- 夢を見る

2006/10/31/Tue.夢を見る

今月のゴルゴ13 を熟読した T です。こんばんは。

読むたびに「もう 1ヶ月が経ったのか。早過ぎるのではないか」と思う。月刊でこれなのだから、週刊誌などはもう、毎日読んでいる気がする。小学生には信じられない感覚だろうが、ようやく今週のジャンプとマガジンとチャンピオンを立ち読みした翌日には、次週のジャンプが出ている。「乞う御期待」なんかしている場合じゃない。新聞の連載なんてとても読めないだろうなあ。読まないけど。

それにしても今週の『テニスの王子様』はスゴいな。

Web 日記

Google が YouTube を買収してから、YouTube への接続が遅くなったと感じているのは俺だけか。

以前にダウンロードしたドラゴンクエストの各テーマを聴いて懐かしい気分になる。「DQ v.s. FF」でも書いたが、ドラゴンクエストの音楽は「ドラゴンクエストであること」と同値である。オープニング・テーマを聴けば、「ああドラクエだなあ」と思う。そのあたりは、Star Wars に似ている。音楽自体が懐かしいのではなく、その曲が流れていた時間に自分が視ていた世界が懐かしいのである。

「自分が視ていた世界」は、想像力の賜物である。昔のゲームは表現力が乏しかった。俺達は常に想像力で補っていた。我が世代の男子達が、過去に経験したゲームを驚くほど記憶しているのは、それが彼自身の思考を酷使して獲得した世界だからである。最近のゲームが記憶に残らないのは、単に年を食ったからという理由だけではない。ゲーム機の表現力が向上し、自分で世界を膨らませてゲームをプレイする必要がなくなったから印象に残らないのだ。テレビ番組みたいなものだ。一方で、意外に糞ゲーが記憶に残る。糞ゲーを愉しむには想像力が欠かせない。

Web アプリケーションが「面白い」と思えるのは、いまだその表現力がデスクトップ・アプリケーションに大きく劣っているからではないか。Web アプリは今、必死に一般的なソフトウェアの振るまいを再現しようとしている。それは、以前のゲーム機が懸命にデザイナーの世界観を表現しようとしていた行為と重なって映る。「こんなことができるようになった」「こんなことが表現できた」という、進化の興奮。実現された「こんなこと」は、他の環境から見れば大したことではなかったりもする (以前のゲームが映画に比べれば屁のごときものだったように)。

欲求と、それを補う想像力が、技術の進歩に対する歓喜を生む。そうして技術が達成されるごとに、欲求と想像力は失われていく。夢を見たい人は、また別のベッドを探しにいく。「夢を見る」のは、結構能動的な作業なのかもしれない。

研究日記

病院。

単純な RT-PCR は上手くいくのに、SYBR Green と ROX を入れて定量しようとすると途端に PCR が上手くかからなくサンプルがある。他のサンプルやプライマーでは上手くいくのに、特定の組み合わせでこのトラブルが起こる。再現性あり。原因不明。困った。