- 理学と医学

2005/06/26/Sun.理学と医学

疲れて寝る、寝過ぎて疲れるという悪循環に陥っている T です。こんばんは。

休日が来るたびに 15時間ほど眠ってしまうのですが、私の身体は大丈夫でしょうか?(京都府・24歳・男性)

ドアの陰からいくらでも盗み見してもらって構わないから、マジで家政婦が欲しい。見るもんないけどな、ウチには。

研究日記

医学関係の仕事を始めて3週間、まだまだわからないことばかりだが、色々と考えることも多い。

理学と医学の研究スタンスで最も違う点といえば、それは研究対象の選び方ではないか。例えばの話、理学部で筋肉の研究をやっている人は、本当に筋肉に興味があるから研究している。一方、医学部の場合、それが「病気の原因であるから」筋肉の研究している(少なくとも大前提としてそういうスタンスを取っている)。重大な心疾患の原因が筋肉にあるから筋肉を研究しているのであって、仮に病原が血管にあると判明したら、彼らは明日から血管の研究を開始するだろう。大袈裟にいえば、だけど。

研究者である以前に医師である彼らの眼前には、病気で苦しんでいる多くの患者という圧倒的な現実がある。そして、その病苦を解決しなければならないという、内外からの大きな要求が存在する。理学部の人間にとって、疾患とは「イレギュラーな生命現象」でしかなく、研究結果によって「原理的な」解決方法を提示することはできても、具体的な治療方法は思考の埒外にある。そのような「具体性」を伴う仕事は、ともすれば「重箱の隅をつつくような」とか「Essential ではない」という言い方で一刀両断されたりもする。いかに事象をシンプルにし、エレガントなモデルを構築することができるか、それがいわゆる理学部的な仕事といえよう。

しかし、実学たる医学ではそういうわけにはいかない。理学的単純化は、すなわち「副作用を考えない」とか「個体差(個人差)の無視」に直結する。それでは「治療」にならない。で、とにかく考えられるだけのファクターを考慮する必要がある。広く浅くでも良いから(良くないけど)、できるだけ広範な視野を持たなければならない。だから例えば、「筋肉が専門です。神経はよく知りません」的な言い草が成立しない。医学の眼で見れば、「筋肉にも神経が走っているではないか」となる。「いや、今回の実験では関係ないし」と言いたかったりもするのだが、実は「無関係」なんていう証明はしていないわけで。こういう無意識レベルでの単純化を、今まで自分がどれほどやっていたかということを思い知らされる。難しい。