- Nature v.s. Artifact

2006/07/16/Sun.Nature v.s. Artifact

昨夜から文庫版『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいる T です。こんばんは。

なげー。第3部の終わりまでで 17巻だから読み切れるかな、と思っていたのだが、よく考えたら文庫版。コミックスでは 28巻に相当する。まァ、急ぐ必要はないので、ゆっくり楽しんで読む。結局、夜明けまでかかって読破してしまったのだが。

今夜は今夜で、第5部「黄金の風」までを買ってきた。特に第4部「ダイヤモンドは砕けない」が好きなので、食料品も買い込んで熟読する予定。

研究日記

病院で細胞の世話を少し。職場の最寄り駅についた途端、物凄い雨に遭う。実験が待っているため、ビショビショに濡れながら悠然と出勤を継続する。

ところで、生物学的に「それが nature なものかどうか」が問題になることがある。例えば各種の融合タンパク質。その化学的性質や細胞内での局在をいくら調べたところで、それらはあくまで融合タンパク質のキャラクターである。nature なタンパク質の特性もそうであるという保証はどこにもない。タンパク質の X線結晶構造解析なんかもそうである。この研究からわかるのは「結晶化したタンパク質の立体構造」であるが、細胞内でタンパク質が結晶化することはない。

だからといって、これらの研究が無駄であるということはないのだが。この問題については、「事実としてのアーティファクト」に書いた。

で、だ。ES 細胞というのも、非常に人工的なものである。ES 細胞の主な研究の一つに、各種細胞への分化機構の解明とがある。しかし例えば、ES 細胞のみを dish 上で培養している系における分化機構というものが、発生におけるそれと全く同じものかと問われれば、大変疑問に思う。これは発生学的な発想である。「nature でない (かもしれない)」ことに、引っ掛かりを覚えてしまうんだな。

でも、今の職場でそういうことを考える人は皆無である。医学的には、「nature であろうとなかろうと、機能する細胞に分化して治療に用いることができれば良い」ということになる。極端にいえば、だけど。わからんでもない。「nature でなければならない」のならば、そもそも薬というものが成立しない。

長くなりそうなので、続きはまた明日。