- Amazing Fuji-Yama

2005/01/13/Thu.Amazing Fuji-Yama

就職活動で関東に行ってきた T です。こんばんは。

東海道新幹線の白眉は、やはり本朝の霊峰・富士である。あの山の見物料と考えると、特急券も安いものだ。この 1年間で何度も富士山を眺めたが、今日はこれまでで一番の景色だった。

研究と報酬

青色発光ダイオードを開発した中村教授が、発明対価 6億円を日亜化学工業から受け取ることで和解した。東京地裁の 1審判決(200億円)からは大幅の減額である。教授は「日本の司法制度は腐ってる」と会見で話した。

「和解していて文句を言うな、腐ってると思うのなら徹底的に闘えば良い」という感想をあちこちで聞く。それに関しては議論しない。ここでは、研究に対する報酬という観点から少し考えてみたい。今回の裁判の焦点は、研究成果の金銭的価値の査定、これに尽きる。どうして査定が難しいのかというと、そもそも研究は金銭に置換することができない、という思想が歴史的にあるからだ。

古代ギリシアにおいて、オリンピックの優勝者には充分な報酬が贈られたが、アリストテレスを含む学者達には決して与えられなかった。「知識に対して報酬を与えるということは、すなわち知識よりも金銭の方が価値が高いことを認めたことになる。ゆえに我々は知識に金銭で報いることはない」という考え方がギリシア市民にあったためである。

清教徒的というか牧歌的というか、しかし一片の真実ではあろう。もちろん、この思想がそのまま現代に通じるとは俺も思わない。中村教授が発明対価を要求するのも、自然なことだと思う。が、その正確な査定が困難を極めるのは今でも同じだ。果たして 200億円(あるいは 6億円)が高いか安いか? これは誰にもわからない。個人に対する報酬としては 6億円で充分という意見もある。一方で、今冬、青色ダイオードを用いたクリスマスツリーが癒した人の数を考えると、200億円でもまだ安いとすら言える。

中村教授の研究は優れたものであったと思う。それゆえ、その金銭的価値の算出は不可能なのだ。アインシュタインの相対性理論やダーウィンの進化論に値段をつけることを考えれば、いかにそれが無理な問題かがわかる。いずれどこかで折り合いをつけねばならない。「腐っている」かどうかはともかく、これからも司法の試行錯誤は続くだろう。

就職活動日記

……中村教授について熱く語ってしまった。今日は気になる公募の面接を受けてきたのだが、それはすなわち、「自分の研究能力には金銭的価値がある」とアピールしてきたのと同意である。これまでに受験してきた面接でもそうだが、いつもここが引っ掛かる。金銭的価値? 学会発表なら、自分の研究内容をプレゼンテーションするだけで良いのだがなあ。

そんなことを考えているから笑えないのだろうか。実は前日、「お前はいつも難しい顔をしているから、面接では意識的に笑え」とK先生に言われたのだ。「面接は 5分間。採用されたら、その 5分で何百万円も儲かるわけだ。そう考えれば笑いが止まらない」とも言われた。ナルホドと思ったものの、やはり笑えない。逆に萎縮してしまう。仮に「1分 100万円」と聞いたところで、笑える奴の方がどうかしているんじゃなかろうか。