- 表現論

2006/03/07/Tue.表現論

見切り発車でリニューアルしてしまおうか、などと考えている T です。こんばんは。

「昔のことばかりを思い出す」という常套句があるが、これは当たり前。現在以降のことを「思い出す」人間はいない。

大人げない指摘だなあ、と自分でも思う。だが、このような怠惰な表現の積み重ねが、あらゆる表現行為を鈍くさせる。

表現力を高めるために、手垢の付いた定石を学ぶことは大切である。しかし極端にいえば、「捨て去るため」「自分が使わないため」に学ぶのである。定型化された表現は思考を束縛する。このことについては、もう何度も書いた(「言説を自動化する仕組み」など)。「自分の考え」と無意識に思ってしまうことが恐ろしいし、そのような自覚がない人間の話ほどつまらないものはない。どれだけの人が「自分の言葉」を持っているのだろう。まァ、「自分の言葉」というフレーズ自体が自動化しているわけだが。「自分の言葉で話せ」と説教を垂れる奴には、「お前もな」と返すのが正解。

ところで、最近の日記には、「既に書いた」「以前に書いた」という引用が多い。考えをコロコロと変えるつもりはないが、かといって繰り返す必要もまたない。リピートによる時間的空間的な場所の確保と、それに伴う定着、という手法はもう古いんじゃないか(有効性が失われたとは思わないが)。頻出する CM の程度が総じて低いのと同様、あまり上品な手法ではあるまい。「ユーザ・エクスペリエンスの向上」ということが盛んに言われているが、極論すると「一期一会」になる。横文字を使わんでも、という気がする。

君子は豹変す。考えが変わったら書く、くらいで良いのかもしれない。