- 俺の紅葉狩り

2007/11/20/Tue.俺の紅葉狩り

『蒼天航路』を読破した T です。こんばんは。

ここ数日は早めに帰宅して料理を作って『蒼天航路』を読み耽っていた。そして早寝早起き。平和じゃのう。

今年は紅葉がイマイチらしいが、確かに私の周りでも、緑の葉を残したまま一部だけが色付いて散り始めるという不細工な光景が目に付く。しかしまァ、樹は美しくあろうとして葉を色付かせているわけではない。この点、花弁と紅葉は決定的に異なる。花はエネルギーを使った色素の合成によって色付くが、紅葉の色は葉緑素が分解され老廃物が蓄積されることによって人の目に届く。まさに生 (性) と死。アポトーシス (apoptosis) の語源が「落葉」であることはもっと知られても良い。

『蒼天航路』は大人買いによって手に入れたのだが、改めてみると第12巻だけが歯抜けになっていたので、欠番を埋めるために日曜日は本屋に出かけた。しかし近場の本屋に求むる巻はなく、店から店へ、思わぬ (というほどでもないが) 遠征となってしまった。某大学の近辺まで足を伸ばして、そういえば例のバーのバイト嬢はこの大学で庭の研究をしているとか言っていたなあ、などということを思い出す。

ところで、自分の名前を検索すると同姓同名の方が 1人ヒットするのだが、彼もまた庭の研究をされておられる (現在そのページはなくなっているが)。庭の研究ってメジャーな分野なのだろうか。あと、庭というのは建築に分類されるのだろうか。石庭ならばともかく、花や樹は日々移ろいゆく。その点、千年に名と形を残す芸術とは違う。むしろ賞味期限の長い料理に近いような気もする。また、どういうキャリアを積めば作庭できるような人間になれるのだろう。この世は自分の知らないことばかりだ。

そんなことを考えながら落葉を眺めていたのだが、それにしても地面がアスファルトだと葉を落とす意味が半減するな。土に還らぬ葉を愛でて「紅葉狩り」というのは、いささか偽善的であるように思う。上ばかりを向いて歩いていると、いずれ地面に蹴躓 (けつまづ) くぞ。