- 求む、ノーベル生物学賞

2006/10/04/Wed.求む、ノーベル生物学賞

胃の痛い仕事が多い T です。こんばんは。

2006年のノーベル化学賞は「真核生物の転写機構」で Roger Kornberg が受賞した。最近の化学賞は生物関係が受賞することが多い。いい加減にノーベル生物学賞を作って、基礎研究は生物学賞、応用研究は医学賞と分けるべきではないか。

生命現象は化学反応であるが、生物学的に斬新な発見が化学的にも斬新かというのは疑問である。また、生命現象が全て化学反応というのなら、化学反応は全て物理現象でしかない。だから、やっぱり線引きがおかしい、少なくとも時代に合っていないと思われる。

研究日記

大学 → 病院。

大学では研究費のヒアリング。我々は国から研究費、つまり税金を頂戴して研究をしている。なので、それが適正に使われているか、要するに成果が出ているのかということを役人がチェックしに来る。それに対するプレゼンテーション、及び計画書と報告書の突き合わせなどが行われた。このような会合の末席に座っていつも思うのは、役所という組織は上に行くほど融通が効くものらしい、ということだ。役所に限った話ではないかもしれないが。別に悪いことだとも思わない。むしろ問題なのは、末端での杓子定規な運用だろうが、それは今日の本題ではない。

俺が関わっている幾つかの実験は、あるプロジェクトの各構成要素であり、そのプロジェクト自体も更に大きなプログラムの一環である。普段はそんな意識はないのだけれど、ボスに連れられてこのような場所に居合わせると、あァと再認識させられる。何にせよ、貴重な機会と経験ではある。

大学院に行くか行かないか、という話をしだしてから、時折このような会合での雑用を命じられるようになった。単に使われているだけではない、という気が最近している。大学でミーティングをするなら、その雑用は大学の研究員氏に依頼すればすむことだ。わざわざ病院から俺を引っ張ってくるのは、どうも戦力養成の一環であるらしい。俺が大学院に行けば、あと数年はボスの下で仕事をすることになる。俺の顔が少しでも広くなれば、それだけボスにとっても使いでがあるというわけだ。Give and take だから良いけど。この関係が続く限り、少々忙しかろうと、ボスとは上手くやっていけるという予感はある。

学会の登録とヒアリングが済んで、ボスも一段落ついたようだ。俺も、明日明後日と連休を取らせてもらうことにした。病院に戻ってテクニシャン嬢に 2日分の指示を出す。「休みは作るもの」という言葉の意味をひしひしと感ずる。「久し振りの休みだあ。しかも連休だあ」と喜んでいたら、世間は今週末 3連休ですよと言われる。

ナニ、ゆっくり実験に集中できるというものだ。