- 不思議と謎

2006/06/15/Thu.不思議と謎

それでもやっぱり、この世には不思議なものがあると思う T です。こんばんは。

何を問題とするか

このところ何度か書いている「問題化」について。まずは次のような質問はどうだろう。

「不思議」と「謎」の違いは何か?

あくまで言葉のフィーリングだが、俺の解答。

「不思議」は主観的、「謎」は客観的なものである。

不思議と思うから不思議なのであって、考えようによっては、それこそ京極夏彦ではないが「不思議なものなど何もない」という境地にも至れる。乱暴な話、「不思議」を考えるのが人文科学ではないか。「私とは何か」と不思議がれば哲学が生まれる。しかし、不思議と思わない人にとって、それは問題ですらない。人があるゆえに問題が発生する。「人」文科学とはよくぞ名付けたものだ。

一方、謎は、謎を認識せずともそこに存在する。「究極の粒子とは何か」「生命の起源とは何か」という謎は、誰一人そんなことを考えずとも、その謎自体が消滅するわけではない。またまた大袈裟にいえば、謎を解明するのが自然科学である。この分野における問題化とは、「謎の発見」を意味する。

「どうやら答えがありそうだ」というのが、謎の大きな特徴である。また、解答を与えられた謎は謎でなくなる、という性質もある。したがって、謎を謎として成立させるためには、それがいまだ謎のままであるかどうかを検証しなければならない。具体的には、過去の論文の検索などがそれにあたる。勉強しないと問題が現れないわけだ。逆にいえば、しっかりと問題を立てることができさえすれば、その謎の半分は解けたに等しい。問題化を重視する所以である。