日記を書く時に一番頭を悩ますのが、この最初の 1行であることが多い T です。こんばんは。
形式であって目的ではないから動機に欠ける、それが原因だ。何を書いても成立するが、書かないと成立しない。形状はどうあれ、ポストが常に赤いことと似ている。苦労する割に、「ああ、T か」という認識が得やすくなるという効果しかない。もちろん、重要なことである。赤くないポストを想像すれば良い。
逆にいえば、毎日同じ文章でも成立するわけだが (ほとんどのポストが同じ形であるように)。
大学の動物実験講習会に参加。職場での動物実験講習会は既に受けたが、大学の施設を利用するには大学の講習会を受けねばならない。実験動物あるいは動物実験の基準が、それぞれの施設で微妙に異なっているからだ。これは非常に不合理ではないか。全国で統一した基準を策定し、レベルごとのライセンスを発行すべきである。一定以上のライセンスを持つ者ならば、どの施設でも簡単な登録だけで利用可能にしたらどうか (そういう傾向になりつつあるようだが)。
各施設で基準が異なるため、ときに問題も起こる。例えば実験動物は、病原検査をパスしたもの (SPF; specific phasogen-free などのレベルがある) しか飼育できない。が、動物を施設に搬入するための検査項目には、各施設で微妙な異同がある。施設 A では、病原 a の検査に合格した動物しか搬入できないとする。この場合、病原 a が検査項目に入っていない施設 B から、施設 A に動物を移すことは基本的に不可能である (どうしてもという場合、再び業者に検査を依頼することになる)。この動物は、施設 B においては SPF であるが、施設 A から見ると SPF ではない。何だそれ。
基本的に、検査項目の厳しさと研究の優劣に相関関係はない。しかし、世の中には頭のおかしな人間がいるもので、とにかく検査項目の多い方がエラいと信じている宗教家もいる。求められるグレードは実験ごとに異なる。必要なのは、基準の厳格さではなくバリエーションだ。非常にクリーンなものを必要とする実験がある一方で、そうでない実験もある。PBS を DEPC 水で作っていたら、いくら金があっても足りない。
職場で自動的に入っている保険 (名称は知らぬ) 以外の保険には入っていない (はずである)。こういう世事に疎い。そもそも必要性がない。生命保険に入ったところで、誰が俺の死に金を受け取るのか。せいぜいが両親であろうが、そのようなことを喜ぶ親に育ててもらった覚えはない。
簡易保険の案内が来る。2行ほど読んだが、何が書いてあるのかさっぱりわからない。どこが「簡易」か。
買い物をする。危うく『ファイナルファンタジー XII』を手に取りそうになる。こんなものをプレイし始めたら、間違いなくクビである。
文庫を 3冊。著者は吉田戦車、森博嗣、大沢在昌。スゴい組み合わせだ。森博嗣と大沢在昌はどちらも大変な売れっ子であるが、両者をハイブリッドさせれば、天文学的な売れ行きになるのではないか。少し考えてみた。
国籍を問わず、世界の研究者が 24時間蠢き続ける不夜城、筑波学園都市。捏造、陰謀、莫大な研究費が飛び交うこの空間で、元エリート研究者である鮫島 (仮称) は、誰ともコラボレーションすることなく、己が信じる研究を行ってきた。セミナーなどで鋭い質問を浴びせるその姿から、いつしか彼は「筑波鮫」と恐れられるようになる……。新感覚、理系ハードボイルド!
ダメかな。こういう下らないパロディならいくらでも思い付く。先日考えたのは、「出会い系サイト - いま、会いにゆきます」。もうどこかで使われているかもしれないが。