この土日は休むことにした T です。こんばんは。
本屋で大量に本を買ってきた。新しい本棚も注文したので、ついに漫画の購入を解禁する。古本屋で、横山光輝の『豊臣秀吉 異本太閤記』(全7巻) と『織田信長』(全4巻) を手に入れた。横山光輝の歴史漫画はもちろん好きな部類ではあるのだが、それほど思い入れがあるわけでもない。あえて (自分のランキングにおける) 中堅どころを買ってきたのは、「これから再び漫画を買い集めるぞ」という決意を示すためである。誰に? もちろん自分に。生半可な決心では漫画は集められない。漫画が好きな人には理解できると思う。
私が漫画を買わないのは、読まないからでは決してない。一度買ってしまうと、際限なく、怖いくらいに増殖するからである。実家で暮らしていた頃は、かなりの量の漫画を持っていたが、大学に入った際、手塚治虫を残して全て売り払った。思えばバカなことをしたものだ。その後に買ったのは (買い直したのは)、『ゴルゴ13』だけ。就職してから『ジョジョの奇妙な冒険』と『北斗の拳』が増えたが、このレベルで自制した。これ以上買うとなると、候補作が爆発的に増加するからである。あれを買って、これを買わないわけにはいかない。そういう、変な収集癖が発動してしまうのだ。
書物は増えるにまかせて増やしていたが、しょせん、どう見積もっても年間 200冊程度のペースである。しかし 200冊の漫画は 1週間で読破できる。だから集めるのが恐ろしい。最近は漫画を読むスピードも落ちたし、いくら楽だからといって漫画ばかり読むことはないだろうが、それでも相当の冊数がアッという間に溜まるであろうと予測できる。
当面、
という条件に絞って集めようかと思う。漫画に強い古本屋を探さねばならんな。これは凄く楽しみかも。「好きなだけの本を手元に置きたい」というのが 10年来の夢であって、少なくとも書物に関しては理想的な環境を手に入れたが、そこには漫画が入っていなかった。これでは片手落ちである。
私の家に残された壁面は、延べ 8 m × 2 m。当分は大丈夫だとは思うが。いや、油断はできない。
いまだに電卓の MR や MC の働きが理解できず、使ったこともない T です。こんばんは。
頭のリハビリに、電卓を作ってみた。2時間ほどでやっつけたからコードは汚いが、意外に面白いものである。小数点の挙動が怪しいけれども。
以下は (以下に限ったことではないが) どうでも良い話。電卓のキーの配置は、
789
456
123
0
である。パソコンのテンキーも同じ。しかし電話のボタンの配置は、
123
456
789
*0#
となっている。逆なのだ。
プッシュホンのボタンとキーボードのテンキーの配置は数字の位置が逆である。 これは、電話は通信用機器であり、電卓やコンピュータは電子機器として発達してきたため、管轄する行政区分や標準規格が異なるためである。 電話機などの国際規格を担うのが ITU、コンピュータなどの電子機器は IEEE が規格や標準化を取り決めている。 過去にもテンキーの配置統一が話し合われたことがあるが、別個に理由があって決めた配置なので、簡単には統一できるものではない。 また、電話で『ゼロ』はパルスが 10個の交換機に送る信号 (パルスダイヤルの場合) だが、コンピュータでは『ゼロ』は数字の 0 を意味するデータである。
「別個に理由があって」とあるが、どういう理由なのだろう。興味がある。こういう細かい部分にも、1冊の本になるくらいの歴史があるんだろうなあ。
そろそろまた本棚の整理をしたいと思っている T です。こんばんは。
読む生活とは、確保する生活でもある。読む本を確保する、読む時間を確保する、本の置き場を確保する。この中で最も確保が難しいのは、スペースであろう。私は気楽な独り暮らしだから、空間は充分に余っている。問題は本棚だ。
書斎の壁面を本棚で埋め尽くしたのが約18ヶ月前。しかし、所持していた蔵書を収めただけでキャパシティの限界に達してしまったので、それ以後に購入した本は特に整理されていない。彼らは三段ボックスの中でひしめいていたり、鍾乳石のように床からニョキニョキと積み上げられたりしている。こういう風景も嫌いではないが、さすがに不便になってきた。どこに何があるのかわからない。一言でいえば死蔵である。これではダメだ。
本棚はいつも通信販売で求めるのだが、文庫専用の本棚は需要が高いらしく、すぐに絶版となる。形や色を気にしなければ、全く売っていないというわけではないが、そこはやはり書斎らしく、統一された本棚を壁面いっぱいに並べたい。このたび、私が使っている本棚がめでたく再販されたようなので、近々注文する予定である。本の整理は後でも良い。とりあえず容れ物を手に入れなければ。それにしても本棚って、地味に高いよな。
などという日記を書くのにも疲れた。
先日、ジョー兄につまらないメールを書いてしまった。送り付けられた彼には迷惑だったろうが、少しは気分がラクになった。まァ、義兄弟は必ず俺の肩を持つという確信があった上での、卑怯な甘えなんだけれども。そもそもこんな話、他の人には喋れないし。しかし独りで抱えているから、自分の日記も嫌ァな嫌ァなものになるわけで。
——という思わせぶりな文章を、俺は最も嫌っていたのではなかったのか。ボケ。落ち込んでいる原因を一言でいえば、結婚の約束をしていた女性に突然フラれたという、ただそれだけのことなんだけどね。
何もやる気がしない。これではイカンと思って、いつも通りに仕事をし、本を読み、日記を書いてきたけれど、もう疲れた。
しばらく更新を休みます。7月からは花が咲くはずなので、来月には再開したいと思っている。あースッキリした。という具合に無理やりテンションを上げるのは、もうイヤでイヤで。疲れたよ。
今日の写真はちょっと狙い過ぎかも、と反省している T です。こんばんは。
この週末も仕事。研究員嬢も土日に来ている。タフな人だ。
やりたいことが明確で、現実にそれを仕事にしている人間はこういうものなんだろうが、孤独だなあ、とも思う。
先日の日記で、『古事記』に出てくる「クソまり散らしき」(屎麻理散) という素晴らしい日本語を紹介した。他にもまだまだ例があって、ゲシュタルト崩壊にも似た感覚を、文章レベルで味わうことができる。
最初の方では、黄泉国の場面が秀逸である。黄泉比良坂 (よもつひらさか) などは、字面も響きも詩的で美しいが、黄泉戸喫 (よもつへぐひ) となると、「ムムム」という感じになる。黄泉戸喫をしたイザナミは、「蛆たかれころろきて、頭には大雷をり、胸には火雷をり、腹には黒雷をり、陰 (ほと) には折雷をり、左手には若雷をり、右手には土雷をり、左足には鳴雷をり、右足には伏雷をり」という凄まじい姿になってしまうのだが、ここでも「蛆たかれころろきて」(宇士多加禮許呂呂岐弖) という表現に琴線がビンビンと引っかかる。こんな具合だから、なかなか先に進めない。
さて、イザナキが黄泉国から逃げ帰るときに追撃してくるのが、黄泉醜女 (よもつしこめ) という、文字を見ただけで「勘弁してくれ」と謝りたくなるような奴である。追いかけてくる黄泉醜女が 1人なのか複数なのかはわからないが、とにかく追いかけてくる。逃げるイザナキは鬘 (かずら) を投げ捨てる。するとこれが葡萄になり、黄泉醜女が拾い食いを始める。その間にイザナキは逃げようとするのだが、すぐに追い付かれてしまう。これが怖い。イザナキは、今度は櫛を投げ捨てる。これは筍になるのだが、やはり黄泉醜女は抜き食いを始める。名前に違わぬ浅ましい奴である。おかげで、イザナキは黄泉醜女を撒くことに成功する。
話は少し変わる。黄泉比良坂を挟んで対峙したイザナキとイザナミは、それぞれ次のように言う。
イザナミ「お前の民を、1日に 1000人殺そう」
イザナキ「ならば私は、1日に 1500 の産屋を立てよう」
これが人の生死の由来である。額面通りに受け取れば、1日に 500人、1年で 18万2500人の人口増加となる。計算してみよう。神武天皇即位が皇紀元年、昭和15年が皇紀2600年であるから、この間だけでも 4億7450万人の増加となるはずである。しかしこの数字は多過ぎる。じゃあ嘘か。ところが注意深く読むと、イザナキは「1500 の産屋を立てる」と言っているだけで、「1500人の人間を誕生させる」とは言っていない——。何だかズルい気もするが。
「自由研究」という言葉に、懐かしい気持ちを呼び起こされる T です。こんばんは。
仕事以外にも、個人的に究めたい事柄が幾つかある。このサイトは、その前線基地のようなものだ。仕事は他人からの評価を得なければダメだと思うが、個人的な探求は自己完結でも構わない。ただ、似たような好事家のヒマ潰しくらいになれば愉快だなあ、という楽観的な希望はあって、それがこのサイトの運営を続ける動機の 1つとなっている。これからも Web の片隅で、ひっそりと更新を続けていきたい。
この「個人的な探求」を何と呼べば良いのか。ライフワークという横文字は好きじゃないし、趣味というのもまた違う気がする。そこで「自由研究」という言葉が浮かんでくる。この単語が持つふざけ具合、幼稚さ、そして小学生であったからこそ抱いていた、ある意味での真面目さ。いい大人が敢えて使うと、ヘンな味わいが出てきて面白い。
20代の後半というのは、本格的に自由研究を始めるには良い年齢なのかもな、と思うがどうだろうか。みんな、自由研究やろうぜ!
昨日の日記の最後で、史書の読み方という問題が「俺の個人的な歴史観というものに行き着いてしまう」と書いた。それについての、少々長い補足。
歴史は過去の事実の集積——というのが一般的な解釈であるが、過去を直接観察することはできないし、実験によって再現することもできない。したがって歴史は、進化論や宇宙論が持つある種の限界を、その本質として宿命的に抱く。歴史は科学ではない。当たり前のことだ。だからこそ、俺は歴史に憧れを抱く。
史学において、科学的な「事実」の確認が絶望である以上、歴史は解釈であり、虚構であり、極端な言い方をすれば「お話」である。別に歴史を矮小化しているわけではない。むしろ、豊饒の顕れとして捉えているのである。昔話のヴァリアントが考えられるように、歴史が「お話」であるならば、同様に幾つもの異説が考えられるだろう。実際、多数の見解や史観が存在する。虚構と違うのは、それぞれの異説が「正しいかどうか」が問題になる点だろう。なぜなら、「歴史的事実」は 1つしかない (はず) だからだ。でも、それは誰にも確認できないんだよね。
俺が以前から理解できないのが「偽書」という存在である。納得がいく「偽書」の定義を目にしたことがない。由来や来歴が偽られている書物を偽書と呼ぶことは、一応知っている。書いてある内容が嘘だからといって、偽書と呼ぶわけではない。また逆に、偽書とされる書物の中身が全て嘘であるわけでもない。しかしなぜか、偽書というレッテルが貼られてしまった史書の研究は、そこでプッツリと途絶えてしまう。偽書は偽書として、偽書的に探求したら良いじゃないかと、歴史を「お話」として考える俺は思ってしまう。
『古事記』も最初は偽書と思われていたが、現在では一級の史料として扱われている。だからといって、この日本列島が伊邪那岐神と伊邪那美神によって生まれたものだとは誰も信じていない。偽書であるかどうか、書いてある内容が事実であるかどうか。これらは互いに無関係でありながら、同時に錯綜してもいる。
歴史を全て「お話」として見るならば、その「お話」は面白ければ面白いほど良い。例えば、道鏡の巨根伝説というものがあって、
道鏡は座ると膝が三つあり
というバカバカしい歌まで残っている。道鏡の巨根にまだ飽き足らぬ称徳帝は、山芋を突っ込んで自分を慰めたなどという、便所の落書きもビックリするようなオマケまで付いている。どう考えても作り話だが、「それは嘘である」という証明は誰にもできない。これはとても微妙な問題だ。「『道鏡が巨根である』と記した書物が存在する」。少なくともこれは事実。その書物が偽書であろうと、内容を否定する根拠にはならない。
上述した道鏡のエピソードは、アホな話だが非常に面白い。仮に事実であれば爆笑である。こういう、実に下らない小話を契機として歴史が好きになる人は、案外と多いのではないか。
俺には、こういう話をふんだんに盛り込んだ、意識的な偽典を書いてみたいという夢がある。真書・偽書の区別なく、しかして矛盾のないように、否定できないものは全て事実として取り上げ、なおかつ一貫した流れの中で浮かないように——、そんな偽典。
小説としてはたくさん書かれている。しかしそれらは、小説として発表された時点で「小説」でしかなくなる。こっちは、大真面目で歴史を書こうという試みなのだ。来歴を偽らなければ偽書にもならない。ただ、書いている人間が、歴史的事実というものに何の敬意も抱いていないだけだ。もちろん、歴史をバカにしているわけではない。「歴史的事実の追求」なんて、誇大妄想ではないのか。真摯に考えれば考えるほど、そう思えてくる。
どうでも良いことだが、
私は嘘つきだ
という文章は肯定も否定もできない。では、
本書は偽書である
はどうだろう。もし俺が偽典を書くならば、この一文から始めようと思っている。
大正天皇はもっと評価されるべきと思う T です。こんばんは。
昨日の日記で『古事記』について触れた後、散歩に出かけたついでに古本屋へ寄った。岩波文庫の『神皇正統記』が投げ売りされていたので、購入して読んでいる。こんなものを読んでいる 26歳の理系なんて、日本に何人いるのだろうか。
それはともかく。『神皇正統記』の目次を眺めると、
とあって、「廃帝ッ!」と独りで興奮している。バカか。しかしまァ、「廃帝」という言葉には色々と想像が掻き立てられる。本文では「廢帝」という字になっており、一層アツい。
そういえば、義兄弟の間では大正天皇のことを「御脳病の大正廃帝」と呼んでいた。明治天皇が「神君明治大帝」であったのとはエラい違いだ。当時はゲラゲラと笑っていたが、今思うと相当に不敬であるなあ。
ところで、大正 廃帝 天皇には「遠眼鏡事件」と呼ばれる逸話がある。
「遠眼鏡事件」とは、帝国議会の開院式で、壇上で詔勅を読み上げた大正天皇が、持っていた証書をくるくると巻いて、遠眼鏡のようにして議員席を見回したというものであり、大正天皇の痴呆症状に関連付けられて流布されている。
このエピソードの真偽には色々と説があるのだが、真相に関しては不明な部分も多い。さらに俺は、「次に大正天皇は、遠眼鏡にした詔勅を耳に当て、遠くの音を聞こうとした」などと勝手に付け加えて喜んでいたのだからヒドいものだ。
今回、上記のサイトで初めて知ったのだが、「大正天皇は、パレードの時はいつも車に縛られていたため、直立不動だったらしい」という噂もあるようだ。これも相当ブラックだな。俺は爆笑したけれど、この噂がもし、何らかのイデオロギーを主張するためのデマゴギーだとしたら、かなり嫌な感じである。それはギャグではないし、笑えない。
『神皇正統記』はイデオロギーの書である。しかしそれを読む俺は、北畠親房に賛同する気も反論する気もない。というか、したくない。行間から滲み出てくるものには心を動かされるが、それは彼の思想に共感したからではなく、彼の信念に感動するからである。
だから、鸕鶿草葺不合尊以降の治世が八十三萬六千四十三年に及ぶと書かれても、やっぱり笑ってしまう。親房が一所懸命になって、中国の伝説などと辻褄を合わせようとすればするほど、おかしくて仕方がない。だが、その計算をする彼の心情を想うと、鬼気迫るものを感じる。また、同時代の人間が、この『神皇正統記』をどう読んだか、ということにも大きな興味がある。
最終的に、この問題は俺の個人的な歴史観というものに行き着いてしまうのだが、その話はまた今度。
小学生の頃から感性が成長していない T です。こんばんは。
本日は仕事は休み。午前中にクリーニングを取りに行く。
午後から大学。RI 施設で幾つかの機器を立ち上げる必要があって、今日は evaporator を業者にセットアップしてもらった。
大学の培養庫がコンタミしていたようで、私の細胞もダメになっていた。インキュベーターは一定の確率でコンタミするものだから、まァ諦めるしかない。季節も季節だし。
などとクソ、最近は何をどう書いてもジメジメジメジメした口調になって我ながら鬱陶しい。そこで唐突ながら、俺の大好きなウンコの話をする。
実は 1ヶ月くらい前から『古事記』を熱心に読んでいる。これがメチャクチャに面白い。電車の中で爆笑しそうになったのも 1回や 2回ではない。いずれ様々なテーマで、『古事記』について書いてみたいと思っている。
ウンコの話だった。
まずはスサノオである。スサノオは父であるイザナキから「海を統べよ」と命じられるのだが、「僕はママ (イザナミ) のいる黄泉の国に行きたい」といって山が枯れるまで泣き喚く。後にヤマタノオロチを退治する豪傑とは、とても思えない。ところで、スサノオはイザナキが鼻を洗った際に生まれたのだが、イザナミはそれ以前にマンコが焼け爛れて死んでいる。なので、イザナミはスサノオの母というわけではない。スサノオの台詞は今一つ意味不明なのである。気持ちはわかるが。
怒ったイザナキはスサノオを勘当する。追放された彼は、去る前にアマテラス姉さんに挨拶をしに行こうと高天原へ向かった。しかしアマテラスは、スサノオが国を奪いに来たのではないかと勘違い。1500本もの弓矢で完全武装し、「何をしに来たんだ!」と雄叫びを上げる。家族の信頼ゼロ。スサノオは弁明し、アマテラスに誓う。「2人で子供を生もう」。展開が速過ぎる。
で、アマテラスがスサノオの剣を噛み砕いて吹き出したら女神が生まれた。スサノオは、「女の子が生まれたのは僕の心がキレイだからだ」といって、アマテラスの祭殿にウンコをまき散らす。わははははは。意味がわからん。原文では「屎麻理散」とあり、「クソまり散らしき」と訓読みする。爆笑である。「クソまり散らしき」。何度読んでも笑える。小学生か、俺は。
その後もムチャクチャである。スサノオが、天馬の皮を剥いで機屋の天井から投げ込んだところ、驚いた女が機棒でマンコを衝いて死んでしまった。などなど。この挿話の必然性が全く理解できない、というところがスゴい。
神武天皇の皇后の話もヒドい。セヤダタラヒメという美人がいて、オオモノヌシが狙っていた。そこで、セヤダタラヒメがウンコをするときを狙い、オオモノヌシは矢に化けて下水を走り、彼女のマンコに突撃する。こうして生まれたのがホトタタライススキヒメなのだが、これは「マンコを衝かれて驚き生まれた姫」という意味の名前である。ヒド過ぎる。イジメられたのか、後に改名したようだが。そんな彼女も、今では神武天皇の妃。生まれた子供は、もちろん次期天皇。なぜなら彼女もまた、特別な存在だからです。
楽になるための努力は厭わない T です。こんばんは。
大学 → 病院。
論文のための figure を調整中。データはある。あとは綺麗に作り込むだけ。凝り出すと際限がないが、納得のいくまで整えたい。作業は PowerPoint で行っているが、この段階で最もよく使うのが「オブジェクトの整列」。複数のオブジェクトを選択して、端や中心を揃えたり、それぞれの間隔を等しくしたりというアレだ。
ところが。雑談中に発覚したのだが、研究員嬢はこの整列機能の存在を全く知らなかったらしい。あり得んだろ。どうやって figure を作るんだ。
「写真とかの端っこがキッチリ揃わないでしょ」
「(我が意を得たりという感じで) そうなんですよ!」
「そうなんですよ、じゃないよ。普段どうしてんのよ?」
「だから、画面を拡大して、control キーを押しながら矢印連打で、目で見て揃えます」
「時間かかるでしょ」
「かかります!」
これで彼女がいい加減な性格の人間であれば、まだむしろ救いがある。しかし実際は、几帳面なほどに几帳面な性格なのである。その性格で「整列機能なし」は辛いだろう。教えてあげたら、凄く喜んでいた。
これは自戒を込めて書くのだが、つまらないことでも、否、つまらないことだからこそ、方法や技術の習得が大切になってくる。Essential ではない仕事に割ける時間は限られる。いささか遠回りでも、機械的な作業はできるだけ簡単に済ませるよう、その方法を学ぶべきだ。方法がなければ、自分で作るしかない。もっとも、自分で作らなければならないというケースは、意外と少ない。
私が面倒臭いと思うことは他人にとってもそうであるだろう、という単純な推測がある。面倒だと思う人が一定数いるならば、その中の誰かが、面倒に立ち向かう技術を構築している可能性は高い。フリーのソフトウェアなどが、その典型例だろう。ソフトに限らず、楽をするためのノウハウは至る所に転がっている。ここで、個々の技術や方法を知ることはそれほど重要ではない。そういうものがある (はずだ)、という認識が大切なのである。
「調べれば判ることなど頭に詰めこんでおく必要などない。問題はどう調べれば良いのか、誰に聞けば良いのかを知っていること」
(明石散人『龍安寺石庭の謎 スペース・ガーデン』)
まァ、そういうことである。面倒は嫌だ、楽をしたい。素直な感情だと思う。進歩って、できるだけ素直でいられることだと思うんだよね。
紫陽花の写真のストックが尽きてきた T です。こんばんは。
大学 → 病院。
午後からデータ整理、夕刻からボスとディスカッション。昨夜、セミナーで進捗状況を報告したのは、新しい研究テーマに関して。今日の主題は、論文のための追加実験をしている研究の方。大学と職場を往復しまくったので、だいぶデータも溜まってきた。形にせねば、これまでの苦労が報われぬ。論文が出れば、大学院の修了要件も満たせる。何だかズルい気もするけど。
就職せずに進学していたら、今年度の私は D3 である。どちらの道を選んだにせよ、そろそろ仕事をまとめることも覚えなければならない。就職して、学生の頃とは研究テーマも全く変わったし、ラボの立ち上げという難題もあった。一方で、2人のテクニシャン嬢と一緒に仕事をさせて頂くという環境にも恵まれた。今は、生活の心配をせずに大学院に通っている。多忙だが、概ね幸福である。
人間万事、塞翁が馬。先がよく見えないことを「不安」と思うのは、自分に自信がないからだ。どうなるのか、どうしてやろうか、と楽しめるほどの余裕があれば立派なものだ。なかなか、それほど強くはなれないけれど。
夜は職場で職員の交流会。缶ビールを片手に、紙皿に手盛りした料理を立ち食いするという、素朴ながらも楽しい会だった。会場となった建物の付近に、沢山の紫陽花が咲いていた。明日の昼休みにでも、写真を撮りに行こう。
新入社員が自衛隊で研修を受けるように、小役人どもは理系の現場で研修を受けるべきだと思う T です。こんばんは。
大学 → 病院。
書くのを忘れていたが、一昨日は大学 → 病院。隣のテクニシャン嬢が来ていた。昨日は大学 → 病院 → 大学。研究員嬢が来ていた。大学でも両日、誰かが働いている。皆、頑張るよなあ。
最近は色々とあったので、自分のやり方に自信を失いつつあったのだけど、そうでもないかな、と再び思えるようになってきた。自分の考え方が絶対的に正しいとは思わないし、他人の考えを否定するつもりもない。要は、自分がどうありたいか、だろう。「自分らしく生きる」というのは、ある意味ではとても簡単だ。かくあれかし、と自分を規定する方が難しい。自分だけが自分だけを縛れる、という人間が一番強い。そう思う。自分を縛る能力がある人は、他人も拘束したくなる。しかしそれは煩悩だろう。頭ではわかっているけれど、実行するのは案外と困難だ。
今日は午後からデスクワークに専念する。夜のセミナーで発表。実験はそれなりに進んでいるけれど、そろそろ勉強の方に力を入れる時期かな、と感じた。コンスタントに勉強できればベストなのだが、これがなかなか。ガーッと実験して、必要になればダーッと勉強する。その繰り返しである。
これが良い方法なのかどうか、今一つ確信が持てない。毎日キチンと勉強したことがないので。
もう少し短く書けないかな、といつも思う T です。こんばんは。
短ければ必ずしも良いというわけではないし、個人的には長文の方が読み応えがあって好きである。だから、「短く書く」というのは、あくまで技術的な課題である。
ふと気付いたので発作的に書くのだが、零式戦闘機を「ゼロせん」と読むのはどうなんだ? Zero って敵性語じゃないか。ストライクを「よし」と言い換えてまで野球道を全うした大日本帝国だから、当時は「レイせん」と呼んでいたのだろうか。しかし「レイせん」というのは、日本語としていささか発音しにくい音韻であるし、第一、弱そうじゃないか。
Wikipedia によると、
1942年後半以降は部隊では「ぜろせん」であったらしく、昭和十九年十一月二十三日の朝日新聞で初めて零戦の存在が公開された際も「荒鷲等からは零戦 (ゼロセン) と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されている。
とあるから、やはり「ゼロせん」で大丈夫なようだ。
次に疑問に思うのは、日本に完全な 10進法が渡って来たのはいつであろうか、ということである。例えば『古事記』の孝霊天皇の段では「天皇の御年、一百六歳」とあって、「一〇六歳」でもなければ「一零六歳」でもない。漢数字はローマ数字に比べてまだ 10進法的ではあるが、それでも不完全である。いつから「〇」や「零」が数字として 10進法的に使われ始めたのだろう。
初出を調べるのはとても難しい。古い史料・資料はデジタル化されていないので、検索にかけることもできないし。文系の人は、どうやって網羅的に文献を探索しているのだろう。謎だ。
紫陽花が好きな T です。こんばんは。
定義は、既に定義された言葉で記述される。当たり前のことだ。しかし、よくよく考えてみると、最後には不可知な領域に行き着く。「最初の定義」が存在しないからだ。仮にあったとして、その定義はどのような言葉で書かれるのか。
辞書を使った遊びが有名だろう。例えば「人間」を引くと「ヒト」と書いてある。今度は「ヒト」を引くと「人間」と説明がある。定義 (というか言語) の問題は、最終的にこのような相互言及の罠に陥る。我々は何も定義できないし、したがって、どのような言葉も 1つの「意味」に収斂させることができない。だから、どんな場面にも解釈が発生する。
議論だとか、執筆だとか、会話だとか——、これらは全て、相互の解釈を統一させようという試みである。その過程をコミュニケーションと呼んでも良いだろう。コミュニケーションを通じ、お互いが同じ解釈 (に至ったという幻想) に達すれば、それは「理解」と呼ばれる。素晴らしい奇跡だが、あまりにも危うい。この理解 = 誤解を回避するのが、他の解釈に対する想像力である。「ひょっとしたら違うんじゃないか」。この懐疑だけが世界を拡大する。
もっとも、何でも疑えば良いわけではない。誤解の夢に微睡 (まどろ) む幸せも存在する。これを否定すれば、人間は生きていけないだろう。そして、覚めない夢は現実に等しい。例えば、最も強い人間関係の 1つである親子間における理解。これもしょせん誤解に過ぎないのだが、同時に、やっぱり理解なのである。
我々は現実に対応させる目的で言葉を作った。したがって、「初めに言葉ありき」というのは嘘である。定義されていないからといって存在しないわけではない。だから自然科学を究める人は「発見」し、定義する。
その点、やはり数学は面白いなあと思う。定義がなければ存在もしない。平行線公理を設定しなければ、その条件で 1つの世界 (この例では非ユークリッド幾何学) が成立する。
言葉のことを考えていると、ついつい、言語とはアプリオリなものと錯覚してしまいがちである。それは、我々が生まれる以前から膨大な量の言語が存在しているからに他ならない。人間の文明が継続、発展しているのはこのためである。そしてこれが、「定義は、既に定義された言葉で記述される」の意味でもある。
新しく紡ぎ出される言葉は、過去の言葉と無縁ではあり得なく、全てつながっている。生命がそうであるように。その意味では、遺伝子は言語と似ているよなあ。
たまには吐き出さないと……、と思った T です。こんばんは。
実験を早めに切り上げ、テクニシャン嬢 2人、隣のテクニシャン嬢、隣の栄養士嬢、隣のバイト君、隣のバイト嬢と串を食べに行く。これまでにも何度か訪れた串屋である。大勢で行くと特に楽しい。
1次会終了後、隣のテクニシャン嬢、隣のバイト君、隣のバイト嬢とともに、「傷を舐めあう会」という痛々しい 2次会。悲惨だあ悲惨だあと嘆いてはマゾヒスティックな愉悦に酔い痴れるという、まことに日本的な光景を繰り広げる。
久しぶりに酔った。寝る!
進化したい T です。こんばんは。
終日病院。
今週から、別のグループのテクニシャン君に細胞培養を教えている。そのグループの先生には「デモだけで良いよ」と言われているが、そういうわけにもいかず、結局は手取り足取りという形になる。正直なところ、面倒ではないといえば嘘になる。しかし私も、大勢の人に「面倒」を見てもらったからこその現在があるわけで——、などという当たり前のことを、最近は本当によく思うようになった。頭で理解しているのと、実感するのとは全く違う。
などという説教臭い話を、私は最も嫌っていたのではなかったか。何を書いているのだバカめ。慌てて別の話をする。
兄弟姉妹の存在はその人の人格に大きく影響する。明らかに兄らしい人、見るからに妹らしい人は少なからず存在する。「兄らしい」「妹らしい」という性質を、適切な方法で「表現型」として定義したと仮定する。この表現型が獲得形質であることは自明である。
兄らしい兄として教育された男と、妹らしい妹として教育された女が結婚して、息子 (長子) と娘 (次子) をもうけたとする。恐らく息子は兄らしい兄として教育され、娘は妹らしい妹として教育されるだろう。つまり、獲得形質が遺伝する。
こういう例は多い。例えば、高学歴の両親から産まれた子の学歴は高くなりやすく、保守的な家庭の子は保守的な考え方を持ちやすい、などなど。この現象を宇宙人が見たらどう思うであろう。やはり、獲得形質は遺伝すると考えるのではないか。
あまりに例が卑近なので、もう少し抽象的に書いてみる。環境要因によって獲得される形質がある場合、その種がその環境で世代交代をする限り、獲得形質は遺伝する (少なくともそのように見える)。
一般的に、「獲得形質は遺伝しない」と考えられている。しかしこれはむしろ、「獲得形質」「遺伝」という言葉の問題でもある。「遺伝」というタームは現在、狭義には遺伝子を媒介した伝達様式に限定されて使われる。その定義に従うならば、そもそも「獲得形質の遺伝」という言説自体が成立しない。はずなのである。このことはあまり指摘されない。
他にも問題はある。基本的に進化とは世代間で発生するものであり、個体が進化することはない。さて、獲得形質の遺伝によって進化が起こると仮定する。するとどうなるか。ある形質を獲得する前と獲得した後の (同一の) 個体は、進化的に別物であることになる。つまり個体が進化する。ここで「進化」という単語の意味を拡大しても良いのだが、すると今度は「種」というものを新たに考える必要が出てくる。「獲得形質が遺伝して種が進化する」と書き飛ばすことは簡単だが、真剣に読む者にとっては全く意味不明である。
教科書なら大丈夫だろうという考えは捨てた方が良い。「獲得形質は遺伝しない」ことの説明をよくよく検討してみると、「遺伝しない形質を獲得形質という」ことを主張しているに過ぎない場合も多い。一度パラダイムが固まってしまうと、このような本末転倒の自己言及が発生する。結果的にそれが正しかったとしても、それでは単なる知識に過ぎない。教養以上の知的領域に踏み込むならば、そういう「賢さ」を捨て、バカになって虚心に考えよう。特に大学生には強くお勧めする。大学生活のある時期があれだけ暇になっているのは、こういうことを考えるためである (ということに卒業してから気付く)。
機会があれば、次は断続平衡進化説について書いてみよう。
元陸上部の T です。こんばんは。
24時間テレビの 100 km マラソンが話題になるたびに思うことがある。実は、100 km という距離は 24時間で歩くことができる。
私が所属していたボーイスカウトには「100 km ハイク」という行事があった。これがまさに、24時間で 100 km を歩こう、という企画なのである。準備も運営も大変なので、そうそう開催されるわけではないが、それでも私は 3回ほど参加した。結論からいうと、平均的な体力と根性がある男子中学生であれば、24時間で 100 km を歩き切ることができる。「24時間で 100 km」という条件を満たすだけなら、走る必要はどこにもない。
走り続ける、という運動は非常に負担である。高校生の頃の私は陸上部で長距離種目をやっていた。ハーフマラソンにも 2回ほど参加したが、連続して 20 km も走ると、次の日には身体がボロボロになる。練習では毎日 10〜15 km くらい走るのだが、それは例えば 3 km を 4本とか、1 km を 10本とか、そういう形である。駅伝の季節にはもっと長い距離を走っていたが、それでも 1回に走る距離の上限は 15 km 程度であった。逆にいえば、高校生が毎日これくらい練習をしても、20 km でヘバってしまうということでもある (走る速さの問題とかもあるけど)。100 km を走り続けるというのは、実に大変なことなのだ。
だからこそ、人によっては 100 km マラソンに感動するのかもしれないが、やっぱり私には愚行にしか見えない。100 km を 24時間で完走する (あるいは完走に至らない) ということは、どこかで歩行以下の速度になっていることを意味する。そういう状態になったとき、普通、マラソンが成立しているとはいわない。
すっきりした T です。こんばんは。
「説明が付かないからこそ面白い」という考えにも 2種類が存在する。最終的に説明が付くことを前提にしているかしていないか、である。前者は科学的興味であり、後者は神秘的興味といっても良い。前者は真理に対する期待があり、後者はそれを期待しないが故に生ずる自由がある。
我々はどちらに対しても痺れるような感覚を抱くし、また両者が実は密接に絡まりあっていることも知っている。ダイヤモンドのような神秘は理論によって綺羅々々とした破片に打ち砕かれると、今度は一分の隙もなく組み合わされて金剛の伽藍を形成する。そして、でき上がった壮麗な建築物を眺めた人は心に思うのだ。「何て神秘的なのだろう」と。
不思議だからこそ素晴らしいものがあり、不思議でないからこそ驚異的なものがある。最近つくづくと思うのだが、大抵のことは何かしら「スゴい」。スゴさを感じるには知識がないと難しいが、一方で知識に目が曇ってもスゴさが見えなくなる。
井沢元彦の『逆説の日本史 11 戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎』が文庫になっていたので、購入してパラパラと再読。
やっぱり秀吉という人物は面白いと思う。彼が持つ陽性の気質はとても好ましく、それがまた人気のゆえんでもあるのだが、その裏にベットリと張り付いたコンプレックスを考えると、非常に空恐ろしい気分になる。秀吉はその心に、本当に一片のコンプレックスも抱いていなかった、という可能性もないではない。しかし、それでは説明が付かぬことも多い。やはり大変なコンプレックスを抱えていたと私は思う。
コンプレックス = 劣等感、では必ずしもない。秀吉が抱いていた感情は「劣等感」ではないだろう。彼は自分が有能であることを充分に知っていたはずだし、他の誰かに対して能力的に強烈な劣等感を感じることは少なかったと思う。政治にしろ外交にしろ経済にしろ戦争にしろ、秀吉を凌駕する才能は同時代にほとんどない。秀吉が劣等感を抱いた相手として私が勝手に推測するのは、明智光秀、徳川家康、千利休くらいである。
むしろ、それほどまでに優れていたからこそ、秀吉はコンプレックスを抱えていた、ともいえる。どれほど優秀であろうと、生まれが卑しければ正当に評価されない。400年以上も前の社会における身分意識を正確に想像することは難しいが、「認められない」ことに対する彼の哀しみは大変なものであったろう。だからこそ秀吉は、「生まれなんて関係ない」を本当の意味で実行していた織田信長に、どんなことがあっても尽くしたのではないか。
信長に対する秀吉の気の遣い方はいささか異常である。これは一般的に、信長の強烈な猜疑心を秀吉が恐れていたからだと解釈される。しかし、それだけではあるまい。根源には、信長に対する感謝が常にあったのではないか。光秀にはそれがない。だから本能寺の変になる。
考えがナイーブに過ぎるだろうか。まァ、私が勝手に思っているだけのことなんだが。
終日病院。
昼からは研究員嬢もやって来た。確か先週も土日に出張ってきていたのではなかったか。ちゃんと休もうぜ。
今後の仕事のあり方について、ボスと室長の先生宛に長文のメールを書く。
占いなど信じていないが……、といいつつ、昨年の今頃に占い師から言われたことをしつこく覚えていたりする。気にしているのだ。バカか。
占いの結果を要約すると、「2007年の前半は大変だが後半には花が咲く」ということなのだが、少なくとも前半に限っては当たっている。これ以上ないくらいに大変でボロボロだ。休みはない、大学院に入ったから金は減って仕事は増える、人間関係は壊れる、パソコンも壊れる、投稿した論文は reject だ。当たり過ぎだろ。手加減しろ。
ということはしかし、後半には、これはもう、ちょっと想像できないくらいの「花」とやらが咲くに決まっているわけで、7月からが楽しみなのである。6月がまだ終わっていないので油断はできぬが、個人的には今日で膿を出し切った気分なので、もう何でも来やがれこの野郎と、いささかハイになっておる。狂っているのかもしれん。
7月は私の誕生月なので、仕切り直すには最適だ。いや、だから、占いは信じてないんだけどね。悪いことを占いのせいにするのはイカン。そういう分別をなくしたら終わりだろう。「花」とやらが咲くのも咲かぬのも私次第に決まっている。
7月からは頑張ろう。というか、明日から頑張れよ。いや、今日からか。
最近は色んなことが本当にかったるくて仕方がない T です。こんばんは。
昨日の日記を書いてから急に MacBook が動かなくなった。再起動をかけたら「?」マークのフォルダが表示されるだけで、それ以上ウンともスンともいわない。いや、ハードディスクはコロリコロリと奇妙な音を立ててはいる。しかし明らかに異音であって、むしろ全く動かない方がよほど頼もしい。何度も再起動をかけたら、最後には反応もしなくなった。この MacBook を買ったのはちょうど 1年前なのだが、壊れるには早過ぎないか。
今日は早めに実験を切り上げ、パソコン屋に行った。ちょうど新しい MacBook が発売されたばかりなので、ローエンドのモデルを購入。14万円。壊れた MacBook も同程度の価格だったから、1年使ってのランニング・コストは約 1万余円/月である。自分の意志で買い替えるのであれば、惜しい金額ではない。しかし今回は、壊れた上での買い替えだからなあ。釈然としない部分は残る。
修理に出せばもっと安いことはわかっている (かろうじて購入 1年以内だから、無料保証が効くはずだ)。しかし、修理に必要な何だかんだを思うと目の前が遠くなる。時間も手間もかかる。大したことではないはずだが、今の私は、そんな些細な雑事にも耐えられずに財布に手を伸ばす。
漢字が好きな T です。こんばんは。
昼間は暑いが、夜になると涼しくなって快い。良い季節だ。窓を開けていると羽虫がうるさいときもあるが (「五月蝿い」とはよくいったものだ)、「夏が来るんだなあ」という趣もないとはいえない。私は夏が好きだ。
「虫」といえば狭義には昆虫を指す。蝶 (ちょう)、蛹 (さなぎ)、蝉 (せみ)、蝗 (ばった)、蛍 (ほたる)、蟻 (あり)、蜂 (はち)、蟋蟀 (こおろぎ)、蚤 (のみ)、虱 (しらみ)、蝨 (だに)、蛆 (うじ)、虻 (あぶ)、蚊 (か)、蛾 (が)、蝿 (はえ)、蚕 (かいこ)、蚋 (ぶよ)、蜻蛉 (とんぼ)、蜉蝣 (かげろう) などなど、「虫」の字を含む漢字は多い。
昆虫以外にも蜘蛛 (くも) や百足 (むかで) なども一般的には「虫」という。確かに、漢字の中には「虫」の字がある。蠍 (さそり)、蟹 (かに)、蝦 (えび) などの小型節足動物は大概が「虫」であるといって良い。
蚯蚓 (みみず)、蛔虫 (かいちゅう)、蠕虫 (ぜんちゅう) などの環形動物、蛙 (かえる)、蝦蟇 (がまがえる) などの両生類、蛇 (へび)、蝮 (まむし)、蜥蜴 (とかげ) などの爬虫類、蝸牛 (かたつむり)、蛞蝓 (なめくじ)、蛸 (たこ)、蛤 (はまぐり)、牡蛎 (かき)、蜆 (しじみ)、浅蜊 (あさり) などの軟体動物も「虫」である。小型であるか、あるいは中型までで気味の悪い生物は、漢字の枠組みでは全て「虫」なのだ。
「虫が好かない」「腹の虫が鳴る」「虫の知らせ」「虫の居所が悪い」など、何だかわからないものも全て「虫」のせいにされた。何とも「虫の良い」話ではないか。虫からすれば「虫酸が走る」ところだろう。彼らにだって尊厳はある。「一寸の虫にも五分の魂」というではないか。
「虫」は旧字で「蟲」と書くが、何故に「虫」を 3つも重ねるのか理解に苦しむ。どう考えても無駄だろう。悪意があるとしか思えない。もっとも、そこがまた「蟲」という字の魅力なのだが。
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