- K先生退官記念祝賀会

2008/03/22/Sat.K先生退官記念祝賀会

学部・修士で御指導頂いた K先生の退官記念祝賀会に出席した T です。こんばんは。

早めに起きて京都駅へ。土産を買ってから新幹線に乗り込んだ。

私が 6年間を過ごした街は大きく変貌していた。前回の訪問は 2005年 12月だから、この街を歩くのは約2年ぶりである。町並みだけではなく、キャンパスも小綺麗になっていて、どこぞの私立大学かと思った。近年、どの街、どの大学も似たような貌になりつつある。「学舎」という古き良き単語は、その実態とともに急速に廃れつつあるなあと感じたが、これには多分に個人的な感傷が含まれている。もちろん、変貌もノスタルジーも否定はしない。ただ、やはり少し寂しいことには変わりない。

ラボには昼頃に着いた。同期の留学生 F氏改め Dr. F、幹事の S君、初対面となる学部生数人、そして K先生の姿があった。連れ立って生協で昼食を摂る。懐かしい味だ。既視感という言葉はあるが、既聴感、既味感、既嗅感、既触感という言葉はないなあ、などと考えながら食べた。

K先生の部屋でコーヒーを啜りながら雑談に花を咲かせる。先日お送りした私の論文を随分と褒めてくれたのが嬉しかった。就職をして、研究をして、論文をまとめて——、その過程で随分と私も変わった。学生の頃は生意気ばかりを言って御迷惑をおかけしたなあと、ただただ頭が下がるばかり。

K先生の退官に伴い、ラボは解散というか何というか、とにかく後から誰かが部屋を使う予定は今のところないという (人員削減のため新たな教官の着任はないらしい)。高価な実験機器、貴重なサンプル、汎用的な器具類、数々の事務用品——、1つの歴史あるラボを構成するこれらの物品はどうなるのだろう。来週には卒業式もあり、ラボのメンバーは新しい生活に向けて動き出す。現在の私の出発点がこのまま消失してまうのかと思うと、やはり色々と考えてしまう。このことについては後段で補足する。

Dr. A が奥様と娘さんを連れて来られた。中庭で逸早く咲いている桜を背景に記念写真を撮影。まったりとした中庭の雰囲気は変わっていない。

余談になるが、Dr. A の奥様は、私と Dr. A の年齢差が 2つくらいであると思ったらしい。どう計算しても 8つです。本当にありがとうございました。……いや、待て、逆に考えるんだ。それだけ Dr. A、つまり自分の旦那が若々しいと言いたかったのではないか? どう考えてもノロケです。本当に御馳走様でございました。

時間が来たので会場となるホテルへ移動。ロビーで K君と合流。彼が Dr. A のお嬢さんを眺める目付きを見て、社会の安寧のため、そして不肖の先輩として、いつか必ず彼には誅を下さねばならぬという決意を新たにする。

会場に続々と人が集まってくる。Dr. T、Oh!氏、お魚女史、Dr. ヒゲマン、N.N.嬢、O君などなどの一緒に研究をした面々。それから、かねてより噂を伺っていた先輩方。研究をしている、あるいは広い意味で研究と関係のある仕事に携わっている多くの方々を見て、改めてこのラボの濃さを感じた。

形式ばらない、和やかな雰囲気で会は進行した。参加者全員の近況報告の後で、K先生が最後のスピーチ。「ラボはなくなるが、これを『背水の陣』と思って、それぞれ独立して頑張って下さい」という言葉が身に沁みた。研究をしている面々には、特に重たい言葉である。

ホテルでのパーティを終え、二次会が開かれる居酒屋に移動。雑談を諸々。

初対面のチェリー嬢は、4月から京都で大学院生となるらしい。幹細胞をやりたいという彼女の引っ越し先は、我が家の目と鼻の先。確かに、大学に通おうと考えて下宿を探したらこの辺りになるよな。

O君は MHP2G を購入して Xlink Kai に接続したら私に連絡すること。

来週末、私は福岡の学会に参加するので、Dr. ヒゲマンは私を部屋に泊めてくれること。

その際は K君も博多に馳せ参じること。

Dr. A は教授になったら私を雇うこと。

——などなどを約束してもらった。とても嬉しい。これも全て K先生の人徳のなせる業である。

御退官おめでとうございます。