- 博士の愛した文章

2007/09/29/Sat.博士の愛した文章

書いてあることが面白いのと、文章が面白いのとは、別のことであると思う T です。こんばんは。

先程から部屋のどこかで微かな異音がしている。カリカリガリガリという、ハードディスクの読み込み時に聞こえるような音。あるいは炭酸酒がプツプツと泡を出している音に聞こえないこともない。音源を探しながら部屋を歩き回っているが、どこから聞こえてくるのかわからない。いい加減に飽きてきたので日記を書く。

急に涼しくなってきた。「秋だねえ」などと言いながら、研究員嬢と実験に励む。これから 1ヶ月余りの間に、中国とアメリカの学会で発表せねばならない。慌ただしいことである。

筒井康隆『笑犬樓の逆襲』が契機となって、再び本を手に取り出した。ゲームに現を抜かしている間も、面白そうな本は買い溜めしていたから、当分は読むものに困らない。むしろキチンと消化できるかが心配だ。

それとは全く無関係であるのだが、以前にも紹介したことのある坂口安吾『風博士』の冒頭を引用する。

諸君、彼は禿頭である。然り、彼は禿頭である。禿頭以外の何物でも、断じてこれある筈はない。彼は鬘 (かつら) を以て之の隠蔽をなしおるのである。ああこれ実に何たる滑稽! 然り何たる滑稽である。ああ何たる滑稽である。かりに諸君、一撃を加えて彼の毛髪を強奪せりと想像し給え。突如諸君は気絶せんとするのである。而して諸君は気絶以外の何物にも遭遇することは不可能である。即ち諸君は、猥褻名状すべからざる無毛赤色の突起体に深く心魄を打たるるであろう。異様なる臭気は諸氏の余生に消えざる歎きを与えるに相違ない。忌憚なく言えば、彼こそ憎むべき蛸である、人間の仮面を被り、内にあらゆる悪計を蔵すところの蛸は即ち彼に外ならぬのである。

(坂口安吾『風博士』)

引用に特に意味はない。愉快であるから御紹介した。特に「一撃を加えて彼の毛髪を強奪せり」のあたりなどは爆笑である。

次は、夏目漱石『吾輩は猫である』の一場面で、猫が風呂屋を覗いたシーンである。

こちらの方では小桶を欲張って三つかかえ込んだ男が、隣の人にシャボンを使え使えと言いながらしきりに長談義をしている。なんだろうと聞いてみるとこんなことを言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は切り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものができたんだ。どうもシナじゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内 (わとうない) の時にゃなかったね。和唐内はやっぱり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷から満州へ渡った時に、蝦夷の男でたいへん学のできる人がくっついて行ったってえ話だね。それでその義経のむすこが大明を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使いをよこして三千人の兵隊を借してくれろと言うと、三代様がそいつをとめおいて帰さねえ。——なんとか言ったっけ。——なんでもなんとかいう使いだ。——それでその使いを二年とめておいてしまいに長崎で女郎を見せたんだがね。その女郎にできた子が和唐内さ。それから国へ帰ってみると大明は国賊に亡ぼされていた。……」何を言うのかさっぱりわからない。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

夏目漱石を主人公にした、島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』も面白い。ロンドンに来たばかりの漱石が、イギリス人を観察した部分が以下である。

当初、この異人たちが皆シルクハットをかぶっているのでずいぶん驚いた。貴族から煙突の掃除人にいたるまでこれをかぶっている。ある時は、裏街で自分に一ペネーくれと言った物乞いまでがシルクハットを愛用していた。

女たちは、頭に軍艦を載せたような、飾りがたくさんある重そうな帽子を着用し、道をひきずるほどの長いスカートをはいている。顔の前に網を垂らしたレデーもいた。まるで角兵衛獅子である。自分は最初、あれは蚊よけの蚊帳のようなものなのかしらんと考えた。これが当世風のお洒落と見える。

(中略) (自分が) 背が低いのにも閉口する。女でさえ自分より背の低い者は少ない。男たちとなると、まるで二階に頭が載っているような印象である。自分は軒下をこそこそ歩くような気分で擦れ違う。

(島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』)

引用ばかりしても仕方がないので、このへんで終わることにする。まァ何だ、私はこういう文章が好きなのである。