- 説明が付かないからこそ面白い

2007/06/10/Sun.説明が付かないからこそ面白い

すっきりした T です。こんばんは。

「説明が付かないからこそ面白い」という考えにも 2種類が存在する。最終的に説明が付くことを前提にしているかしていないか、である。前者は科学的興味であり、後者は神秘的興味といっても良い。前者は真理に対する期待があり、後者はそれを期待しないが故に生ずる自由がある。

我々はどちらに対しても痺れるような感覚を抱くし、また両者が実は密接に絡まりあっていることも知っている。ダイヤモンドのような神秘は理論によって綺羅々々とした破片に打ち砕かれると、今度は一分の隙もなく組み合わされて金剛の伽藍を形成する。そして、でき上がった壮麗な建築物を眺めた人は心に思うのだ。「何て神秘的なのだろう」と。

不思議だからこそ素晴らしいものがあり、不思議でないからこそ驚異的なものがある。最近つくづくと思うのだが、大抵のことは何かしら「スゴい」。スゴさを感じるには知識がないと難しいが、一方で知識に目が曇ってもスゴさが見えなくなる。

読書日記

井沢元彦『逆説の日本史 11 戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎』が文庫になっていたので、購入してパラパラと再読。

やっぱり秀吉という人物は面白いと思う。彼が持つ陽性の気質はとても好ましく、それがまた人気のゆえんでもあるのだが、その裏にベットリと張り付いたコンプレックスを考えると、非常に空恐ろしい気分になる。秀吉はその心に、本当に一片のコンプレックスも抱いていなかった、という可能性もないではない。しかし、それでは説明が付かぬことも多い。やはり大変なコンプレックスを抱えていたと私は思う。

コンプレックス = 劣等感、では必ずしもない。秀吉が抱いていた感情は「劣等感」ではないだろう。彼は自分が有能であることを充分に知っていたはずだし、他の誰かに対して能力的に強烈な劣等感を感じることは少なかったと思う。政治にしろ外交にしろ経済にしろ戦争にしろ、秀吉を凌駕する才能は同時代にほとんどない。秀吉が劣等感を抱いた相手として私が勝手に推測するのは、明智光秀、徳川家康、千利休くらいである。

むしろ、それほどまでに優れていたからこそ、秀吉はコンプレックスを抱えていた、ともいえる。どれほど優秀であろうと、生まれが卑しければ正当に評価されない。400年以上も前の社会における身分意識を正確に想像することは難しいが、「認められない」ことに対する彼の哀しみは大変なものであったろう。だからこそ秀吉は、「生まれなんて関係ない」を本当の意味で実行していた織田信長に、どんなことがあっても尽くしたのではないか。

信長に対する秀吉の気の遣い方はいささか異常である。これは一般的に、信長の強烈な猜疑心を秀吉が恐れていたからだと解釈される。しかし、それだけではあるまい。根源には、信長に対する感謝が常にあったのではないか。光秀にはそれがない。だから本能寺の変になる。

考えがナイーブに過ぎるだろうか。まァ、私が勝手に思っているだけのことなんだが。

研究日記

終日病院。

昼からは研究員嬢もやって来た。確か先週も土日に出張ってきていたのではなかったか。ちゃんと休もうぜ。

今後の仕事のあり方について、ボスと室長の先生宛に長文のメールを書く。

7月から俺は

占いなど信じていないが……、といいつつ、昨年の今頃に占い師から言われたことをしつこく覚えていたりする。気にしているのだ。バカか。

占いの結果を要約すると、「2007年の前半は大変だが後半には花が咲く」ということなのだが、少なくとも前半に限っては当たっている。これ以上ないくらいに大変でボロボロだ。休みはない、大学院に入ったから金は減って仕事は増える、人間関係は壊れるパソコンも壊れる投稿した論文は reject だ。当たり過ぎだろ。手加減しろ。

ということはしかし、後半には、これはもう、ちょっと想像できないくらいの「花」とやらが咲くに決まっているわけで、7月からが楽しみなのである。6月がまだ終わっていないので油断はできぬが、個人的には今日で膿を出し切った気分なので、もう何でも来やがれこの野郎と、いささかハイになっておる。狂っているのかもしれん。

7月は私の誕生月なので、仕切り直すには最適だ。いや、だから、占いは信じてないんだけどね。悪いことを占いのせいにするのはイカン。そういう分別をなくしたら終わりだろう。「花」とやらが咲くのも咲かぬのも私次第に決まっている。

7月からは頑張ろう。というか、明日から頑張れよ。いや、今日からか。