ネットが不調でイライラとしている T です。こんばんは。
麻耶雄嵩の『名探偵 木更津悠也』が文庫になっていたので、購入してパラパラと再読。ノベルスを読んだときに感想を書いたから、ここでは繰り返さない。麻耶の書評は難しい。例えば筒井康隆の書評も難しいが、「読めばわかる」と書けば済む、という一面もある。しかし麻耶の面白さは、「読めば (誰にでも) わかる」とは思えない。飽きるくらいに探偵小説を読んだ人でないと、この面白さの構造は理解できないだろう。
文庫版『名探偵 木更津悠也』の解説は波多野健。麻耶作品における名探偵についてスマートに論じている。思わず、「俺もそう思っていたんだよ」と膝を打った。優れた評論は、こうでなくてはならない。
名探偵の美学——これは本格推理小説の読書体験に特有の愉しみだから、とどのつまり読者と作者が作品の外側の世界で共有している美学である。ところが、例外的に作品内部でもワトソン役がどうやらこの美学を共有できるらしいのである。
ワトソン役のこの属性に焦点を——間違いなく世界で最初に——当てたのが、本書、麻耶雄嵩の『名探偵 木更津悠也』なのである。
(解説「名探偵という器」波多野健)
ところで最近、「探偵小説の五大奇書」という言葉を見かけた。私が知っているのは「四大奇書」だが、これを拡大しようとする動きが一部にあるらしい。このことについては、また後日。
病院。
半日ほど集中して実験。来週の計画を立てる。