- 科学格差

2007/05/31/Thu.科学格差

現在の研究費・研究計画の申請システムは遠からず破綻するのでは、と思った T です。こんばんは。

研究日記

病院 → 大学。

午後からは大学で、文部科学省の指針改正に関する説明会。

あまり知られていないと思われるが、科学研究における様々な実験に対して、多数の法令やら指針やらガイドラインが制定されている。強制力があるものもあるし、提言という位置付けのものもある。動物実験、遺伝子の導入・改変、ある種の生物種や細胞の飼育・培養、指定された薬品の購入・使用——、法令等に引っかかる物事については、研究計画書を中心とした申請書一式を提出し、しかるべき承認を受けねばならない。その研究機関内の承認で済むものもあれば、最終的に大臣のハンコが必要なものもある。申請に必要な労力は、必ずしも科学的な重要さと比例するわけではない。また、このような仕組みに精通することは、サイエンスと何の関係もない。

これは徒労なのだろうか。全くそうである、とまでは思わない。だが、研究者が申請に割いている膨大な時間は、いささか無駄に過ぎる。経済や法律における税理士や弁護士のような役職が、サイエンスにおいても必要なんじゃないか。普通の秘書さんがタッチするには、あまりに専門的な書類も多い。しっかりとした資格と制度を整備し、スペシャリストを養成する時期ではなかろうか。

大事なことだから何度でも書くが、研究費のかなりの部分は税金である。ある種の実験に対して世論が規制を求めるなら、充分に議論をする必要がある。同時に、多くの人が正しい科学的知識を有する努力も求められる。決められたルールは守らねばならない。一方で、柔軟に変更できるようにもしておくべきである。科学の進歩は速い。

科学格差とでもいうべき現象が、実際に存在する。例えばアメリカの一部では、ダーウィンの進化論が否定されている。日本人はそれを見て笑っているけれど、これは、国民の科学レベルが比較的高く、かつ科学格差が小さいからできる芸当である。日本人は宗教に熱心でないから、という理由だけでは説明できない。

宗教が悪いとはいわない。科学が全能だとも思わない。両者は全く別物である。「反対」という関係ですらない。科学は宗教を排斥しない。そんなことはサイエンティストなら誰でも知っている。科学の系は宗教を扱えないいから、つまり——、否定もできないのだ (逆に、宗教はロジックではないから、あっさりと科学を否定することができる)。偉大な科学者にして敬虔な宗教徒は、多数存在する。科学教育が不充分だと、このことが理解できない。

科学は宗教をどうにもしないが、科学教育は宗教問題を改善する可能性がある。