- 浮き世と幻想

2007/03/30/Fri.浮き世と幻想

久々に買い物をした T です。こんばんは。

浮き世のこと

明日は研究員嬢の結婚披露宴に招待されているので、色々と浮き世のものを準備せねばならぬ。

まず、2年間も履きっぱなしだった靴を買い替えた。これは以前から (結婚式云々に関わらず)、早く買い替えろと何度もテクニシャン嬢から指導されてきた一品である。研究室に来たらサンダルに履き替えるからエエやん、といつも反論するのだが、それにしてもボロボロ過ぎるというのが彼女達の意見である。サンダルもまたボロボロだから、私の反論には何の説得力もないのがまたツラい。

仕方がないので 2足ほど買ってきた。1足で 2年は耐えられるから、4年は安泰だな。大学院を卒業するまで靴を買う必要はない……、という考え方それ自体が批判の対象であることは理解している。と同時に、女の子に身なりを直接批判されている内はまだ大丈夫、という変な余裕もある。何も言われなくなったら終わりだからなあ。いやホント、女性が多い職場での、男に対する悪口はちょっとスゴいものがある。

白いネクタイを買ってきた。これとスーツがあれば、とりあえず出席できるから男は楽である。

御祝儀袋を買ってきた。金と銀のヒモ (これは何という名前なのだ?) が上手く付けられなくてキレる。銀行が閉まっているので、ATM にて、綺麗なお札が出るまで「お引き出し」→「お預け入れ」のルーレットを繰り返す。いざ包み終わった段階で、文字は筆ペンで書かねばならぬことに気付き、コンビニに買いに行く。

浮き世のことだから仕方がないけれど、このクリエイティビティのなさはどうだ。という考え方から、私もいい加減に卒業せねばならんとは思う。しかしまた、この感性を失った瞬間にダメになるだろうな、という予感は恐らく正しい。浮き世の事柄に忙殺されて、ではその後に何が残る? 人生は短い。

研究員嬢の結婚を祝福する私の気持ちは純粋なものである。だがその気持ちを、浮き世のフォーマットに則って表現しないといけない、そうでないと、そもそも「表現した」ことにならない、というシステム (というか幻想だろう) に私は疑問を持つ。

幻想は、それが幻想であると気付いた瞬間に崩壊する。現在の日本で崩壊しているのは、教育だとか、就職だとかの具体的な事象ではなくて、それらを支える幻想なんだよね。断っておくが、全ての幻想を否定しているわけではない。古き良き幻想、悪しき幻想。色々な幻想が同時多発的に崩壊している。その後に立ち上がってくるものは何だろう。やはり幻想ではないか。

私達の世代は旧い日本の幻想を全く信じられなくなってしまったけれど、だからといって、ブーブー不満を垂れるだけなら誰でもできる。一歩進んで、自らの幻想を立ち上げないと。我々より若い世代は、かつて私達が知っていたような幻想を最初から知らない。これは非常に楽観的な予想なのだが、次の日本を何とかするのは、バブル時代の世代でもなく、ゆとり教育の世代でもなく、その狭間にある我々の世代なんじゃなかろうか。ネット上では既にそうなっているよね。

……結婚式の話からだいぶ逸れてしまったが。

研究日記

学会が終わってから、新しい系の予備実験を繰り返していたのだが、結果はどれも良好。来月からは本番かな。

9月の学会に演題を出したばかりだが、今度は 7月の研究会に抄録を出す羽目に。行き過ぎだろ、どう考えても。医学系には細分化された小さな学会や研究会が星の数ほどある、という話は以前にも書いた。それらをドサ回りするのも私の仕事の 1つなわけで、最近は大袈裟に考えずに、ハイハイと引き受けて 10分ほど喋って帰ってくることにしている。

「ドサ回り」という言葉は悪いかもしれないが、医者でない私にはやはりその程度の意味しかない。基礎分野はともかく、臨床系の研究会の半分以上は、専門を同じくする医者の社交の場である。そのような交流に意義があることは認めるけれども、しかし私には何の関係もない。仕事だから行くけど、それだけ。まァ、年度末報告書の業績欄が無駄に膨れ上がるという効用はある。枯れ木も山の賑わい。