- DQ v.s. FF

2006/05/29/Mon.DQ v.s. FF

惰眠を貪った T です。こんばんは。

ドラゴンクエストとファイナルファンタジー

今は一つの会社になってしまった SQUARE ENIX の 2大タイトルといえば、「ドラゴンクエスト」 (DQ) と、「ファイナルファンタジー」 (FF) であることに異論はないだろう。この 2つは SQUARE ENIX だけでなく、日本を、否、世界を代表する RPG といっても良い。これらにネーム・バリューで対抗できる唯一の RPG は「Wizardry」だろうが、このゲームは進化を放棄してから久しい(それゆえに残っているともいえるが)。

俺の世代では、FF よりも DQ に人気がある。というよりも、DQ は「特別な」ゲームであり、いかに FF が飛び抜けたゲームであるといえども、決して同じ位相に立つことはない。DQ と FF には決定的な違いがある。

DQ にはクレジットがある。(c) 堀井雄二であり、(c) 鳥山明であり、(c) すぎやまこういちなのだ。仮に、キャラクター・デザインが鳥山明ではない DQ が作られたとする。それは果たして DQ といえるだろうか? FF は誰がシナリオを書いても FF として成立するが、DQ ではそれが成り立たない。すぎやまこういちが死ねば、DQ というゲームも生命を終える、という想像すら可能である。そういう問題なのだ。DQ 方式と FF 方式、どちらが良いかはわからない。むしろ俺以下の年代では FF の人気が圧倒的であり、DQ 方式が「古い」ことは明らかである。

現在、小説など一部を除くほとんどの創作物がグループの手によって生み出されており、DQ と FF の問題は一考に値する。DQ 方式と FF 方式の中間にあたる、さいとう・たかを及びさいとうプロダクションという「さいとう方式」も存在し、中々奥が深い。要するに「個人と歯車」の問題へと還元されるのだが、これは一般の仕事にも当てはまる。

「無名の個人」の空間であるネット・スペースは、そういう意味で面白いポジションにいると思うのだが。

研究日記

許可を得て仕事を休む。ボスからのメールを 2、3件さばく。

体調が悪いとかいっても、それは風邪などではなく単なる疲労であるから、休日さえあれば回復するし、そもそもこんな事態にすらならないのである。別に強制されて働いているわけではないが、実際問題として休めないのもまた事実。それとも、俺の思い過ごしなんだろうか。「俺がいなければ」という傲慢なガンバリズムが周囲の人間にウザがられている、という可能性もあるかもしれない。だとしたらイヤだなあ。

「ボスが心配してましたよ」というメールを臨床検査技師嬢から受け取る。ボスってこういう小技が上手いんだよな。