- 最初のスゴい人

2005/12/31/Sat.最初のスゴい人

ここ数年、正月の帰省が隔年になっている T です。こんばんは。

去年は帰省していなかったので、今年は帰省する。3日の夜には戻ってくる予定。

最初のスゴい人

とにかく何にせよ、最初に考えて実行した人間はスゴい。物事には必ず「初めて」がある。原初に思いを巡らすことは、柔軟な思考を養う。何故ならば、それは常識の懐疑であるからだ。今では常識となっていることでも、最初にはそれが「なかった」わけで、すなわち常識以前の世界との境界を見ることになる。その境に立った人の心理に思いを馳せるとき、鮮やかに人物が浮かび上がる。

よく、「ナマコを最初に食べた人はスゴイ」といわれる。確かにスゴいかもしれないが、その人の心理という点では、あまり面白みがない。「腹が減っていたんだろう」という感想くらいしか湧かない。

それよりも、例えば「指輪の内側に自分の名前を彫り込んで恋人に贈る」という心理を考える方が、はるかに興味深い。今では誰でも気軽に行い、世間からもロマンティックな行為として認知されているけれども、これを「最初に実行した人間」の心理を深く考えると、ちょっと背筋が寒くなってくる。自分の名前が常に恋人の肌に密着している、その愉悦を思いながら指輪の内側に文字を刻み込む男(女性かもしれないが、やはり男であったろう、という確信的な何かがこの妄想にはある)。怖いよなあ。もはや江戸川乱歩の世界だ。

江戸川乱歩といえば、彼もスゴい。乱歩の小説というのは、もう本当に、どうしようもないくらいにどうしようもない。「天井裏を這っていって隣室を覗く男」(『屋根裏の散歩者』)であるとか、「椅子の中にもぐりこんで愛する夫人に座ってもらう男」(『人間椅子』)とか。よくこんなバカげたワン・アイデアを小説にしたな、と呆れるくらいである。こんなアホのような思い付きは、人々のバカ話の中で数限りなく出てきたであろう。しかし乱歩は、それを実際に小説として書いてしまった。そういう意味では、やはり乱歩も「最初のスゴい人」なのである。

バカげた発想をバカげた発想として切り捨てず、時間を置いてから再点検することの意義は、「着想の獲得」に書いた。この姿勢は筒井康隆に学んだ部分が大きい。筒井も、あらすじを書いただけでは非常にバカバカしいとしか思えない小説を多く発表している。

大晦日 2005

さて、今年の更新もこれで終わる。皆様、良いお年を。来年もよろしくお願い致します。