- 慾

2007/12/15/Sat.

先日の日記の枕について捕捉すると、要するに「おもてなし」というのは人的サービスのブランド名であり、それゆえ値段も張るというだけのことであって、決して特殊な精神があるわけではない、ということが言いたかった T です。こんばんは。

これは以前にも書いたかもしれない。携帯端末用に shuraba.com Mobile というページを用意して、最新のエントリーをできるだけシンプルに表示しているが、CSS および Javascript が効かないブラウザ (つまり携帯電話でのデフォルト) で見ると、現在のトップページもほとんど Mobile 版と同じように表示される。サイト内の全ページが見れるので、携帯電話でも普通に shuraba.com にアクセスして頂いた方が便利かもしれない。という提案。

研究日記

論文を revise するための実験で頭と胃を痛めている。年末年始はゆっくりとしたいが無理かもしれない。とはいえ、あまり深刻に考えないようにはしている。論文が落ちたところで死ぬわけではない (遠回しに自分の首が絞まる可能性はあるが)。以前ならこういう状況では頭がカッとしたものだが最近はその頻度も減ったように思う。良いことなのかどうかはわからない。

禁欲と求道

「ストイック」という語はしばしば「禁欲的」と訳されるがこれはいかがなものだろう。凡夫の発想のようにも思える。ストイックな人は別に欲望を封じているわけではなく、むしろ自らの欲望に愚直なまでに忠実なだけではなかろうか。ただ、その欲望の種類が一般的なものではないから、他人の目には激しく己を律しているように映る。というわけで、「ストイック」は「求道的」と訳すのが相応しいように思える。道を求めるのは欲に他ならない。

出家という行為を考えよう。求道のために家族すら捨てるわけだが、これも別に禁欲しているわけではなくて、悟りを得る (という欲) のために一般的な生活では常識とされる家族とのコミュニケーションすら捨て去る利己的かつ反社会的な行為である。という具合にも解釈できる。そしてひたすら修業する。これのどこが自己管理か、と言えなくもない。もちろん、それが悪いと主張するつもりもない。

「好きなことをやるために我慢する」という言い種は実に根本的な矛盾を孕んでいるが、何故かそのことに気付く人は少なくて、私もついうっかりと使ってしまう。これは欺瞞である。自分の価値観でさえその程度の曖昧なものなのだから、あまり難しく考えるのはよろしくないだろう。