマンとも話したことなんだけど、1人の研究員が 1人のテクニシャンに作業を教えたり丁寧なプロトコルを組んであげたりしながら実験するのと、研究員が 1人だけで集中して実験するのとでは、効率としてはそんなに変わらないのではないか、というジレンマがある。実験内容や、研究員およびテクニシャンの能力によって違ってくるとは思うが、「2人でやっても 1人でやっても一緒」問題についてはよくよく考えねばなあと、いつも思っている。

明日は動物実験を委託する業者の方と打ち合わせの予定。朝までには資料を作っておかないとなあ。

2008/04/28/Mon.

辛いものを食べると鼻の頭に汗が浮かぶ T です。こんばんは。

研究日記

大学院の教務に学振関係の書類を提出。M先生と研究員君のラボ (建物が改装されて今年度から真新しい内観になって羨ましい。しかも広い) でサンプルを受け取ってから職場へ。

午後からテクニシャン嬢と組織の凍結切片の作成。切片を作成して免疫染色するのはおよそ 20ヶ月ぶり。抗体反応の条件設定もあるので、今回は 2サンプルから数枚のスライドを作成しただけだが、本番は 28サンプルである。テクニシャン嬢が「うえー」と喚いていた。さすがに 28サンプルはリアリティがないな。14サンプル × 2回あたりが落とし所か。

切り出した組織を検鏡する。細胞が稠密に集合して組織が形成されている様はやはり美しい。この美を観察するためには細胞が単層となるように切片を薄くせねばならず、ゆえに少し難しいのだが、その価値はある。この種の美にはいつも敏感でありたいものだ。

切片はホルマリン固定し、1次抗体と反応させて終了。明日は休日だが、2次抗体を反応させる予定。動物実験の仕事もあるし、久々の休日出勤。6月初頭に国際学会の締め切りがあるので、GW 後は忙しくなる。今年度は俺もネタ切れ気味なので、頑張ってデータを出さないと国際学会は難しい。やはり年に 1度は海外に行きたい。昨年と一昨年は 2回ずつ日本を出た。

どうでも良いが、indirect immunostaining を "IIS" と略せば格好良いな。そういえば IFM というのもあった。Indirect flight muscle (間接飛翔筋) のことで、ショウジョウバエの研究でよく出てくる。この筋肉に異常が生じるとハエは飛べなくなるので、変異体のスクリーニングが非常に簡便である。

夜はセミナーで助教の先生が発表。その後、ボス、助教の先生、テクニシャン嬢と一緒にインド料理屋でカレーを食べる。ナンが旨かったが、異様に腹応えもあった。

2008/04/27/Sun.

GW はどうしようかなと考えている T です。こんばんは。

今週末も完全休養。やることがないし、やりたいこともない。MHP2G をプレイしながらネットでダラダラしている。気が付けば夕方とか、そんな感じ。食料はコンビニの麻婆豆腐。箸を付けられるかスプーンを付けられるか、それが週末最大のスペクタクル。死ね俺。

話を変える。聞くのも嫌な話題ってのは誰にでもある。が、情報というものはどこからともなく流れてきて自分の耳に入ってしまう。ちょっと前まで、聞きたくない話を聞かないようにするには、世の全ての情報を断つ、すなわち隠棲するくらいしか方法がなかった。昔の情報量は少なかった。テレビ以前のメディアといえば、ラジオ、新聞、それに書籍・雑誌くらいしかなく、しかも簡単に校閲される程度の量しかなかった。新聞は不愉快だから読まないと決めた途端、もう読むものがなくなった。情報的には完全に隠棲している。

ところがインターネットというものができて、どう考えても一人の人間には処理しきれないほどの情報が、濁流のごとく駆けつけてくるようになった。これだけの情報量があると、「自分に都合の良い話題」だけで情報処理能力を飽和させることができる。耳に心地良い話題しか聞かず、しかも情報的に隠棲することなく、何となく世間で起こっていることはわかるという、そんな生活。情報面に限れば、宦官に囲まれた中華の愚帝がごとき桃源郷、と言えないこともない。

RSS リーダーに、自分にとって好ましいサイトのフィードを数百件もブチ込めば、そのような情報環境を構築することができる。実際にやってみるとわかるが、至極快適だ。テレビや新聞など、数百万人を対象にしたメディアには雑音が多過ぎる。

「それではダメだろ」と否定するのは簡単だが、これまでに人類はそのような情報生活を送ったことがないので、実は何とも判断できない。いや、まァ、基本的にダメなんだろうけれど。

2008/04/26/Sat.

何で縦長の動画がないんだろうな、と思う T です。こんばんは。

前衛映画といったところで、しょせんは撮影装置や再生環境に左右されているわけで。

そういう意味で、実験小説の自由さには恐るべきものがある。俺が電子書籍に期待する一方で危惧を覚えもするのは、文芸の奔放さ (特に日本語の多様性。漢字とか、縦横入り交じり文とか) がデバイスの制約によって掣肘を受けるのではないかと思ってしまうからだ。しかし、俳句や短歌 (最近では携帯小説もこれに該当するか。まだ未熟ではあるが) といった、厳しい環境条件の中でこそ成立する文芸もあり、また日本人はこの種の芸術に才能があるので、新たな文学ジャンルが創造される可能性もある。

ゲームは、映像、音楽 (音声、効果音含む)、インタラクティブ性 (インターフェイス含む) など、それ以前の創作物を全て内包し得るメディアではあるが、ハードウェアに対する依存性が非常に高い。これは、ゲームが基本的にリッチなメディアだからである。PS3/Xbox 360 のマルチプラットフォーム化など、ゲームのハードウェア依存性は解消される方向に進化しつつあるが、まだまだ難しい部分もある (最先端のゲーム環境が PC へと移行しているのは「依存性の解消」という形でも理解できる)。ゲームというメディアでできることは多いけれど、では自由かといえばそれほどでもない。

以下メモ。

2008/04/25/Fri.

学生の T です。こんばんは。

自分でも忘れがちだが。

研究日記

職場近くの飲み屋がリニューアル・オープンしたので行ってみたら、経営者というか店の主人も変わっていた。のだが、内装はそのままでメニューも似ており、以前の店とはどういう関係なのだろうと気になった。

参加者は俺、テクニシャン嬢、研究員嬢、大学院の K先生、そして途中から隣の研究員嬢も参加。店の主人から「学生さん?」と尋ねられた女性陣は、「そんなに若くないですよー」などと応えている。実はオッサンである俺と K先生は大学院生なのだが、話がややこしくなるので黙っていた。

医者の大学院生は「バイト」と称して、勤務医ではなくパート・タイムとして臨床に携わり収入を得る。書類上は「アルバイター」になるんだろうか、医者なのに。などということを考えた。

俺は今学振の書類を書いているのだが、仮に採用されれば奨励金を受給するために病院のポストを譲り空けねばならない (収入のある人間に奨励金は給付されないので)。そうなればもはや社会人大学院生ではなく、完全に「学生」となってしまうのだが、別に「社会人」であることに拘りがあるわけではないので構わない。大切なのは自分の仕事を認めてもらい収入を得ることだ (研究職の場合、それが「報酬」でないところに話のややこしさがある)。学振 (DC) の採択率は 20% なので、今から皮算用をしても始まらないのだが。

大学院4年生の H先生は既に 2本の論文を publish しており、今年度いっぱいで卒業することが確定しているが、彼もまた学振の申請をしていることを大学の秘書女史から聞いた。博士号取得後なので PD ということになるが、臨床に戻らず研究を続けられるのだろうか。それとも留学されるのか。H先生は大変優秀な方であり、その去就が注目される。学振 (PD) の採択率は 10% 強とさらに厳しくなる。

臨床か研究か。H先生のような選択が許されるのは、俺が所属している科に沢山の医者がおり、臨床の人手が既に充分であるからだ。小児科や産婦人科など医者が不足している科では、どれだけ優秀でも研究に集中することなど許されず、大学院を卒業すれば必ず臨床に戻る、という話はよく聞く。これらの科では、大学院生は「学生」というよりも「大学から派遣される医師」としての業務が多く、大学院生が払底すれば過疎地域の医療は崩壊するとまで言われているらしい。

俺は何を呑気に学生などやっているのだろうか。そもそも「研究」という仕事自体が呑気ではある。小児科の医師が一人辞めるとその地域の子供と母親が困ってしまうが、俺が研究を辞めたところで誰も困らない。つくづく実社会から求められない職種だなと思う。まさしく虚業。それだけをもって研究を卑下するわけではないが、この問題に関してはいずれ自分の中で妥協なり決着を見出さなければと、常々考えている。時間はかかるだろうけれど。

一人の人間として誇りをもって仕事を続けるにはどうすれば良いのか。「好きなことをやる!」というバブル期のリクルートのような文言で自分を騙せる期間はそれほど長くない。

2008/04/24/Thu.

キャッシュ・カードを紛失したことに 1週間も気付かなかった T です。こんばんは。

俺の給料は銀行に振り込まれるが、生活費は主に郵便局で管理している。したがって給料日には、銀行で出金し郵便局の口座に入金するという作業を行う。1週間前も銀行の ATM で同様の操作をしたのだが、そのときに郵便局のキャッシュ・カードを置き忘れてきたらしい。銀行の職員がカードを郵便局に届けてくれ、郵便局はその旨を記した封書を俺宛に送ってくれた。が、郵便受けをチェックしない俺はそのことに全く気付かぬまま、1週間という時間が経った。そろそろ学費の請求が来る頃だ、という事情がなかったら郵便受けの放置期間はさらに伸びたと思われる。

2008/04/22/Tue.

3人兄弟の長子である T です。こんばんは。

兄だからといってエラいわけでも何でもないが、色々と思うことはある。まァそれは弟や妹も同じだろうけれど。

研究日記

ボスとディスカッション。先週の予備実験の結果などを報告。少なくともネガティブなデータではなかったから、やってみるかということで GO サインが出た。施設への動物搬入日や、業者の都合もあるから、実際にスタートするのは GW 後になるだろう。

先日から、研究員嬢もボスと直接ディスカッションするようになった。研究員嬢とボスとの間には助教の先生がいるので、彼女がボスの部屋へ呼ばれてデータの説明を求められることはこれまでなかった。ところで、研究員嬢は説明に詰まるとすぐに助教の先生や俺の方に視線をやり、ヘルプを求めるという悪癖がある。彼女自身に恐らく自覚はないだろうが、この無意識の甘えのせいで、彼女の研究に関するディスカッションはいつも彼女の頭上で交わされる。

「悪癖」と書いたのは、それが彼女の望む状態とは違う光景を現出するからだ。研究員嬢はどうも「自分は認められていない」という想いがあるらしく、いつもしゃかりきになって実験をしているが、肝心のプレゼンテーションが「う〜ん」「エヘヘ☆」の連発なので話にならない。これには、彼女が充分以上に美人であること、そして妹として生まれ育ったことが良くも悪くも関係していると俺は確信している (例えば俺が「エヘヘ☆」と笑っても気持ち悪いだけなので誰も望まないし俺もやらない)。まァどうでも良いのだが。得だよなあ、と思うことはある。男の長子として生まれた俺は、このような人種を羨ましく思い、自分の妹を想起したりなどする。

もちろん長子 (特に長男) には長子としての受益があったわけで、どちらが良いとか悪いとかいう話ではない。ただ、兄弟姉妹というパラメータがその人の人格に与える影響については、以前から興味がある。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

あと、あくまで個人的な観察を通しての感想だが、研究者には長男が多いと思う。

2008/04/21/Mon.

ここ最近、日記を書くのが億劫な T です。こんばんは。

どうも書くことがない。

忘れていたが、4月 18日にこのサイトも 6周年を迎えた。せっかくの記念日にウンコや鼻汁の話を書いてしまったことを悔やんでいる。

体調不良、食慾不振は変わらず。

職場のネットワークの調子が悪くてイライラする。「コンピュータやネットの不調でイライラするのは依存症であり精神病の一種」などと、鬼の首を獲ったかのように指摘する奴がいるが、これって相対的なもんだろ。現代人は水道から水が出なかったらイライラする。栓をひねってガスが出なかったらイライラする。100年前から見たら立派な依存症であり精神病だ。

それでも「水でイライラ」が「精神病」と言われないのは、現代ではそれがマジョリティだから。逆に言えば、「ネットでイライラ = 精神病」って、単なるマイノリティへの攻撃なんだよね。アホくさ。というか、危険な思想だよな。

2008/04/20/Sun.

遮光カーテンを買ってきた T です。こんばんは。

これでようやく書斎を遮光できた。本は焼けないし、テレビやパソコンの画面も視認性が向上した。何でもっと早く切り替えなかったのだろう。

カーテンを買ったついでに、新しい敷布団とシーツも買ってきた。以前の布団は、大学入学時から使っていたので、かれこれ 9年の付き合いになる。これまでの睡眠の 1/3 はこの布団の上でとった。睡眠時間を 6時間/日とすれば、全人生の 1/12 をこの布団の上で過ごしたことになる。なかなかの数字だ。

新しい布団は清潔で柔らかくて気持ちが良い。あまりに快適過ぎて何だか眠れなかったのは秘密だ。

2008/04/19/Sat.

なかなか風邪が治まらない T です。こんばんは。

今週末も土日は完全休養。クリーニング屋にズボンを受け取りに行って、あとは MHP2G をやり込む。窓際にテレビを置いているのだが、昼間からゲームをしているとカーテン越しでもかなりの日光が入射し、相対的にテレビ画面が暗くなる。やはり遮光カーテンにしないとダメか。

学生の頃は完全遮光のカーテンを使っていた。カーテンを開けない限り太陽が昇ったかどうかわからず、朝寝昼寝夕寝をするには最高だが、社会人でそれはマズいだろうということで、就職するために引っ越したのを機に普通のカーテンに変えた。光リセットの恩恵か、おかげで少しだけ朝に強くなった。

しかしまァ、書斎と寝室のカーテンを同じものにする必要なんてないんだよな。本が焼けるのがずっと気になっていたので、書斎は遮光カーテンにしようかしら。

2008/04/18/Fri.

下品な話が好きな T です。こんばんは。

散漫に尾篭な話を書く。

風邪の症状は治まらず。鼻水をパタパタと垂らしながらデスク・ワークをする。辞書を引くと "deskwork" と "desk work"、2種類の記述が出てくる。Google で検索してみると "desk work" の方が圧倒的にヒットが多い。使用頻度を量的に把握する目的で検索サイトを使っているのは俺だけではないはずだ。

「白痴的である」ことを示す漫画的な記号として、「鼻水を垂らしている」という表現がある。あれの原典は何だろう。赤塚不二夫のハタ坊あたりだろうか。しかし改めてハタ坊の画像を見てみると、彼は鼻水を垂らしてはいない。鼻と唇を結ぶ 2本の線は鼻水ではなく、どう見ても人中である。記憶だけで適当なことを書いてはいけない。調べてみるものだ。

年少の頃はいわゆる青っ洟で、鼻水にもやたらと粘性があったが、最近は水っ洟になってしまい、タラタラと流れるように垂れてくる。白血球が減ったからか。これは一般的な現象なんだろうか。「精液と一緒だな」というオヤジ・ギャグを思い付いたが、あまりにも下品なので中高年の方々に贈呈することにしておく。

「鼻をかんだ後でティッシュに出した鼻水を確認するか否か」についてはいずれアンケートを取ろうと思っている。俺は確認する。テクニシャン嬢達も確認するらしい。普通は確認すると思うのだが、どうだろう。「尻を拭いた後でトイレット・ペーパーに付着した便を確認するか否か」についても調査したいが、これはさすがに気が引ける。

肛門期という言葉があるように、排泄は基本的に快感である。少年達が熱心に鼻クソや耳クソをほじるのは、それが小児的快感と直結しているからだ。デカい鼻クソが取れたり、大きな耳クソを壊さずに取り出せたりしたときは達成感もある。排泄量と快感の強さには恐らく正の相関がある。大小便、目クソ鼻クソ耳クソ、鼻汁、精液、皆しかり。酒を飲む人ならば、盛大に嘔吐したときの奇妙な清々しさも知っているはずだ。胃液しか出ないような吐瀉に快感はなく、ただ苦痛なだけである。

店を閉めていた職場近くの飲み屋が、来週に新装開店するらしい。来週末には一度行ってみようということになった。

夜は O君と、1時間ほど Skype/Kai で MHP2G を遊んだ

2008/04/17/Thu.

Win - Win の関係というが、それは要するに当事者間に限定したときの話だよな、と思う T です。こんばんは。

第三者にとってはどうか、という。

研究日記

動物実験のための予備試験を行う。マウスの全血を抗体と反応させ、flowcytometry で血球の表面マーカーを観察するという実験。ありふれた系だが、実際にやるのは初めて。ポイントは、どれくらいの血球が取れるのか、抗体反応の条件、flowcytomery での展開の実際、というあたり。

大学近くの動物業者に赴き、実験計画について打ち合わせをした後、依頼していたマウスの全採血を行ってもらう。わがままを言って実験室に入り込み、採血の様子も見学させてもらった。たかが採血とはいえ、学ぶべきことは多い。何でも見ておきたい。

採取した血液を受け取り、大学へと持ち帰って解析した。結果はまずまず。

業者には「センセイに御足労願わなくとも血液だけでしたらこちらで採取して大学へお持ち致しますのにわざわざ恐縮でございます」みたいなことを言われた。この会社のポリシーは「先生方は頭、我々どもはその手足」らしいが、俺は先生じゃないし、手足としてボスから金銭を受領しているという点では業者と何ら変わりない。これから世話になる業者に足を運ぶのは当然のことであり、実際の実験で迷惑がかからぬよう気を付けねばならないのはむしろ俺の方だ。邪魔ではなかったろうか。

このあたりの匙加減は難しい。ミッションの遂行を至上命題とすれば、俺はサンプルの解析に専念し、少なくない金額が投入される動物実験が支障なく進行するべく各種書類を片付けるべきかもしれぬ。わざわざ業者を訪ねるなど無駄かつ野暮であり、向こうからすれば迷惑なだけかもしれない。それでも一人の実験者として譲れぬ部分が俺にもあるわけで、色々と考えることも多い。

雨の中を歩いたからか、少し風邪気味。

2008/04/16/Wed.

鼻水を垂らしている T です。こんばんは。

雨が降っているから花粉症ではないと思われる。

研究日記

ボスに送った manuscript が訂正されて返ってきた。俺が second author、下書きを書いた M先生が corresponding author になったいた。先日 accept された大学院の H先生の論文では、彼を指導した助教の先生が corresponding author だった。ボスはもう、corresponding author は要らない、ということなんだろうか。いずれにせよ寛容な話ではある。ボス曰く、「ワシはお金を取ってくる人、アンタらは実験して論文を書く人」。こういうキャラクターが「ボス」としてやっていくには重要なんだろうなあ。

論文が研究成果の果実であるとすれば、authorship はその分け前に相当する。Authorship を巡って醜い争いが……、という話はゴロゴロしている。俺のような雇われ研究員は論文を書かせてもらえない、なんてことも実際にはあるらしい。どうあるべきか、というのは一概には言えない。しかし、サイエンス以外のことで紛糾しているラボは長期的に見て成功はしない、という命題は真であるように思われる。

論文について、ボスの意向を汲んで色々と調べる。Biology 出身の俺はどうしても clinical な部分に疎い。勉強しなければなあ、と思わないでもないが、素人が時間をかけて下手に考えるより、餅屋に任せた方が良い領域であるようにも思える。ただ、「俺は医者じゃないので」が言い訳にならないようには気を付けている。

動物実験の方も準備を進めている。初めてのことが多く、手続き一つにもやたらと時間がかかる。「動物実験をやったことがないので」と言いたいところだが、そんなことでは何も捗らない。

「やったことがないので無理」という言説は撞着している。言い訳するのなら、もっとロジカルでスマートでユーモアのある文句でしたいものだ。

2008/04/15/Tue.

そりゃスネークも老けるよなあ、と思う T です。こんばんは。

研究日記

午前中に、動物実験についてボスとディスカッション。動物業者とも連絡を取る。メーカーの技術サポートには不明点を問い合わせた。大学の施設にも予約を取らなければならない。年度が変わったので、各種申請の更新状況も確認する必要がある。電話ばかりしている。

ボスが「二日酔いだ」と言ってソルマックを飲んでいた。アンタ、昨夜は腹の調子が悪いからとオレンジジュースを飲んでいたじゃないのか。

ここ数日、体調は低めで安定。適度に忙しい中を、できるだけ疲れないように考えて立ち回るのは何だかゲームのようで楽しい。限られた時間とライフ・ゲージを管理しながらミッションを遂行する、みたいな。

ゲーム日記

MHP2G は足踏み状態。帰宅したらとりあえず立ち上げるのだが、ひと狩りするたびに疲れてしまって、休憩と称しては他のことをする。モチベーションが上がってきたら、再び狩りに出かける。疲れる。また休憩する。この繰り返し。PSP は点けっ放しなので、プレイ時間だけは無駄に伸びている。

もう少し装備が整えばクエストもサクサク回せるのだが、そのためには狩りに出かけねばならないというジレンマ。

2008/04/14/Mon.

書類 + 実験のコンボが一番キツいと思う T です。こんばんは。

実験が忙しい方が、まだマシ。

研究日記

午後は研究所の会議。夜はラボのセミナー。大学院の K先生が発表。

今後の実験についてボスとディスカッション。動物実験を行うのだが、病院でするか大学でするかを検討する。実験は業者の技術員諸氏と行うのだが、どこまで作業を委託するべきか、などなど。もちろん全部やってもらうのが楽なんだが、金もかかる。俺が動物実験を organize するのは初めてで、わからないことも多い。

論文は、coauthor の 1本は書き上げてボスに送信済み。霊長類 ES 細胞の 1本はドラフトを書き終えた。マウス ES 細胞の 1本はこれから。学振の申請書類もそろそろ書き上げないと締め切りが迫っている。M先生の論文は今日、revised manuscript を resubmit したらしい。俺が解析した追加実験の結果はやや微妙だったが、大丈夫なのだろうか。気にはなっている。

終了後、ボス、研究員嬢、大学院の K先生、秘書女史と職場近くの焼き鳥屋へ。日付が変わる頃に帰宅。

2008/04/13/Sun.

「三十にして立つ」のとか無理だろって思う T です。こんばんは。

2週連続で土日完全休養とか何やって良いのかわかんねえよ。MHP2G やってるけど。ゲームってのは「もっとやりてえなァ」と思いながら睡眠時間と明日の活動を計算しつつプレイするからこそ面白いんであって、昼間から飽きるほどやってりゃそりゃ飽きるわ。

じゃあ調べものでもして論文書くかって話になるんだけど、普通そういう話にならねえよっていう。休日にやることなくてゲームに飽きたら仕事するってアタマ膿んでるのか俺は。自分にイラつくぜ。

で、おもむろに部屋を片付け始めたりするんだけど、各所に cluster を作って点在する本を書棚に押し込んだりして一掃すると、部屋から見事に小物感がなくなって途端に寒々しくなる。何かこう、もっと華やかさや彩りみたいなのはないのか俺の部屋には。すげェ仕事はしやすいんだけどって、だから仕事のことを考えるのは止めろボケ。

Why don't we do it in the road?
No one will be watching us
Why don't we do it in the road?

(The Beatles "Why Don't We Do It in the Road?")

とか意味ありげに The Beatles の歌詞を書いている俺は何なんだよ。幾つだよっていう。

2008/04/10/Thu.

正直、ニーチェなんて読んだことのない T です。こんばんは。

Web 日記

ジョー兄が Twitter を始めたので、時折 reply したりされたりしているが、程良いヌルさで楽しい。IM や Skype には結局、対話する両者が同じ時間にパソコンの前に座っていなければならないという制約が付きまとう。かといって掲示板システムではレスポンスの頻度が下がる。Twitter の、ツールを立ち上げておいて、気が向いたら reply するという適当さが良い。もちろん独り言の言いっ放しでも良いし、ROM 専門だって構わない。自由だ。mixi の「読み逃げ禁止」とかマジ勘弁。ニーチェじゃねえっつうの。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

(フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』)

私が現在使っている Twitter ツールは以下の 2つ。

それにしても Twitter で 100人以上を follow している人って、全員の発言を追えているのだろうか。いつも不思議になる。

2008/04/09/Wed.

労働は美徳でも罪悪でもないので、賛美したり否定するのは空しいと思う T です。こんばんは。

研究日記

研究費に不自由しているのでラボは奇妙にノンビリとしており、今年の GW はゆっくりしようか、などとガラにもないことを考えているが、特にやりたいこともなく、これは老化の第一歩ではないかと恐れたりもしている。

大学を卒業した妹が今春から大阪で働いており、一度その仕事ぶりと顔を覗きに行こうかなとは思っている。弟は 3年間の修業を終えて実家に戻っており、彼の顔を見に帰省するのも悪くない。しかし 2人とも商売をしているから、GW はまさに稼ぎ時であり忙しいかもしれない。

家が商売をしていたため、週末や祝祭日に休んでしかるべき・休まないのはおかしい、という意識が私には極めて希薄であり、これは弟や妹も多かれ少なかれ同じであろうと想像している。商いというのは右から仕入れた商品を左に流して利ざやを稼ぐ行為であり、収入の本質は手間賃である。だから商人という存在は歴史的に軽んじられてきた。現代の日本ではそういうこともなくなったが、色々と世の中が便利になり、手間賃を他人様から頂戴するにはよほどの便宜を計らなくてはならないようになった。皆様がお休みになられる日に店を開けて働くのは最も基本的な利便性の提供であり、商人が土日祝祭日に休むことなど許されない。

現代の研究は税金を初めとする他人様の金で行われることが一般的である。研究をして給料を貰うようになって 3年ほど経つが、いまだに私は、真っ当な資本主義経済に参加していないという劣等感から逃れられずにいるし、休日に羽を伸ばすことの罪悪感を拭うことができないでいる。損な性格だとは思うが、生まれ育つ過程で骨の髄まで染み込んだ労働観や金銭観を覆すことなど到底できそうにない。

「GW は○○へ遊びに行こう!」という惹句を見て私が想起するのは、GW 中に○○で働き、サービスを提供する側の人々のことである。少し前に「店員に『ありがとう』という人について」という話題が一部で盛り上がったが、私は必ず「ありがとう」「御馳走様」というタイプの人間であり、これまでそれが当たり前だと信じて疑ったことはなかった。この「ありがとう」議論については、そのような議論が成り立つこと自体に驚愕したものだった。私はそういう視点でしか社会を見ることができないのである。

理系 - 文系の間に横たわる大きな溝については様々なところで語られているが、商売 - 非商売の間にも巨大な隔壁が存在すると私は以前から思っている。なので、簡単に問題提起をしてみた。

以前にも少し書いたが、しかしこのことについては、これ以上話すことはないし、理解されたいとも思わない。また言うまでもないが、休日を楽しんでいる人を否定しているわけでもない。

2008/04/08/Tue.

Manuscript は serif 体で書かなければならないが、個人的には sans-serif 体の方が好きな T です。こんばんは。

PowerPoint などではいつも Arial を使っている。

研究日記

俺の論文が紙媒体で publish され、報告書に "in press" と書かずに済むようになった。Journal の巻頭では "Paper of the Week" として俺の論文が簡単に紹介されており、面映ゆいながらも誇らしい。

This facor is in part turned on through modification by its coactivator. However, the exact residues that receive these modifications were unknown, until this Paper of the Week by T and colleagues.

(固有名詞などを一部改変した)

外国人は褒めるのが上手いな。いや、むしろ英語の力というべきか。日本語にすると目も当てられない。

昨日の日記で「3本の論文を並行して書いている」と記したが、俺が first author の論文はその内 2本である。残りの 1本は coauthor として手伝っており、下書きがある状態から始めたので、「書いている」というのはいささか誇張になるが、論文の訓練としては充分に過ぎる。プレゼンテーションの練習は学会に参加することでいくらでもできるが、論文を執筆するトレーニングはなかなかできない。

論文を書かせてもらう、というのは意外と貴重な機会である。変な文章では accept されないし、だからといって妙な文章を訂正するくらいなら、一から書き直した方が早い場合が多い。したがってデキるボスほど、「論文は俺が書く。お前は figure を作ってろ」となりやすい。論文を書ける人材はいつも少ないので、その人に執筆の仕事が集中する。結果、書ける人はますます書けるようになり、書かない (書かせてもらえない) 奴はいつまで経っても書けるようにならない。

研究員君の論文は M先生が書いているらしい。研究員嬢は、「日本語で良いから書いてみて。助教の先生が英語にするから」とボスに言われている。「T さんは自分で書かされて大変ですねえ」などと同情されたりもするのだが、ねえ。

2008/04/07/Mon.

3本の論文を並行して書いている T です。こんばんは。

研究日記

研究費の申請が 2件、不採択になった。次の申請の結果が明らかになるのは 6月だという。獲得済みの競争的資金はまだ数百万円しかない。その他に病院から支給される研究費もあるが、人件費で吹っ飛ぶ程度の額である。とりあえず 6月までは論文を書いて過ごそうという話になった。ボスは楽観的な人物であるから、「どうしようエヘヘ」などと笑っている。

少し話は逸れるが、厳密に言うと、俺はボスの競争的資金で雇われているわけではない。病院では 1つのラボにつき 1人の研究員を雇用することができ、その給料は病院が負担する。俺はその研究員ということになっているので、俺への給料の支払いはボスの懐を痛めないし、ボスの研究費が枯渇しても俺の給料がなくなるわけではない。この研究員の任期は 3年である。俺が就任したのが 2006年 8月だから、任期は 2009年 7月までだ。ボスが俺に「来年度の学振を取れ」と命じたのはこのことと関係している。「Paper があれば DC は取れる」とボスは言うが、そんな簡単なものだろうか。学振が取れなかったら鴨川で乞食をする予定である。

俺以外の研究員、すなわち研究員嬢や研究員君およびテクニシャン諸氏はボスのグラントで雇われている。研究員嬢は「どうしよう」とオロオロしているが、彼女は結婚しているので乞食をしなくとも旦那が食わせてくれる。また、来年度になれば俺のポストが空くので、後任と目される彼女が実は一番安泰なのである。

夜はセミナーで研究員嬢が発表。その後、ボス、助教の先生、大学院の K先生、研究員嬢と一緒にいつもの焼き鳥屋へ。日付が変わる前に帰宅。

2008/04/06/Sun.

桜を眺めてきた T です。こんばんは。

ゲーム日記

この週末は MHP2G をやり込んでいる。ゲームは真剣にやるべきだが、必死になってはいけない。ところで、普段ゲームをやらない人の方がゲームに対して必死であるのは面白い現象だ。

俺は MHF・MHP2・MHP2G と女キャラでプレイしているが、いまだに「プレイヤーが男ならキャラクターも男に設定するべき」という意見を見かけて滑稽な気分になる。ゲームのキャラクターはプレイヤーの自己像の投影であるべき (そしてゲームとはそういうものだ) という考え方はむしろかなり幼稚であり、「ゲームと現実の区別を付けるべき」という愚かな主張とも整合性が取れていない。あまりに白痴的だ。

もちろん、自我をキャラクターに投影することを否定しているわけではない。RPG の原典はそこにある。しかしこれは、一部の私小説においては「私 = 作家」であるのと同じことで、「そういうジャンル」というだけの話に過ぎない。全ての小説で「私 = 作家」であるべき、と言ったらどうなるか。それこそ知性が疑われる。

少し話は逸れるが、ゲームの裏側にプログラムを感じ取れるかどうかでその受容の仕方が変わってくるんじゃないか、ということに最近気付いた。音楽を聴いて楽譜が思い浮かんだり演奏を想像できたりするようになると、その音楽に対する評価が変化するのと同じ。ゲームをプログラムと見れるかどうか、変数とアルゴリズムからなる系として実感できるかどうか。これはかなり大きいと思うんだよね。

例えば生物を分子機械として認識できるかどうか、遺伝を情報の伝達として理解できるかどうか、生命現象を化学反応として把握できるかどうか。頭で理解するだけではなく、実感として手に触れるように想起できるようになると、随分と生命観が変わってくる。もちろん、その見方が「正しい」と言っているわけではない。ただ、系に対する認識が異なると、全く別の景色が見えてくるということは再確認しておきたい。

2008/04/05/Sat.

Twitter での馴れ合いに興味はないが、気になる人の発言は読んでみたい T です。こんばんは。

Web 日記

ジョー兄が Twitter で独り言を呟いているようなので晒しておく。

2008/04/04/Fri.

今からすれば受験なんて本当にゲームみたいなものだったな、と思う T です。こんばんは。

研究日記

昨日の日記で書いた "DC2" とは、日本学術振興会特別研究員 (いわゆる「学振」) の区分の 1つである。詳細は以下のページから知ることができる。

日本育英会の奨学金制度が、奨学金とは名ばかりの単なる無担保低利子の借金であることは学生なら誰もが知っている。一方、厳しい審査はあるが、優秀な者には無償で研究奨励金と研究費を与えるという学振は、本来的な意味での「奨学金」 に近い。「学振を取りました」というのは一つのキャリアであり、学振は彼の優秀さを証明する制度としての地位を確立している。

ところで、学振の DC1 および DC2 (大学院博士課程在学者対象) の申請資格は、「3年制又は 5年一貫制の博士課程在学者」となっているが、給付される研究費には括弧付きで「(科学研究補助金)」と書かれている。果たして文系の学問領域で学振に相当する制度が存在するのか、私は知らない。

DC1 および DC2 の採択率が 20% 前後であることは既に述べた。博士号取得者を対象とした PD および SPD の採択率は 10% 強とさらに厳しくなる。ちなみに、2007年度の科研費の新規採択率は、新規採択 24200件/新規応募 99400件、すなわち 24% である。

科研費は自然科学系・人文科学系をひっくるめた制度だから解釈が難しいが、概ね上位 20% という把握で良いと思われる。他人様の金をアテにしようというのだから、このくらいの優秀さは求められてしかるべきだろう。それが税金であるというのなら尚更。

2008/04/03/Thu.

競争を全肯定しているわけではない T です。こんばんは。

研究日記

ボスから金欠警報が発令され、物品の発注は一時大本営の管理下に置かれることとなった。「給料の財源」問題、「消耗品と人件費」問題、「ラボの経営、統率、運営というのは小企業のそれに似ている」問題について独りで考え込み、勝手に心を痛める。

ボスから呼ばれて、「来年度用の DC2 に応募してみて」と言われる (この件は特に今回の金欠警報と関係はない)。応募するだけなら誰でもできるから否やはない。早速、募集要領をダウンロードして読んでみた。採択率は 20% 前後であるようだ。なかなか厳しい。

どこもかしこも競争である。参加することに意味はない。勝利することに価値がある。

2008/04/01/Tue.

顧みることの恐怖をおすそ分けしようと思った T です。こんばんは。

まだまだというべきか、早くもというべきか。