- 記憶論

2006/08/15/Tue.記憶論

最近は忘れる一方の T です。こんばんは。

覚えることは全て覚えなくても良いことだが覚えた方が良い

覚えなくても良いようなことに限って、強烈に頭に残ったりする、という話を以前に書いた。以下は、あくまで生存レベルでの話。

生存に必須な情報は誰もが必ず記憶する。それをわざわざ「覚えよう」として記憶しなければならない生物は、すぐに地上から姿を消すであろう。最重要な情報は、そもそも記憶するとかいう以前に、遺伝情報あるいは神経ネットワークの配線として「書き込まれている」場合すらある。昆虫の走性などはその典型だろう。そこに、覚えたり考えたりする余地はない。

したがって、「覚える」という行為の対象は、全て「覚えなくても良いこと」だという極論も成り立つ。よくよく考えてみれば、「覚えなくても良いこと」というのは、いまだ価値が不定であるというに過ぎない。「余分な」情報ストックの多寡が、未経験の有事の際における生存率を左右する (こともあろう)。したがって、「覚えなくても良いこと」に対して強烈な記憶作用が働くというのは、個体の生存を図るために備わったメカニズムなのかもしれない。覚えなくても良いことだが、覚えた方が良い

上で「個体の」とわざわざ断ったのは、記憶は遺伝しないからだ。生存に有利になるならば、記憶も遺伝させればよろしい。原則だけを述べれば、確かにそうなる。しかしそのような機能は生物に実装されなかった。機構的に無理だったのだろうか? 現生生物を見ればそのように考えてしまいがちだが、進化の単位は数十億年である。「本当に」それが有利であるならば、全く不可能だったとは誰にも言えまい。抽象的な議論になるが、記憶が遺伝しないのは、「良い記憶とは何か」を自然が選択できないからだろう、と思う。記憶はあくまで、「個人的な体験」なのだ。

研究日記

終日病院。クローニングがなかなか進まない。