- 研究するということ

2004/10/29/Fri.研究するということ

溜まっていた「Book Review」を一気に更新した T です。こんばんは。

最近はなかなか本も読めないのだけれど、今日も三冊ほど買ってしまった。明日、明後日と雨のようだし、久し振りに読書をしながら、ゆっくりと週末を過ごそうかと思う。ちと疲れ気味。

就職活動日記

昨日のプレゼンテーションの結果、志望先のボスである M 先生から、「受入許諾書」という書類に一筆お願い頂けることとなった。これでようやく応募書類が揃ったことになる。これまでの活動は、全て応募「以前」の話なのだ。ハードル高過ぎ。まあ、税金由来の給料が出る以上、これくらいは当然なのかもしれない。

本日やっと、応募書類を投函。十二月下旬に書類審査の結果が出る。これに通れば、年明けに面接。パスできれば、晴れて採用となる。なるのだが、昨日の研究発表で、また別の不安が湧いてきている。仮に採用されたとして、本当にやっていけるのだろうか。まるで自信がない。

突然変異と病原変異

さて、俺のプレゼンテーションに対して頂いたコメントの中には、広く一般的に有用なものもあったと、昨日の日記で書いた。一つだけ紹介する。

俺はタンパク質に人為的な変異を導入し、in vitroin vivo での影響を調べた。我が研究の一番のキモであり、最も力を入れてやった実験である。それに対する M 先生のコメント。

「君が行った人為変異タンパク質を用いた実験、その結果の客観的な評価はする。私もタンパク質の変異に興味を持っている。しかしそれは、実際にヒトの病気の原因である変異について、である。だから私は、君の人為変異の研究が面白いとは思わない」

非常に辛口である。その理由を、こう説明された。

「病原変異に注目するのは、センセーショナルな理由からではない。実際に病気として発症する変異は、その時点で既に、膨大なレベルのナチュラル・セレクションを経た変異であると考えるからだ。実に貴重な変異なのである。いくら君が人為的に変異を導入してスクリーニングしたところで、敵うものではない」

「多くの人が、病原変異は偶然に起こったものだと考えている。確かに、突然変異は偶発の産物である。だが、病気の原因として残っている変異は、その後もずっとスクリーニングに晒し続けられた結果、存在する変異なのだ。その重要性を理解してほしい」

ハッとしたね。そんなことは考えたこともなかったし、このような病原変異の捉え方を見聞きしたこともなかった。しかし思えば、鎌状赤血球も似たような例なのだろう、ということに気付いたりする。昨夜は疲れていたけれど、反芻することが多くて、なかなか寝つけなかった。

こんなハイ・レベルの指摘が、何度となく飛び出てくるのである。その意味を理解し、頭に叩き込むだけで精一杯の時間もあった。自信なくすわ、ホンマ。ううん。