- Diary 2007/07

2007/07/31/Tue.

ロジカルなゲームとして、思ってもいないことを主張してみたりすることもある T です。こんばんは。

格差は縮まっていると思うよ

人々の間で格差が広がっているとは僕には思えない。人間の歴史は階層間の格差が縮まる方向へ常に進化している。少なくとも、大局的にはそうだ。まずその事実を認識しよう。

階層間の格差が認識され始めたのはほんの最近のことである。前近代的な「格差」とは、それが格差とすら認識されないほどに徹底されていた。すなわち、侍は何世代も前から侍であり、農民も同じく何世代も前から農民だったのである。それが「当たり前」、お上に反論するなんて「とんでもない」、身分の違う者同士が結ばれるなんて「もっての他」。これが「格差」というものであった。

格差はずっと以前から厳然と存在しており、我々はようやくそのことに「気付いた」。だから「格差が拡大している」ような錯覚に捕らわれるのである。これまで一部の人間の間で秘密にされていた情報が、ネットなどで大量に流れるようになった。我々は少し賢くなって、格差の実態に気付き始めたというのが本当のところだろう。

数字は想像力を広げると思うよ

数字が想像力を妨げるなんて僕には思えない。クリエーターの側からすれば、具体的で緻密な想像をしないと数字は出てこない。消費者の側からすれば、数字によって想像力が膨らむ。数字はある一点を明確に指摘する。数字に実感を覚える者は、そのポイントを足がかりにして、前後左右にさらなる想像を広げることができるだろう。

数字によって想像力を妨げられる人間は、単に、数字に対する感受性がないだけなのだ。普通、そういう状態を「想像力がない」という。ちょっとした想像力があれば、このことが理解できるはずだ。

想像とはボンヤリしたものではない。ディティールに神は宿る。細かいネタほど面白いのだ。数字が読めないと、脳裏に像は結ばれない。

「数字によって想像力を妨げられる」のは、想像力がないからだと思うよ。

2007/07/30/Mon.

今日は移動が多かった T です。こんばんは。

私が昨日の選挙に投票したのかどうか、それは書かないでおく方が、以下の議論を客観的に読んで頂けるのではないかと思う。

投票は手段であって目的ではない。投票は、「民意を問う」という民主主義の目的を達成するための手段である。目的を達成したいのならば手段の改善に手を尽くすべきだ。「とにかく投票に行け」という自己目的化は、「とにかく残業しろ」という言葉によく似ている。業績が残業以外の手段で容易に向上する (し得る) ことは、皆さんよく御存知だと思う。投票率も同じなんじゃないか。

投票は権利であり、その中には「棄権」という選択肢も存在する。明白に棄権を表明するには白票を投じるのが正式なのだろうが、「白票を投じる価値もない」というのもまた「意見」である。「貴様など刀の汚れだ。斬って捨てるまでもない」ということだな。要するに、投票率 60% は棄権率 40% と同意である。これもまた民意だ。ただ、棄権した人はテーブルを立っているので、彼らの意見は無視される。それはそれで当然だと思う。

民主主義の目的は「民意を問うこと」だが、これはまた同時に、単なる政治の一手段でもある。民意に沿うことが政治的に賢明なのかどうか、これは古来から議論が別れるところだ。そしてまた政治も、ある目的に対する一つの手段に他ならない。「私は幸福になれるか?」。政治が良くなることと、私が幸福になることは必ずしも同値ではない。私が幸福になる政治 = 良い政治だと定義するのは勝手だが、普通、そういう概念を「政治」とは呼ばない。

投票に行くのをサボって、漫画を読んだとしよう。その漫画を読んだことで私の世界はグッと広がるかもしれない。あるいは私が投票しなかったばかりに、私にとって不利な政策が通るかもしれない。どちらも可能性の問題である。冷静に考える限り、前者の方に分がある。恐らく昨日の日本列島で、投票に行った人よりも、行っていない人の方が幸福だった確率は高い。

といっても、これは「棄権のススメ」ではない。投票はした方が良いに決まっている。当たり前のことだ。だからといって、投票しなかった人を責めるべきではないし、投票しなかったことを恥ずかしがる必要もない。まァ、投票しなかった人は政治にあれこれ文句を言うべきではないと思うけれど。ルールを変更したかったら、現行のルールに則ってアクションを起こすべきだ。それが政治の唯一のルールである。この手続きを踏まないとテロリズムになる。テロはよろしくない。

以上、「とにかく投票」という主張について議論した。投票するかどうかは自分で考えて決めれば良い。自分の考えを行動に移すのが政治の第一歩である。ただ、政治的であることが私の幸福に直結するかどうかはわからない。自分の幸福を求めることが正しいかどうかもわからない。難しいね。

2007/07/29/Sun.

滅多に政治の話は日記に書かない T です。こんばんは。

今日は参議院議員選挙である。結果は自民党の敗退。民主党が躍進した。

虚心になって各党の主張に目を通してみたが、一番まともなことを言っているのは、新風と共産党のように思える。ところが現在の日本では、彼らに「極右」「極左」というレッテルが貼られてしまう。新風に至っては一般的なメディアでは完全に無視である。これって選挙法違反ではないのか。そう思うのでリンクを張っておく。

自分の能力を恃む職業に就いている私は、共産主義に賛同できない。でも、日本共産党は嫌いじゃないんだな。21世紀にもなって、資本主義経済の大国でこれだけ共産党が頑張っているのは日本だけじゃないか。ほとんどギャグだろ。でも彼らはギャグではなくマジでやっている。これが良い。古式ゆかしい日本人の範であるとすら思える。「確かな野党」と、自らの存在を自覚しているのも好感が持てる。どうせ政権は取れるはずがないから応援できるという、この逆説。野党としての野党、プロ野党としてこれからも頑張ってほしい。

この日記を書いている時点では、まだ全ての議席が確定したわけではないが、新風は少し残念な結果になりそうだ。これに懲りず、活動を続けてほしい。ただ、新風に流れる票は、元は自民党にあった票だと推測される。これから新風が大躍進して自民が衰退すると、民主が漁夫の利を得る形になる。自民の保守派は、新風と接触するべきだろう。安倍総理や麻生外相はやってみたらどうか。人気も回復するぞ。下らないタレント候補を立てるよりは、よほど効果がある。

あとは「理系党」が出てほしいな。年金問題とかあり得んだろ、理系的に考えて。理系の政治家って誰だろう。民主党の菅直人は東工大理学部応用物理学科、鳩山由紀夫が東大工学部計数工学科 (スタンフォード大 PhD)、共産党の不破哲三が東大理学部物理学科、志位和夫が東大工学部物理工学科。意外とトップにいるものだ。いささか偏っており、さらに民主の 2人からは理系っぽさを感じないけれど。共産党の 2人はさすがにロジカルだな。マルクスも哲学者だった。

日本が平和で豊かな内は、どちらにせよ大きく変化はしないのかな、と思う。今回はしょせん参議院、という事情もある。それから、投票率を上げたかったら、早くネットで投票できるようにしような。

2007/07/28/Sat.

板垣恵介先生の新連載が楽しみな T です。こんばんは。

連載が再開された井上雄彦『バガボンド』が、最近ますます神がかっている。マガジンは『はじめの一歩』くらいか (しかも休載がち)。ジャンプも終わっている。

読みたい連載だけを集めたオーダーメイド雑誌をネットで配信、というシステムができたらなあ。黄金期のジャンプのように、「全ての連載の続きが楽しみ!」という雑誌を手に取りたい。

話を変える。

私は「漫画」という表記を使っている。これは、戦前の非常にプリミティブな漫画や、ジョルジュ・ビゴーの政治風刺画 (日本史の教科書に必ず載っているアレだ) のような 1コマ漫画までをも含んだ概念、として使っている。実際、これらの漫画は当時も「漫画」と書かれた。もちろん、現代的なコミックも「漫画」に含まれる。

手塚治虫は「マンガ」という表記を使った。彼の自伝のタイトルは『ぼくはマンガ家』である。手塚が目指した「マンガ」には、風刺画や安直な 4コマは含まれていない。初期の彼が力強く提唱したのは「ストーリー漫画」であり、これがいわゆる手塚のいう「マンガ」であると理解して良い。この思想の系譜は大友克洋『AKIRA』によって完成を見るというのが一般的だ。実際、手塚は大友に最大級の賛辞を贈っている (そして大友は『AKIRA』を手塚に捧げている)。

手塚治虫が目指した「マンガ」が、実はアニメーションの妥協であり、アニメもまた映画の代替であったことはよく知られている。「マンガはアニメの資金を稼ぐために描いている」という手塚の言は有名だ。大友がアニメーターでもあることは興味深い。一般的に、アニメや映画が成立するには物語が必要だ。だから「マンガ」と「物語」には密接な関係がある。

手塚の系譜が大友で完成するのは、これ以後、「マンガ」が再び分業体制へとシフトしていく傾向を見せたからではないか。漫画家の画力の向上には目を見張るものがある一方で、「マンガ」を描けない漫画家が多くなった。「1枚絵を描かせたらメチャクチャに上手いが、コマ割もできずストーリーも作れない漫画家が増えている」という事実は、大塚英志がよく指摘している。と同時に、「マンガ」という表記もあまり見かけなくなった。

まァ、現状において漫画を分類するのは下らないことだと思うけれど。手塚治虫論は一度書いてみたいけどね。調べることが多過ぎて、総論は無理だと思うが、各論をコラム程度にまとめるくらいはできるかもしれない。

2007/07/27/Fri.

宇宙のことを考えると怖くなる T です。こんばんは。

誰でも経験はあると思うけど。

イオから見た木星の大きさ

最近、一番怖かった写真がこれ。木星および、その衛星イオ (左) とエウロパ (右)。

木星および、その衛星イオ (左) とエウロパ (右)

何が怖いのかって? ひょっとしてイオの空は木星でいっぱいなんじゃないか——。この想像が私の背筋を総毛立たせるのだ。計算してみよう。

太陽の直径は 1.39 × 106 km、地球の公転半径は 1.50 × 108 km。だから、1.39 × 106 / 1.50 x 108 = 0.93 x 10-2 で、これが「地球から見た太陽の大きさ」の指標になる。

さて、木星の直径は 1.43 × 105 km、イオの軌道半径は 4.22 × 105 km だ。これだけ値が近いと、「中心点間の距離」に占める「木星の厚み (半径)」が無視できなくなるが、まずは計算してみよう。指標は 1.43 × 105 / 4.22 × 105 = 0.34 である。「地球から見た太陽」の約36.6倍というわけだ。

ここからは知識が曖昧なのだが、確か地球から見た太陽の視野角が 0.5度だったと記憶している。ということは「イオから見た木星」の視野角は 0.5度 × 36.6 = 18.3度。天球を覆い尽くすまでには至らないが、それでも想像できない大きさである。

大赤斑なんて恐ろしいデカさで見えるんだろうなあ。絶対に見たくない。考えただけでも怖い。イオにだけは住みたくない。

2007/07/26/Thu.

今週はよく外食をした T です。こんばんは。

携帯電話日記

携帯電話の電池が 1日毎に底を突く。機種変更をしたのが 2年 3ヶ月前だから、もう寿命なのか。やわなデバイスだなあ、と思う。携帯電話というハードウェアに対する考えは、前回の機種変更のときからほとんど変わっていない。中途半端。それに尽きる。そして全てが遅い。イライラするのでなおさら使わなくなる。

iPhone でも触れば、考えが変わるのだろうか。「昔はこういうもの (iPhone) を作るのは SONY の役目だったんですけどね」と、助教の先生がおっしゃっていたのが印象的だった。

ゲーム日記

MGS4/PS3 の次は、バイオハザード 5 のスクリーン・ショットが公開になった。何だかもう別のゲームのような気もしないではない。カプコンのゲームは基本的に面白いんだけど、続編が劣化コピーに堕するきらいがある。今はハードウェアの移行期であるが、これがどちらに転ぶかはまだよくわからない。

食事日記

テクニシャン嬢 2人と居酒屋で晩飯。彼女達は魚をあまり食べないらしいのだが、この店の魚は美味いのでよく食べる (というか、魚しか出てこないわけだが)。京都の店で出てくる魚は、大阪から仕入れたものだろうか、北 (舞鶴あたりか?) から仕入れたものだろうか、という話になった。私はずっと、瀬戸内海に面した地域に住んでいたので、魚の心配をしたことがない。

最近つくづく思うのだが、日本食って美味過ぎだろ。

2007/07/25/Wed.

今夜は少しゆっくりできた T です。こんばんは。

ゲーム日記

MGS4/PS3 の playable presentation が公開されているが、画質スゴ過ぎだろ。何だかんだいって、やっぱり PS3 なのかなあ、と思う。これを実際にプレイした後、それでもまだ Wii や XBOX で遊ぶ気になれるだろうか。断っておくが、私は SONY の信者でも何でもない。ただただ、スゴいゲームで遊びたいだけである。

今日は MHF で少し遊んだ。大型アップデートがあったようで、色々と機能が拡張されている。オンライン PC ソフトならではだよなあ。こうやってプレイヤーはドツボに案内されるわけだが。まァ、同じアホなら踊らにゃ損、ということで。

2007/07/24/Tue.

2日続けての飲み会で少々疲れた T です。こんばんは。

隣のラボがアルバイト嬢を雇ったらしい。18歳という話だったが、ということは昭和六十四……平成元年生まれかっ! 平成生まれが大学生。先日誕生日を迎えたときは何とも思わなかったが、この事実を突きつけられた瞬間、「俺もオッサンだなあ」と心の底から思った。

そんな私も大学院では最年少である。

今夜は大学のラボの納涼会ということで、鴨川の川床で飲んできた。栄転される先生の祝賀会・兼・大学院の新入生歓迎会でもあったので、今年度に入学した私も一言挨拶させて頂いた。

川床は風情を楽しむもので、実際にはそれほど涼しくないんじゃないの? という人もいるけれど、これが驚くほどに快適であることは昨年に知った通り。大勢の場合は難しいかもしれないけれど、個人的に行くなら、少し遅めの時間からゆっくりと食事を楽しむのがオススメである。

2007/07/23/Mon.

MHF で寝不足気味の T です。こんばんは。

本は電車の中で読んでいる。

研究日記

久し振りにボスと焼き鳥を食べに行った。ここの焼き鳥は本当に美味い。他の店で食べられなくなる。店内にはいつも、The Beatles 専門の有線が流れている。これも私にとっては高ポイントだ。ボスもときどき口ずさんだり、The Beatles の話をしたりする。彼の生年は The Beatles の解散後だったはずだけれど。好きなんだろうか。

私も共著者になっている論文が返ってきたらしい。幾つか in vitro の実験を求められたようだが、ヘヴィな動物実験については特にコメントがなかったという。Reviewer のコメントに真面目に応えれば accept されそうな感じだった。このまま順調に進んでほしい。

今年は既に共著論文が 1本 publish されたし、これまでの仕事がポツポツと実りつつあるのかな、という気がする。後は自分の論文だな。今年中にケリを付けたい。そうすれば、2007年は first author で 1本、coauthor で 2本となる。悪い量ではない。

大学院を卒業するまでに、どこまで業績を積み上げられるかが勝負である。以後の人生がかかっているといっても、あながち過言ではない。誰に何と思われようとも、やはり仕事の量を減らすことだけはできない。それで手に入らないものがあるのだとすれば、諦めるより他はなかろう。1日 24時間。掴めるものには限度がある。

それでも、色々とやっていきたいんだけどね。例えば、この日記をやめてしまうのは簡単なことだ。でもそこまで、という気持ちもある。どういう具合に働けば良いのか。自由裁量の部分が大きな職種なので、まだまだ迷うことも多い。

というわけで、今日も少しだけ MHF をやってから眠ることにする。

2007/07/21/Sat.

楽しんでいる T です。こんばんは。

MHF 日記

仕事から帰って来るなり、いそいそと Monster Hunter Frontier Online (MHF) を立ち上げている。完全にハマってるよなあ。楽しいから良いけど。一方で、いつまで楽しめるかな、と冷静に考えている自分もまたいる。

ゲームに限らず、読書でも何でも、ハマり切れない事柄が年々増えてくる。人生で、色んなパターンを経験してきた結果だ。ある意味では成長なのだが、それは老化の別名かもしれない。夢中になりたいなあとも思うし、冷静でいたいなあとも思う。

楽しむって、何だろうな。これからも楽しいことがあるんだろうか。そんなことを考えると、いささかゾッとする。もちろん日々の生活で、楽しいことはそれなりにある。でもそのほとんどは、楽しさの上限をもう既に知ってしまっている (知っているつもりになっている) ことばかりだ。

MHF、というかオンライン・ゲームの上限を、まだ私は知らない。まだまだ楽しいことがあると良いな。

2007/07/20/Fri.

MHF を頑張っている T です。こんばんは。

MHF 日記

Monster Hunter Frontier Online (MHF) の日記、というのは面白くないだろうが、「初めてのオンライン」という観点なら興味のある人もいるかもしれない。ゲームは好きだけど、ゲーマーってほどじゃないし、仕事があるから時間もないし、今さら若い連中に混じって……、という人は私の年代には多いんじゃなかろうか。

Monster Hunter Frontier Online (MHF)

能書きはさておき。ソロでプレイしていたが、さすがにキツくなってきた。パーティ・プレイが前提のゲームなので、ボスの体力を 1人で削るのは疲れる。武器や防具を強化して挑みたいが、そのためにはボスを狩りまくって素材を集めなければならないというスパイラル。

そろそろ頃合いかと思い、ビビりながら「初心者歓迎」みたいな部屋を訪れることにした。そこには部屋主が 1人。恐る恐る、オンライン・ゲームは初めての旨を告げて教えを乞うた。私は運が良かったのだろう。オンライン・ゲームの経験が豊富な彼 (彼女かもしれないが) は色々と丁寧に教えてくれ、クエストも何度か一緒にこなした。ゲーム自体は私も何とか大丈夫なので (彼の方が断然上手かったが)、それが幸いしたのか、彼の猟団に誘われた。猟団というのは、MHF におけるメンバー登録制のグループみたいなものだ。団長は彼、私は最初の団員であった。最後には「これからも一緒にやりましょう」という感じでログアウト。

なんだあ、大したことないじゃん、という気はする。一方で、最初に出会ったのが団長であったのが幸いした、とも思える。以後、ソロでプレイしたり、フリーでパーティを組んでみたりもした。噂には聞いていたが、ビックリするような中坊は吐いて捨てるほどいる。もちろん、分別ある大人のプレイヤーも大勢いるし、彼らは大抵とても親切だ。巡り合わせには運もあるけれど、最終的には類は友を呼ぶ状態になるから心配はない。

試されているのは自分のコミュニケーション・スキルなんだな、と思った。自分に常識さえあれば、常識ある人から疎外されることはない。案外、年を喰ってる方が楽しめるんじゃないか。そんな印象を今は持っている。そんな私も今日で 27歳。しばらく MHF を続けてみよう。

Web 日記

せっかく MHF 日記を書くのだからスクリーン・ショットも撮っておきたいのだけど、何か手軽な方法はないか。今回は Fn + Prt Sc キーで撮影したが、これって、自動的にファイルは生成されないんだね (Mac はファイルを作ってくれる)。一々画像ソフトを起動 → 貼り付けは面倒だなあ。

スクリーンの動画が撮れるソフトもあれば面白いんだけどなあ (あるに決まっているが)。できれば画面全体ではなく、ウィンドウを個別に指定し、そのウィンドウのみの動画が撮影できると最高だ。良い方法があれば御教示下さい。

2007/07/16/Mon.

Monster Hunter Frontier Online (MHF) を始めた T です。こんばんは。

MHF 日記

BBS で「MHF やりたい」って書いたら、本当にやりたくなってしまった。PC でゲーム、ましてやオンラインに手は出すまいと思っていたのに……。

近くの電器屋でゲーム・パッドを買ってきて、ソフトはダウンロード。無料のトライアルを試してみる。が、すぐに気に入ったので、とりあえず 1ヶ月分の料金だけ支払った。今日は HR (Hunter Rank; レベルみたいなもの) を 3 まで。オンラインは初めてだが、このシリーズは何作かプレイしているので、つまづくことなくサクサクと進む。

それにしても、今月 5日にサービスが始まったばかりだというのに、既に HR 40 前後の奴がゴロゴロしている。これが噂に聞くネトゲ廃人か。恐ろしいな。レベルが違い過ぎるので、俺は 1人で黙々とソロプレイ。何のためのオンラインだよ。とはいえ、雰囲気だけでも結構楽しめる。

ヤバい。これはハマる。なんてことはプレイ前からわかっていたことだし、それゆえにこれまで手を出さなかったのだけど、今日 1日ですっかり染まってしまった。

Monster Hunter Frontier Online

PC でプレイ、Mac でネットの情報をチェック。どう考えても立派な廃人予備軍です。本当にありがとうございました。

shuraba という名前で、当分はサーバ 1 の入門区でシコシコと進める予定。

Web 日記

しばらく前に付けた Blog Scouter は、深夜になると読み込みが遅くなってイライラするので外した。日付が変わる前後に集計しているのが原因らしい。代わりといっては何だが、はてなスターを付けてみた。参考にしたのは以下のページ。

面白くなりそうだったら続けてみよう。

2007/07/15/Sun.

詩心のない T です。こんばんは。

どうも日記がグダグダだな。仕切り直そう。

「方詩」というアイデアをかなり以前から暖めているのだが、上手く作れた試しがない。方詩とは何か。次のような文字列を考えよう。

いし
ぬか

このように並べた 4 × 4文字は、横に読めば「いし、ぬか」となり、縦に読めば「しか、いぬ」となる。これをもっと拡大して、横に読んでも縦に読んでも、それなりに意味が成立する詩になればスゴいと思うのだが、実際に作るのは困難を極める。

確かニワトリ氏のアイデアだったと思うが、1行目と最後の行が全く同じ、2行目と最後から 2行目が全く同じ……という対称的な詩、なんて話もあった。『ソープへ行けと彼女は言った。』を読んだときに、そんなことを思い出した。『ソープ〜』はちょっと違うんだけどね、構成の雰囲気は似ている。

日記でも何度か述べたが、私は詩というものにほとんど関心がない。技巧的なことであるとか、パロディ的なものであるとか、そういった要素がないと、どうも取っ付きにくい。「詩っぽい」ものを書こうと思えば書けるだろう。でもそれは、「詩っぽいもの」を書くために書いているだけであって、詩を書く必然性だとか、詩を読み書きしたいという強烈な欲求だとか、そういうものがあるわけではない。

そもそも「詩」って何だろう。散文とは何がどう違うのか。表現とは、伝達とは……、と考えが膨らんでいって——。

ああ。

お礼を書かねば。

この週末に (そしてそれ以前にも)、色んな方からメールを頂きました。特にそれが、顔も名前も知らない人からだったりすると、ただただ恐縮するより他にない。ありがとう。もっと言葉を飾ってお礼を書こうとしたけれど、どのように書いても私の感謝を表せないので止めておく。私だけが一方的に受け取って、返礼もできないのが心苦しい。京都にお立ち寄りの際は是非ご連絡を、とでも言うしかない。

何か放置プレイみたいだよなあ。俺だけ恥ずかしい思いをしてさあ。そりゃないよなあ。でもありがとう。

2007/07/14/Sat.

明日は休む予定の T です。こんばんは。

研究日記 愚痴日記

午前中は病院で実験。午後からホテルで、製薬会社主催の研究会。私も 10分ほど話してきた。

疲れたなー、などとボンヤリしていたら眠ってしまった。頭が痛い。懇親会には参加するつもりだったが、台風も近付いているのでパスした。

ラボの話。無能な人間の尻拭いをボスから頼まれた。断るか断らないか、迷っている。

これまでにも、同じようなことを何度も頼まれてきた。ボスには世話になっているし、仕事は仕事である。そう思って、文句を言わずに引き受けてきた。払う犠牲は大きく、残るのはイヤな気分だけ。正直いって、汚れ仕事である。しかしそれでもなお、私は性善的に考えて引き受けてきた。「情けは人のためならず」。いつか自分のためになるやもしれぬ、何か良い結果に結びつくかもしれぬ、どこかで評価もされるだろう。そういう素朴な倫理が、私に「はい」と言わせてきた。やらない内から「できません」と答えるのでは、無能な人間と同じだ。そういう気持ちもあった。

ところが現実はシビアなものであって、このような想いは誰にも理解されないことがよくわかった。何も実を結ばない。どこまで泥を被れるかという挑戦は、男の生き様の一つではある。が、自ずと限度もあろう。ヘタレの私は、そろそろ堪忍袋の緒がキレそうだ。断っておくが、ボスには何ら悪意はない。ボスからの依頼を私は黙って引き受けてきたし、ボスはボスで忙しいから、現場の機微まで把握はしていない (だから無能な連中は「ボスを通じて」尻拭いをさせようとするのだ)。

私はもっと「賢く」立ち回るべきなのだろうか。そんなマネをするくらいなら、ブチ切れる方が性に合っている。さすがに実行はしないが、一度、ボスと話し合う機会を設けた方が良いかなあ、とは思っている。忙しい彼に下らない話など聞かせたくないが、断られはしないだろう。「バカ殿にはなりたくないから、問題があったら教えてくれ」とはボス自身の弁である。こういうことを言われると、つまらないことはできるだけこっちで処理しようと思ってしまうんだよね。見た目はただのハゲたオッサンだが、なかなかの人物である。

2007/07/13/Fri.

とりあえずのアカウントはいっぱい保持している T です。こんばんは。

Web 日記

クライアントの日本語版が出たので、Second Life を始めたよ。

Second Life

面白そうだけど、難しいな、コレ。そして重たい。ADSL と最新の MacBook で、歩き回るには支障がない程度。本気でやろうと思ったら、光回線とデスクトップ・マシンが要るんじゃないか。クライアントとサーバ、つまりユーザ側でなく Second Life 側の問題で重たい、という可能性もあるけれど。

研究日記

明日は研究会で発表。Second Life なんか試している場合じゃないよ...。

2007/07/12/Thu.

今のマシンだってロクに使っていないのに、新型 PSP が欲しくなった T です。こんばんは。

昨日は母が京都に来ていたので、大阪の妹も呼んで祇園で食事をした。7月は私と妹の誕生月なのだ。実は父もなのだが、あいにくと仕事で来られず。宮崎に行っているらしい。メールを送ったら、東国原知事の写真を貼付して返信してきやがった。いらねえよ。

職場にも 7月生まれが多い。隣のテクニシャン嬢、隣のバイト嬢、(別の) 隣の実験助手女史、などなど。そうそう、多群兄も 7月生まれだった。こんなところからで申し訳ないが、おめでとうございます。この人もついに 30歳か。恐ろしいな。

PSP

PSP の Wizardry を買ってきた。キャラ・メイクに時間がかかるのはお約束。これほどまでにワン・パターンなシリーズも珍しい。それでも確実に購入する固定客 (ほとんどが私以上の年代だろう) がいるから、ツボさえ外さなければ採算は取れる。高度なグラフィックも、美麗なムービーも、複雑なアルゴリズムも、派手な宣伝もいらないから、開発費は少なくて済むだろう。

どう考えても騙されているような気がするが、中毒性のあるゲームなので、新作があればプレイしてしまう。今夜もまた、暗闇の中で「いてっ!」と叫びながらダンジョンを徘徊することだろう。村正を手に入れるのは何日後だろうか。

研究日記

終日病院。

金曜日に京都の研究会で発表があるので、その準備。明日は大学で実験した後、大阪の講演会を聴講しに行く。純粋に興味のある演題なので非常に楽しみだが、いささか忙 (せわ) しない。

今月末から動物実験を始める予定になっている。手伝ったことは何度かあるが、本格的に実験するのは初めて。投薬とか、ちゃんとできるのだろうか。いささか不安である。

2007/07/11/Wed.

新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のようにスゲー爽やかな気分の T です。こんばんは。

やっぱり直接話してみるもんだな。謎が解けてスッキリした。

……などという自分にしかわからない書き方は、記録として全くの無価値だ。書くなら何年後に読んでもわかるように書く、書かないのなら全く書かない。これが日記のルールであった。だから思わせ振りな書き方は、これまで厳として戒めてきた。しかし今回の件 (ほら、こういう書き方がダメなのだ) については、色々とチラつかせるように書いてしまい、反省している。反省は生かさねばならない。というわけで。

大勢の方々から心配を頂戴もしたし、報告の意味合いも兼ねて、プライバシーに触れない範囲でここに記録する。まことに恥ずかしいが、こんな思いをしたくなければ、そもそも日記に書かなければ良いのだ。

この 100日の軌跡

5年間付き合った女性と結婚しようという話になって、この正月には相手の父親にも挨拶したし、GW にはお互いの実家を訪ねる予定も立てていたのだが、4月に突然「別れたい」と宣言されてしまった。(私にとっては) 晴天の霹靂であり、理由が判然としないこともあって大いに悩んだ。何人かに相談したが、判を押したように「それは浮気」と決めつけられた。しかし全ては憶測である。浮気であれば怒れるし、私に魅力がないのなら己を呪えばよろしい。原因が明確であれば反省もできようし、改善の余地もある。だが私には何もわからなかったので、感情の持って行き場がなかった。それで自家中毒を起こしていたのである。

時間も経ってお互い冷静になったろうと思われたので、昨夜、彼女と電話で話してみた。さすがにその内容をここで詳らかにはしないが、私は悪くなかったし、彼女も悪くない。無理に要約すれば、お互いに仕事が大変で、その上かなりの遠距離だったから物理的に破綻した、ということである。展開が急だったので混乱していたが、蓋を開けてみればよくある話だ。だからといって哀しみが紛れるわけでもないが、少なくとも納得はできたし、気分も晴れた。電話して良かったと今は思っている。

我が妻になったかもしれなかった君の人生に幸あれ。以上。

「恋愛に興味がない」とは

まさか shuraba.com でこんな話をする日が来ようとは。おお恥ずかしい。人生わからぬものである。

以下はどうでも良い話。

「恋愛に興味がない」とのたまう人も多いが、これには 2種類あるように観察される。「恋愛自体に興味がない人」と、「恋愛の話をすることに興味がない人」と。私は後者であるから、この種の話題を日記に書いたことは (今日まで) なかった。だからといって、自動的に前者のカテゴリーに入るわけではない。酒と一緒で、知らないのはもったいないと思う。これまた酒と一緒で、必要以上に持ち上げたり、けなしたりすることは愚かだとも思うが。

よく見受けられるのは、上述の前者と後者が未分化のまま、何となく「恋愛に興味がない」と言ってしまうパターンである。私も酒の席などでプライベートなことを語るのは嫌いだから、「恋愛に興味がない」と主張したい気持ちはよくわかる。しかしその言葉が自己暗示となって、本当に「恋愛そのものに興味がない」と「思い込んでいる」人は結構多いんじゃないか。

などと、普段から感じていたことを、良い機会だからついでに書いてみた。今回の私の体験とは、特に関係ない。

2007/07/10/Tue.

まだ白土三平『カムイ伝』を読んでいる T です。こんばんは。

終わらねえ。

どうも仕事に、というか生活全般に気合いが入らなくて困っている。集中力が全くないし、気分が塞ぐ。『カムイ伝』なんかを読んでいるからか。

北方謙三先生に言わせれば、大抵の悩みは「ソープに行く」ことで解決する。それは冗談だとしても、北方謙三『試みの地平線』には、なかなか良いことも書いてある。

「こんな世の中に生きているのがほんとうにいやになりました。私はこの時代に適していないかもしれません。北方先生、どうか私を助けてください。暗い毎日をおくっています。毎日、自殺のことを考えています」

北方謙三先生本を読め。とにかく読書しましょう。(略) 小説が嫌ならノンフィクションでも科学でも歴史でもいいから、とにかく五十冊読むまでは死ぬな」

この回答は良いな。「50冊」というのがミソか。100冊では多いし、かといって 10冊、20冊では良いものに出会える確率も低くなる。机の上にドンと積み上げて、片っ端から読むには 50冊くらいがちょうど良いのだろう。もちろん、映画を 50本でも良いし、アルバムを 50枚でも良いと思う。

前置きが長くなった。今現在、ブルーな気持ちでこの日記を読んでいる人もいるかもしれない。そこで俺のお奨めを紹介する。50冊は多いから、1冊だけ。

『火の鳥 未来編』手塚治虫

悩んでいるのがバカバカしくなるぜ。『火の鳥』は巨大なスケールで描かれる物語であるが、そのエッセンスが凝縮されているのが、この「未来編」だ。

西暦3404年。地球は核戦争によって完全に滅びた。ただ 1人生き残った山之辺マサトは、地球に生命を蘇らせるべく、火の鳥から永遠の生命を授かる。

マサト「ぼくはどこにいるんだ!」

火の鳥「あなたはもう肉体から離れてるのよ あなたはいま 存在だけなのよ」

マサト「『存在』ってなんだ!」

火の鳥「意識よ」

これを「絵」で描いてみせるのだから、やっぱり手塚治虫は神様だ。

2007/07/09/Mon.

引き続き、白土三平『カムイ伝』を読んでいる T です。こんばんは。

急いで読んでいるわけではないけれど、それにしても終わらない。ヘビーだ。

Web 日記

Blog Scouter というサービスが面白そうなので、ページの左下に付けてみた。しばらく様子を見て、気に入ったら続けてみよう。

アルゴリズムはよくわからないが、とにかく数字だけで評価するというのは潔い。アレだコレだと、定性的で無定義なものよりはシンプルで良い。情報化とは、無駄な情報を付け加えて垂れ流すことではない。本当に情報化された社会では、むしろ情報量が減るんじゃないかと私は思っているのだが、これはまた別の話。

研究日記

終日大学。

RI 施設に引きこもっていたので、少し頭が痛い。放射線に当たったからではなく、放射線が漏れないように締め切られている RI 施設の空気が悪いため、であろう。使った RI は 14C。半減期は 5730年だから、すぐに人体に影響が出るようなものではない。レントゲンの方が危険であるし——、換気されていない RI 施設の空気の方が、よほど身体に影響がある。

放射性同位元素というものは自然界にも普通に存在する。私達の体内では、毎日膨大な数の原子核崩壊が起こっている。アイザック・アシモフ『体内でおこる爆発』の試算によれば、毎秒 3万8000個の 40K が体内で崩壊している。こういう具体的な数字を出すと、あるいは恐怖感を覚える人がいるやもしれぬ。しかしそれは錯覚だ。疑似科学がよく使う手である。

原子レベルの現象において、どだい万や億という単位など、高が知れている。ヒトの身体を構成する細胞は 60兆個に及ぶ。上述の例であれば、6.0 × 1013 / 3.8 × 104 = 1.58 × 109、つまり、 40K の崩壊が60兆回に達するには、15億8千万秒 = 約51年もかかる。1つの細胞内で 40K の崩壊が起こるのは、一生に 2度あるかないかという程度だ。そのときに放出される粒子が DNA にブチ当たって変異が起きる確率は 0 ではないが、天文学的に低い割合である。そんなことを心配するくらいなら、交通事故に気をつけた方がよろしい。

こういう錯覚は、日常生活でもよくある。それが計算可能な事柄であるならば、一度定量化してみるのも無駄ではない。

2007/07/08/Sun.

白土三平『カムイ伝』を読んでいる T です。こんばんは。

これ何てマルクス? 『カムイ伝』は小さい頃に読んだ記憶があるが、今読むと全く別のものが見えてくる。詳しくは読後にレビューするが、漫画って怖いな、と思う。

書斎日記

最近は本の話題が多くて恐縮だが、しかし書棚の写真は割と好評である。確かに、他人の本棚って興味あるもんね。自分の知らない本がズラリと並んでいると感心するし、自分の好きな本が収められていれば仲間意識を覚える。皆も本棚を晒そうぜ!

で、昨日は本棚の整理をしたのだが、やっぱり本棚が足りない。床に積み上げたり 3段ボックスに押し込んでいたりしたものをキチンと収納したら、それでいっぱいになってしまった。書斎の壁面には、もう空きがない。これ以上本棚を増やすとなれば、本屋や図書館のように列をなして本棚を並べるか、あるいはもう 1つの部屋を使うしかない。どちらが良いかなあ、などと考える。本屋形式にするとすれば、本棚と本棚の間はどれくらいの隙間を取れば良いのか。今度、実際の本屋でどうなっているのか、目測しておこうか。

現実的ではないが、引っ越すという手段もないではない。書斎の広さが今の倍くらいあれば楽しいだろうなあ、と妄想する。まァ、これは将来の楽しみにしておこう。そのためにはしっかりと仕事をせねばな。

研究日記

大学 → 病院 → 大学。

別のラボの研究員氏と少しだけ雑談する機会があった。お互いに顔は見知っていたが、言葉を交わすのは初めて。というのも、私がやっているのはほとんど生物学であり、彼がやっているのは臨床的な疫学研究だからだ。接点がない。

疫学は (分野にもよるだろうが) サイエンスというよりは社会学であり統計学である。彼の仕事は「健康指導・啓蒙活動による病気の予防」らしいから、特にこの傾向が強い分野といえる。病気の治療は大切なことだが、そもそも病気にならなければ治療する必要はない。何よりも、人が苦しまず、金がかからなくて済む。

彼らのグループがある行政単位で徹底した健康指導をした結果、年間で 1人あたり 10万円の医療費を削減することに成功したという。例えば、薬で治まる程度の高血圧などは、少しの生活改善で数値が下がり、薬を飲まなくて済むようになる。3割負担で薬代が 3000円/月、つまり実際の値段が 1万円/月であれば、なるほど、年間 10万円の医療費削減というのは現実的な数字だ。

根本的な症状改善には長い時間と粘り強い取り組みが必要だと思うが、病院にかかるかかからないかという閾値レベルの人数を押し下げることに集中できれば、有意な結果が出るだろう。「被験者を集めるのが大変だ」と彼は言っていた。そうだろうなあ。

非常に勉強になった。今日も仕事に出てきて良かったよ。

2007/07/07/Sat.

全般的に本は安いと思う T です。こんばんは。

朝一番で、注文していた本棚が到着。我が部屋は 4階にあるのだが、建物にエレベーターはなく、狭くて急な階段を上り下りしなければならない。組み立て式とはいえ、重くて大きな本棚を運んで来てもらうのは、何だか申し訳ない。

中身を検めてから仕事に出かけた。

研究日記

大学 → 病院。

研究員嬢が来ていた。頑張るなあ。

古本日記

駅から自宅までの道程を少し変えてみたら、これまで知らなかった古本屋を見付けた。ババアが居眠りしながら 1人でやっている。文庫はどれも 1冊 100円のようだ。文庫版の白土三平『カムイ伝』(全15巻) が揃っていたので購入。これで 1500円。安過ぎる。

新刊だろうが古本だろうが、基本的に漫画は安い。部数が出るからなんだろうけれど、作品の価値、描く手間を考えれば、倍の定価でもまだ安いと思う。長い間、子供相手の商売であったから仕方がない面もある。しかしそのために、漫画は作品性よりも商品価値で判断されるようになってしまった。その典型がジャンプの連載システムである。それが悪いといっているわけではない。それだけしかないのが問題なのだ。小説家ほどの自由が、漫画家には与えられていない。

本当に漫画を世界に問うつもりなら、そろそろ作家本位の発表媒体やシステムが整備されても良い頃だと思う。価格が上がっても、買って読む人はいくらでもいるし、漫画家はそういう人達に向けて作品を発表すれば良い。

古本屋を利用した私がいうことではないのかもしれないが。

書斎日記

帰宅後に本棚を組み立てる。設置したい場所には 3段ボックスが頑張っているので、中身を出して適当に移動した。こいつのレイアウトはまた後日考えよう。

新しい本棚は基本的にこれまでのものと同じだが、棚が 9段から 8段に変更されていた。実質の容量ダウンであり、これだけは不満だった。とはいえ、横幅 120 cm だから、直線で並べて 120 cm × 8段 = 9.6 m 分の本が収納できる。結構いけるぞ。

書斎の本棚 (漫画用)

……そう思っていた時期が私にもありました。どう見ても秋までの命です。本当にありがとうございました。

2007/07/06/Fri.

今夜はボンカレーに目玉焼きを乗せた T です。こんばんは。

研究日記

終日病院。

午前中はデスクワーク。国際学会に演題を応募。組換え DNA 実験の申請書の修正。

私の日本語感覚からすれば、「組換え」ではなく「組み換え」と書きたいところだが、法令などでは「組換え」と定義されているので従わざるを得ない。そして——、こんなことを知っている自分が少しイヤだ。さわさわとした気分になる。

午後は大量のサンプルから RNA を精製した。実験ではなく単なる作業に過ぎないが、無心にピペットマンを操っていると、余計なことを考えなくて済むから幸せだ。頭が空いているから、簡単な計算をしてみたりもする。

100万個の細胞から 10 ug の RNA が精製できたとする。ヒトの細胞は約60兆個だから、106 : 10-5 g = 6 × 1013 : 6 × 102 g。つまり、1人の人間から 600 g の RNA が取れる。意外に多い (ちなみに、この見積りはかなり少なめである)。RT-PCR は 1 pg = 10-12 g の RNA があれば充分にかかる。先の見積りだと、細胞 1個につき 10-11 g の RNA が存在するはずだから、およそ困ることはない。これが cloning ということである。大腸菌などでは single colony を 1つの「クローン」として扱うが、それはあくまで近似である。こういうことは、ついつい忘れがちだ。

御縁

隣の栄養士嬢が昨日で退職したらしい。色々な噂を聞いた。中でもケッサクだったのは、隣の先生が早くも次なる人材募集をかけた、という話だ。真偽のほどは知らない。そのような噂が流れるような所である、というだけで充分だ。私には関係ないし、我がラボは至って平和である。何も思わないといえば嘘になるが、この僅かな感情を表現するのは難しい。さわさわ。

来週、母が京都に来るらしい (彼女は歌を習っているのだ)。大阪に住んでいる妹も呼んで、一緒に食事でもしようかという話だった。まだ予定は煮詰まっていないが、できれば時間を取りたいものである。妹とも随分と会っていない。

週末が来るたびに気持ちがささくれ立つ。さわさわ。修養が足りんなあ。明日は新しい本棚が届く。楽しみだ。仕事もあるけど、早めに切り上げて、本の整理に没頭したい。

2007/07/05/Thu.

仕事が早く終わったので、今夜はテクニシャン嬢 2人と晩飯を食べに行った T です。こんばんは。

自炊は休み。

研究日記

終日病院。

大学院の先生に Westrn を教える。

研究員嬢やテクニシャン嬢達と、「いわゆる OL とは一体どんな仕事をしているのか?」という話になった。確かに謎である。

「やっぱコピー取りとか?」
「お茶汲みとか?」
「何か古いイメージだな。今どきそんな会社あるのか?」

私の実家は商売を営んでおり、私自身は研究という仕事をしているため、「いわゆる会社員」という人種の生態も謎である。「商売や研究は大変だろう」などと言われたりもするが、それが普通だと思って生まれ育ってきたから、他人と話や考え方が合わないことも多い。自分が特殊なことは理解しているから、黙って聴くことが多いけど。

2007/07/04/Wed.

自炊を再開してから 2日目の T です。こんばんは。

大塚のボンカレー

今夜もボンカレー。という話をテクニシャン嬢にしたら、「同じもので飽きませんか」と言われた。バカにするな。昨夜と今夜では辛さが違う。

研究日記

終日病院。

研究員嬢とディスカッション。ちょっと勉強せねばならんな、ということで、勉強会をやろうかという話になる。

研究所にはラボが幾つかあるけれど、我々のように基礎をやっているところもあれば、動物実験が主なところもあるし、受注検査のようなことをやっているところもあれば、完全に臨床研究にフォーカスしているところもある。合同セミナーというのも過去にはあったが、いつしか自然消滅してしまった。皆、興味がバラバラだし、忙しいのはよくわかる。でも、全くないのも少し寂しいよね。

勉強会をやるなら、基礎研究をやっている有志を集って、ということになるだろう。実験の生データをディスカッションしたり、趣味の論文を紹介したり、そんなところからで良いと思う。こういうのは、始めるのが大切なのだ。

オーガナイズするのは苦手だが、私が言い出しっぺなので、とりあえず目ぼしい人に声をかけてみようと考えている。何人集まるかなあ。

2007/07/03/Tue.

自炊を再開した T です。こんばんは。

米を買って帰るところからスタート。といっても、飯にレトルトの食品をブッかける程度だが。今日はボンカレー。学生時代、特にバイクの購入資金を貯めていた頃は、本当によく食べたものである。底値で税込 70円だからなあ。随分と世話になった。パッケージで微笑む割烹着の女性は、第二の母である。思わず手を合わせた。「これからも守ってつかあさい」。んなわけない。

研究日記

終日病院。

IP-Western で良い結果が出た。Q-PCR で良い傾向が見られた。別の Q-PCR の結果で、考えていた系が使えそうだという自信が持てた。気分が良い。

ボスとディスカッション。そろそろ論文を再投稿しようかという話をする。別のプロジェクトも少しずつ結果が溜まってきた。まだ手探りの部分も多いが、もう少しで閾値に達しそうな気がする。頑張ろう。

2007/07/02/Mon.

新しい本棚が届いたら、ついでに蔵書リストを拡充したいと考えている T です。こんばんは。

どの短編がどの短編集に収録されているのかがわからないので、この問題を何とかしたい。あと、蔵書全ての ISBN コードがほしい。ISBN さえあれば、出版社や発行年、価格などの情報を引っ張ってこれるので、他の項目を入力する必要はない。

しかしそれとて、1人でやるには気が遠くなる量だ。また、途中で作業をサボって読み耽ってしまうことが目に見えている。誰かアルバイトで来てくれないかなあ。などと夢想する。

あと、安楽椅子が欲しい。部屋の真ん中にドーンと。本棚と違って、椅子は通信販売で買うのは少し不安だから、小まめに家具屋を巡るしかないかなあ。

研究日記

終日病院。Flow cytometry を研究員嬢に教える。夜はセミナー。

2007/07/01/Sun.

本の話ばかりで恐縮している T です。こんばんは。

私は探偵小説が好きだが、Book List のラインアップから、「要するに島田荘司御大以降の本格ミステリー・ファンなわけね」と思われるのは心外なので、少し読書遍歴を書く。

「衝撃を受けた 21冊」でも触れたが、私と探偵小説との出会いは、ポプラ社の「怪盗ルパン」シリーズである。よくあるパターンだ。人によってはそれがホームズだったかもしれず、あるいは江戸川乱歩であったかもしれない。これらの全集は、多くの書店の児童書コーナーに置いてあったし、学校の図書館にも大概が揃っていた。私が好きだった順に並べると、ルパン > 乱歩 > ホームズであるが、まァそれはどうでもよろしい。

中学生にもなれば、ここからアガサ・クリスティやエラリー・クイーンなどの海外作家に飛ぶか、あるいは日本のいわゆる新本格に移行するのが順当かと思われるが、私の場合は少し違った。父の書棚には、松本清張、森村誠一、西村京太郎、西村寿行、笹沢佐保、鮎川哲也、和久峻三などなどの社会派推理小説がギッシリと詰まっており、私はそれらを片っ端から読んだのであった。中高生がそんなものを読んで面白いのかと、今となっては不思議なのだが、当時はそれでも興味深く読んだものである。

新本格以降の探偵小説しか読んだことがない若い人は、社会派推理小説を食わず嫌いにしている部分もあるようだが、「トリック」の凄い小説は社会派の中にも色々とある。松本清張『点と線』は有名だが、西村京太郎『華麗なる誘拐』『七人の証人』あたりも、ミステリー史上に残るトリックであると私は確信している。あまり話題に上らないけれども、読まれていないんだろうか。

書棚には他にも、梶山季之、菊村到、清水一行、勝目梓などの軽い風俗小説もあって、これらも大抵は読破した。この手の小説には、大抵の場合、エロが絡んでいる。今から思えば大したことのない、ほんのサービス的なポルノ描写だったのだろうが、中学生であった私の空想はいたく刺激されたものだ。思春期だなあ。

ともかく、私が島田荘司御大以降の本格探偵小説を読み始めたのは、上記数百冊を読破した後のことである。だから、にわか探偵小説ファンと思われるのは、ちょっと癪なのだ。

父の書棚から拝借して読んだ本も、いずれ自分で買い直して私の本棚に並べたいと思い続けている。学生の頃は、一度読んだ本を買い直すまでの余裕が、金銭的にも空間的にもなかった。今ならできる。流行作家の古い文庫本ばかりだから、ブックオフなどで容易に揃うだろう。しかし、いかんせん 10年以上も前のことなので、タイトルなどを正確に思い起こすことができない。今度帰省した時に、リストを作ってこようかと考えている。