- 赤子の手をひねる

2005/11/25/Fri.赤子の手をひねる

そろそろふりかけにも飽きてきた T です。こんばんは。

「赤子の手をひねるような」という形容がある。極めて簡単な、の意である。しかし、まともな人間であれば、赤子の手をひねり上げるのは非常に難しい。少なくとも俺にはできない。

ところで、「天皇陛下の赤子」という言葉がある。以前、これを「天皇陛下のあかご」と読んだ人間がいてビックリした記憶がある。無論、「せきし」と読むのが正しい。

赤子(せきし)
(1) あかご。ちのみご。(2) (天子を父母にたとえるのに対して) 人民のこと。「願くば陛下の - をして餓ゑしむる勿れ/自然と人生 (蘆花)」(大辞林)

徳富蘆花の例文が楽しい。『自然と人生』と題した文章で、「陛下」や「餓ゑ」が出てくるあたりに時代を感じる。2005年の日本で、同じタイトルの文章を 100人が書いても、まず出てこない単語だろうな。今度は「徳富蘆花」を引いてみる。

徳富蘆花
(1868〜1927) 小説家。熊本県生まれ。本名、健次郎。兄蘇峰の民友社社員を経て、「不如帰」により文壇に独自の地位を確立。トルストイの影響を受け、キリスト教的人道主義の立場に立ち、粕谷(東京世田谷区)で半農生活に入り、「生活即芸術」の文学をめざした。作品に「自然と人生」「思出の記」「みみずのたはこと」など。本人は姓に「冨」の字を用いた。(大辞林)

素朴な疑問だが、キリスト教の信仰と、天皇陛下への崇拝は並立するものなのだろうか。まァ、元々日本は神仏習合の国であって、このような大らかな姿勢こそ日本人らしいともいえる。

そういえば、睦月影郎という興味深いエロ作家がいる。この人は熱心な国粋主義者であり、ならやたかし名義で「ケンペーくん」という漫画も描いている。現代に蘇った憲兵 (ケンペーくん) が、軟弱な若者共を軍刀で八つ裂きにするという過激なものだ。しかし、エロ本作家など、時代が時代ならば一番最初に筆を折らねばならない職業である。あの江戸川乱歩でさえ、一部の著作が発禁、しばし活動を控えていたのだ。自分が憲兵と化して日本を糺すことと、自分がエロ作家であることは、睦月影郎の中でどのように整合されているのだろうか。深く考えるとわからなくなってくる。

Web 日記

「Photo Album」にアップする写真のサイズを軽くした。昨日はプログラムに頭がいっぱいで、デジタルカメラで撮影したファイルをそのままアップしていたんだけれど、生データってメチャクチャ重いんだよな。撮影日時とかのメタ・データも入っているし。一手間かけて、サクサク動くように心がけた。画質に妥協はしていないので、充分観賞に堪えられると思う。撮影者の腕の保証はしかねるが。