- Read Between the Lines

2006/09/29/Fri.Read Between the Lines

TUNEL 染色を見学させてもらった T です。こんばんは。

「29日は肉の日だ」というよくわからない理由で、テクニシャン嬢 2人、研究員嬢とともに焼き肉を食べに行く。

研究日記

病院 → 大学。

大学で細胞の sorting をしようとしたのだが、sorter の具合が悪く、思わぬ時間のロスを被った。細胞はその間にも、どんどんと死んでいく。これが辛い。Molecular な実験であれば、せいぜい帰宅時間が遅れるだけで、大した実害はないのだけれど。

Molecular な実験では、その時その瞬間の生命現象の一側面を固定できる。普段は何とも思わないが、これは凄いことだ。しかし逆に、それらは断片でしかなく、集積したところで非連続的である、ともいえる。

例えば、培養 1日目、3日目、5日目の細胞におけるタンパク質 A の発現量を Western によって検出したとしよう。それぞれのサンプルにおける発現量が同値であったとする。「培養 5日目までにおいて、タンパク質 A の発現量は一定である」。本当に、そんなことがいえるのだろうか。48時間 (あるいはそれ未満の短い周期) でタンパク質 A の発現が周期的に増減している可能性は否定できない。そういう話である。

非連続な間隔は推測によって充填されるが、通常はそれを意識しない。連続している、と思い込んでいる。これが怖い。遠くからは壁のように見えたものが、実は網戸だった。そんな感じである。網は、縦糸と横糸が交差することによって疑似的に平面を構成する。複数の異なる実験で得られた結果とは、網目の交点のようなものだ。解像度、分解能、という概念がある。原子が規則的に並んだ電子顕微鏡写真を見たことがあるだろう。あれがまさしく網目である。点を無限に敷き詰めれば平面になるのだろうが、我々にできるのは、交点の間隔を条件が許す限り狭めることだけだ。

文章も同じである。前の文章と、続く文章が連続しているというのは、書き手や読み手の思い込み。「行間」とはよくいったもので、そこから「紙背」が浮かび上がる。「眼光紙背に徹す」という言葉も面白い。「眼光」とは、要するに点であろう。昔の人は偉いなあ。