- 歴史と史観

2006/12/20/Wed.歴史と史観

たまには以前のように、唐突な日記を書こうと思う T です。こんばんは。

墾田永年私財法の話をする。743 (天平15) 年に発布されたこの法律が荘園の根源であることは歴史の教科書に太字で大書されている。今思えばマルクス史観以外の何物でもないが、墾田永年私財法も荘園も「悪」として教えられた記憶がある。

例えば、当時の律令体制から見て墾田永年私財法が法学的に「悪法」であるとか、あるいは貴族だけが肥え太る制度が倫理的に「悪」であるとか、そういう議論は成り立つ。また、積極的にした方がよろしい。学問とは限定した側面から眺めることによってまずは成立する。だからこそ「総合力」が必要になってくるわけで、順序を間違えてはいけない。そういうことも同時に教えるべきだ。

話がズレたが、墾田永年私財法や荘園制度が「歴史的に」「悪」という主張はナンセンスである、ということを言いたい。そのような近視眼的な視野に捕らわれない姿勢を養うことこそが、歴史を学ぶ大きな意味ではないのか。歴史は巨大な因果である。荘園を否定するならば、まずは平等院鳳凰堂を焼き払い、『源氏物語』や『枕草子』を焚書にするべきだ。これらは皆、荘園制度がもたらした余裕 (あくまで局所的な、だが) の産物である。

無論、荘園制度における下層農民の労苦は言を待たない。平安貴族とは基本的に、「今日は方角が悪いからオメコができない」と言ってはメソメソと泣いていた愚かな人間である。このような人種に庶民が奉仕するいわれはどこにもない。しかし、だから「悪い」「遅れている」という評価は、歴史という物差しの上では意味がない。繰り返すが、今日の主題はそこにある。

荘園制度に対する反対から鎌倉幕府は起こった。結果論になるが、彼らが元寇を防いでくれたから今の日本がある (元軍は暴風雨に遭う前に九州へ上陸している。元軍を追い払ったのは当地の武士達であった。であるがゆえに、元軍は陸地に陣地を築けず、船へと戻った結果、神風にやられたわけだ。元寇における日本の勝利は単なる幸運では決してない)。公地公民が必要以上に機能していた中国や朝鮮が、近代においてどれほど立ち後れていたか。もっとも、その隙 (げき) を突いた (気になっていた) 過去の日本も本当に馬鹿である。

そういう諸々を突き詰めて行くと、歴史的事象に対して「良い」「悪い」という価値判断が何の価値もないことがわかってくる。歴史は全て、過去の事柄である。これらは我々が変えることはできない。科学がどんなに頑張っても自然の法則を曲げることができないのと同様、過去の事跡を (見掛け上) 消し去ることがあるいは可能であっても、起こってしまったことを変えることは永劫に不可能である。

「史観」という言葉がある。史観というものの効用は認めるが、史観によって事実が変わるわけではない。例えば私も私なりの「科学観」とでもいうべきものを持っている。だから「こんな結果が出れば良いなあ」と思いながら実験をする。仮説を立てるとき、そのような「観」が頼りになることもある。けれども、事実あるいは真実は、そんなものとは全く何の関係もない。史観に対して、そのような冷静な議論を見たことがないのがやや不安である。「皇国史観はマズかった」「マルクス史観もダメだ」という論争はよく目にする。しかしそのような議論がそもそも低レベルであることは指摘されない。気付いていないなんてことはないと思うのだが。

司馬遼太郎はいつもやんわりと史観を否定していた。なのに、「司馬史観」という言葉が彼の本の帯に踊り狂っていたりするのは、どういうことなんだろう。

研究日記

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論文を書く。年末に向けて、機器の点検とか試薬のチェックとか。