- 進化的元型論

2006/03/31/Fri.進化的元型論

20日ぶりの休日に、何をして良いのかわからなくて困っている T です。こんばんは。

先悔

後悔先に立たず。後で悔いることのないよう、「先悔」というものを考えてみた。

「明日ああしておけばなあ!」

難しいな、これ。

元型は種を越えて成立するか

昨日の続き。

どうして我々は花を美しいと感じるのか。しかし、これは設問に恐らく誤りがある。我々が「美しい」と感じるように、花は進化してきた。そんな気がする。

花というのは装飾である。花をつけることによって、その個体が生存上有利になるということは、まずない。桜色の染料は、花が咲く直前の幹から採取される。たった 1週間だけ咲かせる花のために、桜の木は 1年間かけて色素を蓄積する。このようなエネルギーの使い方が、個体にとって有益なわけがない。動物の雄がしばしば美しい装飾で身を誇るのと同様、装飾は個体の生存ではなく、種の存続を目的としている。

花に関していえば、花は、昆虫にとって好ましくあるものが進化的に選択されてきた可能性がある。「美しい」花が、花として現在まで残っているのだ。ここで疑問が湧く。花が昆虫にとって「快」であることは納得できる。だが、人間に対してもそうであるのか? 我々は昆虫と同じ感性(といって良いのか)を持っているのだろうか。

人類は元型を共有しているとユングはいった。極論すれば、昨日の日記で触れた「典型」も、元型の一種であるといえる。この元型は、種を越えた生物間でも成立するのか。花について考えると、このようなトンデモ仮説に行き着く。だが、なかなかバカにできない考えではないかという気もする。脳の構造がある程度類似していれば、同じ刺激に対して同じ感覚が惹起されることはあり得ると思う。犬などを飼ったことがある人は、感覚的に理解できよう。

もちろん、彼らと人間の認識する世界は全く違う。昆虫の複眼で見る花と、人間の目で見る花が同じであるはずがない。しかし、形状、色、数、匂いなど、デジタル化された(神経のシグナルに変換された)パターンのある種の組み合わせが、特定の構造を持つニューロンのネットワークを刺激する、というのはどうだろう。回路が同じであれば、入力に対する出力も同じである。具体的に「どのように見えているか」は、あまり問題ではない。

パターンの組み合わせが重要であるからこそ、「実物が良い」という主張が発生するのではないか。写真からは音や匂いが削除されている。組み合わせが生じないから、複合的な刺激に由来する感覚が励起されない。

シグナルの組み合わせの秘密さえ解き明かせれば、明日から大芸術家。これは、芸術はテクニックで作り得るということを意味する。俺は以前からそう思っている。