- 能動的に楽しむ前段階としての渇望

2007/11/21/Wed.能動的に楽しむ前段階としての渇望

吉田戦車『伝染るんです。』を大人買いしてきた T です。こんばんは。

本でも漫画でもゲームでも何でも良いんだよ。楽しい時間を過ごしたいだけ。

情理は結果であって現象ではない

情と理などといったところで、しょせんは脳髄を走る電気にしか過ぎなくて、情を理で割ることもできるし、理から情を感じることもできる。数学者が数式を美しいと感じるのはその典型だろう。もちろん双方の交換・交感が無理なこともあるが、それは両者が遠く離れているからであって断絶しているからではない。ある程度の役割分担はあるのだろうが、峻厳な区別があるようには思えない。数学者には数式と美が (恐らく位相的な意味で) 近しくあるのだろうし、そうでない人はまた別な構造の脳を持っているのだろう。情理二面から脳を解くのは、心身二元論の新しい同工異曲のような気がしないでもない。

MRI の画像やら脳波計のグラフやらを持ち出し、情と理をいかにも科学的に説明しようとする言説に限って、感情とは何か、理性とは何かを定義しない。臨床はあくまで「ある 1例」にしか過ぎなくて、私の頭が貴方の頭と同じであることを保証するものではない。それが複雑な現象であればあるほど。

そもそも「この感情」に対応する「脳の活動」を見出そうとする方法が本末転倒なのではないか。脳髄の特定の活動に対して便宜的に何らかの付箋を貼る、それを情と呼び理と表しているのであって、その逆ではない。情理は結果であって現象ではないのだ。「怒っているときに脳波はこうなっています」という説明は、どう考えても順番が逆様だ。まず最初に情やら理やらを出してしまうのは、脳に前提する心を仮想していることに等しい。だから心身二元論なのだと先に述べた。別にそれでも構わないが、自覚せずに論を振り回すとよくわからないことになる。

などということを最近は考えている。証拠のないことばかりだが。あはは。

ゲーム日記

「アサシンクリード」がスゴく面白そうだ。アクティブな MGS みたいな感じか。先日紹介した「HEAVENLY SWORD」もそうだけど、次世代機のためにじっくりと開発したことが伺えるクオリティである。「Oblivion」もそう。PS3 の和ゲーはまだ「真・三國無双 5」しかやっていないけれど、もう日本のゲームが (少なくともコンシューマでは) 世界一、と強弁するのも本当に無理になってきた。悲しいことである。これから出る日本のタイトルで世界的に売れそうなのは「Devil May Cry 4」「METAL GEAR SOLID 4」くらいか。日本の底力と巻き返しに期待したい。

「アサシンクリード」が 18禁というのは極めて興味深い。日本のメーカーなら売り上げを気にして表現を抑えようとするだろうが、海外では「面白さ」を求めて 18禁を選ぶ。この違い。この傾向が続くならば、いずれバイクと同じ道をゲームも辿るようになるんじゃなかろうか。つまり、日本国内の自主規制が厳し過ぎるので、海外で開発・生産して逆輸入というパターン。それで面白いゲームができるのならば構わないけれど。

次世代機で映像のリアリティが格段に向上すると、これまでは引っかからなかった描写でも年齢制限がやかましくなる可能性がある。ただの虫だって、リアルに表現すればそれなりにキモい。アクション・ゲームがリアルになればなるほど、中身は同じでも見た目は残虐になっていく。そのときにどうするのか。ちゃんと考えているのかなあ。