宮沢賢治『雨ニモマケズ』(まァこれもタイトルではないのだが) のハイライトは、どう考えても最後の「南無妙法蓮華経」だろ、と思う T です。こんばんは。
それにしてもスゴい字だ。
もっと簡潔に書きたい。と定期的に思う。文章量と情報量は必ずしも比例はしないが、基本的には正の相関関係にある。書きたいことが沢山あれば、必然的に文章量は多くなる。それでも構わない。私が望む簡潔というのは、むしろ印象の問題であって、切れ味と言い換えても良い。
ここで、「切れ味が良くなるとどうなるのか。何故それを望むのか」という素朴な疑問が出てくる。年々、こういう純朴な問い掛けが貴重に思えてくる。世知に長けてくると、この種の引っ掛かりを自動的に端折ってしまうようになるのが悲しい。感性の劣化である。なので、このような質問を運良く思い付いたら、ゴチャゴチャと理屈をこねず、素直に考えるようにしている。
さて、今回の質問に対する答えは、「頭が良さそうに見えるから」である。要するに単なる見栄。まことにつまらない。
日々の生活において、自分が血道を上げているその動機が、存外と下らないものであることは多い。それが普通だと思う。重要なのは、そのことに気付いた後だろう。手の平を返したように否定するのは簡単だし、反論のための反論を構築して自らを保守することも容易である。居心地もよろしい。
けれども、そのような断続や硬直を繰り返してばかりでは何も進まないんだよね。しなやかで強靭な精神でありたい。なかなか理想通りにはならないけれども。