- Diary 2004/10

2004/10/30/Sat.

久々にメッセンジャーで多群兄と話した T です。こんばんは。

ふっと気付いたのだが、最近、我が豪邸の回線が非常に安定している。これまではよくブチブチと切れていたのだが。バックボーンの増設工事でもあったのかな。

ADSL の問題点

ADSL 回線の致命的な欠点は、接続速度が電話局からの距離に反比例していることである。つまり、同じサービス料金を払っても、回線を引っ張ってくる場所によって、受ける恩恵が違ってくるのだ。日本におけるサービスは、良くも悪くも、最後には必ず等質となる。そうでないと消費者が納得しない。この消費者意識は非常に高いと思う。日本は世界で一番消費者の目が厳しい市場である。

それゆえ、真のブロードバンド・サービスが達成されるのは、ADSL によってではない、と言える。ADSL の普及を促進した Yahoo! が、最近になって光回線のサービスを始めたのは、実に象徴的なことだ。

ネット・リテラシー

どうしてこんな話をするのかというと、数年前から声高に叫ばれている「ネット・リテラシー」や「コンピュータ・リテラシー」の問題と関係があるからだ。ネットワークやコンピュータの使い方に関して、いまだに確固たる習得ドクトリンはない。結局、自分が実際に使用したり体験したりすることによってしか、リテラシーを養う方法はないのだ。そのためには、高速回線と高性能パソコンが必要となる。最新のサービスやソフトウェアとは、しばしばそういった環境でしか走らないからである。

であるから、「良い道具や環境を整えるのは、もっと技量が上がってから」というような、いわゆる普通の趣味における考え方は、少なくともネットワークやコンピュータに限っては成立しない。絵筆とパソコンは、その意味で根本的に異なる。良いものを揃えないと、「まだ自分には必要ないから」という考えが、本当に妥当なものかどうかすら「わからない」のだ。

というわけで、我が豪邸の回線の安定化は、俺にとって「サービスの向上」以上の価値がある。不安定な回線によって閲覧を中止したサイトの中に、俺のネット・リテラシーを高めてくれるものがあったかもしれないのだ。自分が成長できる(かもしれない)機会を奪われることは、非常に悲しいことである。未然に失われたチャンスの積み重ねが、いつか決定的な差となって、自分の前に困った事態として現れるかもしれない。怖いことだ。

だからこれは、何もネット・リテラシーに限った話ではないのである。

2004/10/29/Fri.

溜まっていた「Book Review」を一気に更新した T です。こんばんは。

最近はなかなか本も読めないのだけれど、今日も三冊ほど買ってしまった。明日、明後日と雨のようだし、久し振りに読書をしながら、ゆっくりと週末を過ごそうかと思う。ちと疲れ気味。

就職活動日記

昨日のプレゼンテーションの結果、志望先のボスである M 先生から、「受入許諾書」という書類に一筆お願い頂けることとなった。これでようやく応募書類が揃ったことになる。これまでの活動は、全て応募「以前」の話なのだ。ハードル高過ぎ。まあ、税金由来の給料が出る以上、これくらいは当然なのかもしれない。

本日やっと、応募書類を投函。十二月下旬に書類審査の結果が出る。これに通れば、年明けに面接。パスできれば、晴れて採用となる。なるのだが、昨日の研究発表で、また別の不安が湧いてきている。仮に採用されたとして、本当にやっていけるのだろうか。まるで自信がない。

突然変異と病原変異

さて、俺のプレゼンテーションに対して頂いたコメントの中には、広く一般的に有用なものもあったと、昨日の日記で書いた。一つだけ紹介する。

俺はタンパク質に人為的な変異を導入し、in vitroin vivo での影響を調べた。我が研究の一番のキモであり、最も力を入れてやった実験である。それに対する M 先生のコメント。

「君が行った人為変異タンパク質を用いた実験、その結果の客観的な評価はする。私もタンパク質の変異に興味を持っている。しかしそれは、実際にヒトの病気の原因である変異について、である。だから私は、君の人為変異の研究が面白いとは思わない」

非常に辛口である。その理由を、こう説明された。

「病原変異に注目するのは、センセーショナルな理由からではない。実際に病気として発症する変異は、その時点で既に、膨大なレベルのナチュラル・セレクションを経た変異であると考えるからだ。実に貴重な変異なのである。いくら君が人為的に変異を導入してスクリーニングしたところで、敵うものではない」

「多くの人が、病原変異は偶然に起こったものだと考えている。確かに、突然変異は偶発の産物である。だが、病気の原因として残っている変異は、その後もずっとスクリーニングに晒し続けられた結果、存在する変異なのだ。その重要性を理解してほしい」

ハッとしたね。そんなことは考えたこともなかったし、このような病原変異の捉え方を見聞きしたこともなかった。しかし思えば、鎌状赤血球も似たような例なのだろう、ということに気付いたりする。昨夜は疲れていたけれど、反芻することが多くて、なかなか寝つけなかった。

こんなハイ・レベルの指摘が、何度となく飛び出てくるのである。その意味を理解し、頭に叩き込むだけで精一杯の時間もあった。自信なくすわ、ホンマ。ううん。

2004/10/28/Thu.

気になる公募のために研究発表をしてきた T です。こんばんは。

地獄を見た。いや、ネガティブな意味ばかりではなくて、何て言うんだろ、「野球部の練習地獄」みたいなニュアンスの、いわゆる研究地獄。小 1時間程度という予定で用意していた PowerPoint ファイル、しかし最後のスライドに到達したのは、開始から 2時間半後。3時間以上、立ちっぱなしの喋りっぱなし。それほど大量の説明を要求された。答えられなかった質問も多く、ヘコむ。まあ、本当につまらないと思われていたのなら、ここまで時間を取ってはくれなかっただろうし、その点はポジティブに考えることにしよう。

昨日も書いたことだが、今日のプレゼンテーション自体は、審査と直接の関係はない。俺も最初から武者修行のつもりで乗り込んだわけで、単に予想よりも厳しかったというだけの話。別に落ち込んではいないし、このような機会でないと絶対に聞けないような話も盛り沢山で、学会発表 10回分以上の価値があったと思う。己の勉強不足をイヤというほど教えられたというか、蒙を啓かれたというか。

今日は疲れたので、明日、もう少し書く。頂いたコメントの中には、俺の研究に対してのみならず、広く一般的に有効と思われるものもいくつかある。正直、感動すら覚えた。そのへんのことを、記憶が瑞々しい内に書き留めておきたい。

2004/10/27/Wed.

USB すら付いていないラボのマシンにウンザリの T です。こんばんは。

自動化される表現

昨日の続き。とりあえず前回の要約。

自動化された表現で、本当に自分の言いたいことが表すことができるだろうか。考えてみる価値はある。政治家が言うところの「遺憾である」みたいなもんで、いくら「自分の言葉」として体得したものでも、ときに「自らの言葉」にはなり得ない場合もあるんじゃねえの?

今日は、言説の自動化を促す外的要因の話。

言説の自動化を促す外的要因

「自動化」というほどのものではないが、それでも外的要因によって、言説がある圧力を受ける場合がある。というか、それが「言説」である以上、自らが展開される枠組みの影響を必ず受ける。受けざるを得ない。

この日記が日本語で書かれている以上、日本語にない概念を正確には記述できない。そういう問題がある。そこまで話題を大きくしなくとも、例えば今日の曜日は「Wed.」と書いてあるが、これは HTML での縦書きが不可能だからこそ現れる選択肢であって、縦書きで日記を書いていたならば(俺としては)絶対にあり得ない表記である。

そんなの、ただの表記の揺れではないかと思われるかもしれないが、言葉の組み合わせが表現の基本であるということは前回にも書いた。自動化とまでは行かずとも、「HTML で記述する」と決めた瞬間に封殺された表現、新たに選択肢に入った表記があるはずなのである。これが「外的要因による圧力」だ。

もっとも、この「圧力」それ自体に善悪はない。肝心なのは、圧力を受け止める側が、それをどう処理するのかという点である。京極夏彦は、自分の小説が判型を変えて再出版されるとき、そのフォーマットに応じて、センテンスで構成される作品の「外観」を整えるという。圧力を上手く受け流し、そればかりでなく、自分の力として利用しているわけだ。

自分のサイトのフォーマットは自分で決めることができる。京極夏彦よりも、もっと自由に振る舞えるはずなのだ。俺はある時期から、日記に小見出しや注釈を入れるようにした。これによって、以前よりもずっと、色々なことが書きやすくなったように思う。書きたいことに詰まったとき、表現を検討するのは最も基本的で大切なことではあるが、ひょっとすると、その言説が展開されている「場」にこそ問題があるのかもしれない。もしも「場」の変更が可能であるならば、外的要因を取り除く努力は行うべきだ。

就職活動日記

明日の午後、気になる公募の採用先となる(かもしれない)ラボで、自分の研究をプレゼンテーションする予定。激しく不安。先方のM先生に研究概要をお見せしたところ、研究自体には興味を持って頂けたようだが、それと採用とは関係ないしなあ。というのもこの公募、応募のあった研究室の先生方は、一切審査に関わらないらしいのだ。変なコネが働く余地がないのは結構なことだが、落ちた場合、それは完全に己の実力不足ということにもなる。厳しい。

2004/10/26/Tue.

マニュアル野郎にはウンザリの T です。こんばんは。

比喩の自動化

言説を自動化する枠組みというものに興味があって、これまでにも日記で何度か書いている(最近では「二元論の罠」とか)。自動化された言説は恐ろしい。その効果や威力が強過ぎるあまり、自分が本当に書きたいことからズレた文章が吐き出されてしまう可能性がある。

例えば、「様々な思い出が走馬灯のように浮かんでくる」という表現がある。実際に使ったことのある人もいるだろう。しかし現代の日本で、本物の「走馬灯」を見た人はどれくらいいるんだろうか。俺は見たことがない。見たことがないモノを比喩として使う、すなわち比喩の自動化である。

「走馬灯」を知らない人が「走馬灯のように」と表現する場合、それは「『走馬灯のように』という比喩が表現するような感じで」くらいの意味合いしか持たない。別にそれが悪いことだとは言わないが、彼が「走馬灯」を知らない以上、彼の内的イメージと、表現されたイメージは既にズレている。それでも意味が通じるのは、自動化された比喩が、半ば共通言語として、一つの形容詞のように機能しているからだ。「走馬灯のように」という表現は、もはや「熱い」や「優しく」といったレベルの「単語」であるとすら言える。

自動化のプロセス

これは個人的な考えなのだが、比喩を含む詩的表現とは、本来の言葉の組み合わせとは微妙に異なるところに生じるものなのではないか。そしてその些細な違和感が、「詩的」と称されるものの正体ではないか。結局、全ての表現は「言葉の組み合わせ」という問題に還元されるのではないか。そういう仮説を持っている。

どんなに高額であっても、本当に「目の玉が飛び出る」ことはない。その意味でこの表現は「正しくない」。だが、その「間違った組み合わせ」によって生じる効果が劇的であれば、いずれ人口を膾炙し、多くの人が文字として残し、最終的に「表現」として認知される。この経過は「誤用と正規表現」にも書いた。そして優秀なもの(=使用頻度の高いもの)は自動化される。選択的な進化が働いている、と言えなくもない。

同時にこの「進化」は、「表現の最大公約数化」でもある。ここに落とし穴がある。「私」は常に唯一であって、「特殊」であるからだ。いつも最大公約数で割り切れるとは限らない。

覚書

さて、「表現」について長々と書いてしまったが、言説の自動化を促すものには、外的な要因もある。簡単に言えば、この文章が日本語で書かれている時点で、既に「日本語」という制約を受けているのである。今日はそのことについて書きたかったのだが、また次回。

2004/10/25/Mon.

K君に「サイトの文字が小さくなった」と言われた T です。こんばんは。

いや、昨日はリンクの色を変えただけで、文字のサイズはイジってないんだけど。

ツッパリ歴史論

伊達政宗は流感に罹っても、決して人前で床に伏せることがなかった、というのは有名な逸話である。裏を返せば、人がいないところでは寝込んでいたわけで。何が言いたいのかというと、自分がツッパるためには、他人の目が必要なんじゃないかということである。圧力平衡の話ではないが、内面のツッパリと同等の圧力が、(たとえそれが彼の妄想であろうとも)外からかかってこなければ「ツッパリ」は成立しない。

客観的に見て、それが独り相撲の「ツッパリ」ということはあり得る。しかしそのとき、ツッパっている彼は、余人に見えない圧力と闘っているのではないか、という解釈も成り立つ。歴史をひも解くと、時に、あまりにも肩に力が入った人間が登場する。彼が相手にしていたプレッシャーが何なのか、それを想像するのもまた楽しい。

電気泳動の前提

核酸とタンパク質の結合を直接に確認したい場合、ゲルシフト解析などの実験があるわけだが、これは核酸とタンパク質が同じ種類の電荷を持っていることを前提にしている。果たして核酸とタンパク質が、ともに負の電荷を帯びているのは偶然なのか、それとも必然なのだろうか、という話をDr.AやB氏と少し語った。

そのときはまじめに考えなかったが、もしも両者が互いに反対の電荷を持っていたら、細胞中で電気的に強く結合してしまい、早晩困ったことになりそうだ、ということに気付く。遺伝子も上手く発現できないんじゃないか。必然ではなかったかもしれないが、核酸が最終的にタンパク質へと翻訳されるのは、ある程度の選択を経た結果のようにも思える。

だって、tRNA がペプチドだけを運ぶ必要はなかったんだし。どちらかと言えば、正の電荷を持つ物質の方が tRNA とは電気的に結合しやすいような気がする。その結果、正電荷のポリマーがポリペプチドのような感じで作られたかもしれない。しかし上述した理由でそのシステムがダメだとわかり、最後には負電荷のポリマー(=タンパク質)が生体の主成分として採用された……なんてな。

ま、妄想だが。どこかで考え違いをしていると思う。それにしても……、うまくできているよなあ。

2004/10/24/Sun.

ちょっとだけスタイルシートをイジった T です。こんばんは。

このサイトで使用している色は、主に白・青・赤なのだが、これでは散髪屋ではないか。それが理由というわけではないが、これまで赤字で書いていた部分を太字に変えてみた。また気分で変えるかもしれないけれど、しばらくこのまま続ける予定。

それにしても、ガンダムの配色は白・青・赤・黄と、原色ばかりである。よくこんな幼稚園児のお絵描きみたいな配色でデザインしたなあ、と感動すら覚える。しかも兵器なのに。違和感がないのが驚異的。

プチ・リニューアル

Windows でこのサイトを見る機会があったのだが(俺は公私とも Mac ユーザ)、リンクの色が、あまりにも本文と似通っていることに愕然とする。これでは見分けがつかんじゃないか、ということで、リンクの色も変えてみた。いかがだろうか。今度は淡過ぎて、逆に文字が読みにくくなったかもしれない。Win ユーザの忌憚のない御意見をうかがいたいところである。自己満足のためのサイトだが、ネットで公開している以上は、読みにくかったら意味がないと考えているので。まあ、Mac/Win に関係なく、使い勝手に対するメッセージがあれば「BBS」までどうぞ。

就職活動日記

午後からラボに行き、気になる公募用のプレゼンテーション・ファイルを作成。プレゼンは木曜日の午後に決まった。B氏とダラダラしたり飯を食ったりしてから、適当に切り上げて帰る。最近、週末はこんなのばっか。早く落ち着きたいものだ。

2004/10/23/Sat.

寝込んでいる間に散らかり放題となった部屋をようやく掃除した T です。こんばんは。

バイク日記

風邪や台風で、今月はロクにバイクに乗っていない。で、今日は久々にツーリングに行ってきた。ちょっと寒いかとも思ったが、俺が勝手に基準にしている地点の路面温度は 18℃。しっかりした装備で臨めば、まだまだ余裕である。さすがに山の方は少し肌寒いが、エンジンの熱を足下に感じつつ、軽く 100 km ほど走った。

冬が近付くにつれ、ますますバイクに乗るのが億劫になるが、距離を走らなくとも、ちょくちょくエンジンを回してやらなければ、すぐにバッテリーが上がってしまう。今年の冬は暖かそうなので、頑張って乗り回そうと思う。長いブーツが欲しいなあ。

就職活動日記

今日は一般的な就職活動の話。当たり前だが、就職活動はオリンピックではない。受からなければ意味がないのである。就職活動に割くことのできる時間と資金が限られている以上、最初から勝ち目のない就職試験なんて、誰も受けたくはない。

一方で、企業によってはあからさまに「帝国大学生しかいりません」「女性はいりません」という雰囲気を醸し出しているところもある(もちろん口に出しては言わないが)。俺はこの態度を否定しない。金を払って雇うのは向こうであり、雇うからには条件を付けるのが当然だと思うからだ。問題なのは、そのような「条件」が提示されていないという現実だ。実際にはあるはずなのに、表には決して出てこない。

これは企業側の責任ではない。男女雇用機会均等法等の法律があるため、建前としては「どんな人でもウエルカム」という態度を示しておかなければならない。しかしそれゆえ、全く勝ち目がない試験に、必死で就職を探している人の貴重なリソースが浪費されるハメになる。まことに不毛だと思う。誰のための法律なんだろうな。

2004/10/22/Fri.

昨夜は『タッチ』(あだち充)を読みふけり、更新をサボった T です。こんばんは。

いいねえ、『タッチ』。この漫画が連載されていたのは俺が小学校に入る以前で、俺はアニメの再放送しか観たことがなかったのだが、ほとんど古びた感じがしないのはスゴいと思う。

あ、ちなみに朝倉南は今年で36歳のはず。

就職活動日記

気になる公募の書類を一通り書き上げ、募集先の研究室の M先生にコンタクトを取った。来週、そのラボの方々に、自分の研究をプレゼンテーションする予定。そのプレゼンは採用審査と直接関係ないが、相手の先生は、俺が扱っているタンパク質の研究で世界的に有名な方である。話を聞いて頂けるというだけで有り難いが、同時に、チビりそうなくらいに怖い。果たして通用するのだろうか?

リニューアルの秋

最近、身近な人のサイトが続々とリニューアルされている。俺も軽く雰囲気を変えてみようかなあ、と考えたりもするが、どうも二の足を踏んでしまう。作業としては、それほど面倒臭くもないのだけれど。

服装でもそうなのだが、俺は自分の視覚的なセンスに自信がない。自分がカッコイイと思って開陳したものが、一般的には「ダサい」と評価されることがあり、これは非常にイタい。自分のセンスを信じて突き進むことも大事だが、これは一歩間違えれば「勘違い」となる恐れがある。ましてや、俺には信じるべき自分のセンスもない。

こういう人が道を踏み外さないように、先人は色々な鉄則を用意してくれている。「カッチリ作る」「シンプルにする」「使用する色数を増やさない」というようなことを守るだけで、デザインが苦手な人でも、それなりに鑑賞に耐えるものができる。そういう意味で、我がサイトは鉄壁デザインである。ガチガチの保守なのだ。やりたいことがあっても、グッと我慢して原則を崩さない。ずっと続けていると、それなりに落ち着きや味も出てこよう(と信じている……)。

センスの良いサイトを見るたびに羨ましくなるが、こればっかりは天分によるものが大きいので、センスを磨くよりは、信頼できるマニュアルを探す方を俺は選ぶ。今度リニューアルするとき、それは俺が新しい「鉄則」を学んだときになるんじゃないかな。

2004/10/20/Wed.

T です。こんばんは。

昨日の日記で「遭難覚悟で出勤」なんて気勢を上げていたが、無理。さすが超大型の台風 23号、覚悟とか関係なしに、出勤しただけで遭難確実な勢い。そもそもラボに行ったところで、これではK先生をはじめ、誰一人来ているわけがない。いや、確認したわけじゃないけど。もし来てたのなら、本気でスゴいと思う。

生物学におけるタームの問題

一昨日の続き。「タンパク質」と「ポリペプチド」はほとんど同じモノを指しているんだけれど、そもそも言葉の成り立ちからして違うので、うまく対応させるのは難しい、ということを書いた。そしてどちらかと言えば、生物学で使われているタームの方に問題があるんじゃないか、という気がする。

どうしてそんなことになったのか、というのが続きである。近代以前の生物学は、そのほとんどが現象論であった。現代生物学でも重要な位置を占める諸分野、例えば遺伝、発生、進化、行動、学習なんかは、そのメカニズムの基盤すらわかっておらず、現象論として語られてきた。当然のことながら、そこで使われるタームは現象論としての言葉となる。

具体例を挙げると、その昔、遺伝子は粒子だと考えられていた。これはあくまで(当時の)仮定である。「遺伝子」は仮定の言葉として生まれたわけだ。遺伝という現象があること、そしてその現象には法則性があることはわかっても、メカニズムが判明していない以上、仮定としてのタームを設定するしかない。約半世紀前までは、遺伝子の実体はタンパク質なのか核酸なのか、ということが真剣に論じられていたのである。だからこれは、ある意味では仕方のないことだ。

現在、遺伝子の物質的実体は DNA であり、その塩基配列が遺伝情報を担っているというのは常識以前の知識となっている。そして、ゲノム中のほとんどの配列が大した意味をもたず、意味を持つ部分も、エキソンやイントロン、プロモーターやエンハンサーといった配列に分類されることが、随分前に明らかになった。

しかし「遺伝子」という言葉が作られたとき、そのようなメカニズムは想定されていなかったわけで。そこへ新たな知識や概念を押し込もうとするから、どうしても無理が出る。生命現象は化学反応であり、そのメカニズムは物理的な構造や力学に還元される。そのような唯物的基盤から積み上げていったものが最終的に目指すところは、いまだに生き残っている「現象論の言葉」なのである。生命科学の論文が抱えているジレンマの一つは、そんなところにあるのかもしれない。

タームにおける日本語の問題

もう一つ例を挙げれば、一番手強いのが「進化」という言葉である。進化の実体は、DNAの塩基配列の変化である。しかし、それは進化の必要条件ではあるけれど、充分条件ではない。塩基配列が変わって死んだりするようなら、それはただの変異体だ。死なないまでも、大して生命活動に影響がなければ、やはり一つの対立遺伝子に過ぎない。そこで「意味」の入り込む余地が生まれる。中立進化説の「中立」なんて、その最たるものだろう。なんだよ、中立って。それは主観じゃないのか。少なくとも科学の言葉ではない。そういう問題がある。

さらにもう一点。これは日本語特有の問題なのだが、漢字で「進化」と書いた瞬間に、新たに別の意味が加わる。「Evolution」という英語を、表意文字で「進化」と訳した途端、「進」という文字によって、ほとんど無意識に、あるベクトルが生まれてしまう。元々の「Evolution」の概念に、そんなベクトルは含まれているのだろうか?

(「Evolution」の語源はラテン語の「Evolve」であり、「(巻物などを)開くこと」という意味がある。「進」という文字が導くベクトルに似たものがあるかもしれない)

難しいなあ。

2004/10/19/Tue.

T です。こんばんは。

研究日記

セミナーで論文紹介。詳しくやったつもりだが、それゆえに 3年生には引かれてしまったような気も。雨と人いきれで、湿気と熱気だけはムンムン伝わってきたが。っていうか疲れた。

就職活動日記

気になる公募の応募書類には、「現在の研究概要」も書かなければいけない。これをやたらとK先生がチェックしてきて、激しく面倒臭い。参考になるところもわずかにあるんだけれど、こねくり回したところで研究成果が増えるわけでもないし、正直、時間がもったいない。たかだか A4 用紙 1枚に何日かけるつもりなんだ。

明日は台風らしいが、書類チェック中に欠席すると、また億劫なことになりかねない。遭難覚悟で出勤し、「ゴチャゴチャ言うなら進学なんてしねえぞコラ」くらいの勢いで、アプライしてしまおうと考えている。

覚書

昨日の続きを書こうと考えていたのだが、疲れているのでメモ書きだけ。

近代以前の生物学は、そのほとんどが現象論であって、そこに物質的基盤はない。現代生物学だって、扱っているのは生命現象という「現象」には違いないのだが、そのメカニズムを論じる土台は、化学反応であったり、物理的な構造であったりする。しかしいまだに、近代以前から受け継がれている現象論の言葉(「遺伝」とか「進化」とか)も生き残っているため、ときどき変なことが起こる。

気が向いたら、明日にでも詳しく書くつもり。

2004/10/18/Mon.

論文を読むのにも飽きてきた T です。こんばんは。

公募の応募書類作成に、明日セミナー発表の準備。大したことはしていないのだが、何故か紙仕事は時間を食う。イヤな疲れ方だが、今週が一つの山となりそうなので、踏ん張っていこうと思う。にしても、何でこんなときに台風 23号 (TOKAGE) が来るかなあ。これで今年は何個目よ?

ポリペプチドとタンパク質

ずっと前から気になっていたのだが、ポリペプチドとタンパク質の違いって何なのだ。恐ろしく基本的な疑問で申し訳ないが、しかし両者の違いをハッキリと記述したものを見たことがない。複数の教科書で「タンパク質はポリペプチドである」という定義がなされている。では、タンパク質ではないポリペプチドがあるのか。言い換えれば、ポリペプチドがタンパク質になる条件というものがあるのか。極めて謎である。

一つ言えるのは、「ポリペプチド」は化学の言葉であって、「ポリ-」にしろ「ペプチド」にしろ、厳密で化学的な定義の上に成り立っているということである。そこに法則性はあっても、恣意性はない。まずは定義あり、というわけだ。

一方、「タンパク質」(というか「Protein」)は任意に付けられた名前であって、言葉それ自体には意味がない。「雲はどうして『雲』というのか」という問いと同じで、仮に説明はできても答えにはならないのだ。言葉を規定する枠組みが不完全なまま、先に言葉の方が生まれてしまったからである。「ポリペプチド」と「タンパク質」では、言葉の成立過程が全く違う。「タンパク質はポリペプチドである」というのは、言葉ができてからわかった事実であり、後付けで正確な対応を試みること自体、科学的には不毛であるのかもしれない。

生物学のタームには、他の自然科学の分野から見れば、いい加減に思われるであろう言葉がたくさんある。例えば「遺伝子」がそうだ。遺伝子の定義は、生物学の発展とともにコロコロと変わってきた。一方で、遺伝子の物質的実体であるDNAは、化学の言葉で定義されている。遺伝子であろうとなかろうと、「DNA」は常にデオキシリボ核酸という物質であって、それ以外の何物でもない。

こういう性質の言葉が体系的に整備されている学問は、やはり強いよなあと思う。応募書類の研究概要を書きながら、そんなことを考えていた。よほど注意していないと、生物学の記述はフラフラとしてしまう。それゆえに、言葉遊びをしただけのビッグ・マウスなんかも現れたりするのだが。問題だよなあ。

2004/10/17/Sun.

「寂しがり屋」と N.N.嬢に指摘された T です。こんばんは。

ラボにいて、ヒゲマン氏と N.N.嬢が「帰る」と言い出したから「ええ〜」と抗議しただけなんだけれど。何で抗議したかって? だって、一人だけ残るのってイヤじゃないか。断じて寂しいからではない。

就職活動日記

気になる公募の応募書類を作成。どうして役所に提出する書類は、こうもややこしいのだ。本当は月曜日に書くつもりだったのだが、今日中にやっつけておいて正解だった。余裕で一日が潰れる。仕事にならん。

俺の時間なんかはどうでも良いが、優秀な研究者の時間が、日本全国で毎日どれくらい浪費されているんだろうかと思うと慄然とする。役人ってのは、国益を守るためにあるんじゃないのか。つまらん雑用をウジャウジャと増やすんじゃねえよボケ。それが仕事だと思っているフシがあるから、余計に始末に悪い。書類を書く側にも構造的な問題はあるんだが、それにしてもなあ。

書類作成はヒゲマン氏にも手伝って頂いた。感謝。

栄養ドリンク

実家から送られてきた得体の知れない栄養ドリンクをいまだに飲んでいるのだが、今はじめて「効果・効能」の欄を読んでみた。そこにはこう書いてある。

効果・効能:滋養強壮、虚弱体質

……この文脈では、「ドリンクを飲んだ効果」が「虚弱体質」ということになるんだが。ダメだろ、それでは。飲んだ挙げ句に虚弱になってどうする。大丈夫かよ、このドリンク。

2004/10/16/Sat.

やっぱり足の裏が臭い T です。こんばんは。

研究日記

午前中はプログレスレポート。F氏が、PCR で塩基置換を導入したベクターを作っているのだが、「変異ベクターが取れない」と悩んでいた。プライマーで塩基置換を挿入する場合、理論的には野生型と変異型が 1: 1 の割合で現れるはずなのだが、なぜか野生型の方が圧倒的に多くなる。俺も変異ベクターをいくつか作ったが、経験的に野生型:変異型が 5: 1、ヒドいときには 10: 1 くらいの比率になる。プライマーやテンプレートの量をいじって、変異型の出現頻度を上げることはできるけれど、それでようやく五分五分といったところか。

F氏の場合、シーケンスしたサンプル数が少なかっただけなので、トライアルを繰り返せば、必ず変異型ベクターを引き当てることはできるはずである。面倒なのはわかるが、数をこなせば成功する実験というのは、考えようによっては楽なものだ。

それはともかく、どうして理論的には 1: 1 の比になるはずのものが、5: 1 や 10: 1 になるのかというのが問題である。野生型の方が多いというのは、感覚的には納得できるが、なぜそうなるのかと問われても答えに詰まる。やや秘教めいた書き方になるが、いくら PCR が in vitro の系であるにせよ、それが生体内での反応を模している以上、そこには常に生命の神秘が宿る素地がある。まあ、「生命の神秘」なんて言葉は、何も説明していないのに等しいのだけれど。

重要なのは、そういったワケのわからない現象が実際に起こるということであって、現実に仕事をするからには、それらに対処していかなければならない。こういった経験知の多くは、論文にも教科書にも書かれることはない。自分が直面して、初めて実感できるものである。あり得ない(はずの)「事実」にブチ当たったとき、自分はどうすべきか。これは全ての仕事における永遠のテーマではないかと思う。

酒宴日記

体調もほぼ全快。久し振りに美味しいものが食べたくなったので、ヒゲマン氏を誘って居酒屋へ。今夜は新しい店にチャレンジしたのだが、これが大当たり。落ち着いた雰囲気、旨くて安い料理、渥美清似で愛嬌のある主人、そして何よりも可愛い店員さん……、全てが完璧だった。一人でも飲みに行けそうな店だったので、新たな行きつけになりそうな予感。ごちそうさまでした。

2004/10/15/Fri.

ここ数日、信じられないくらいに足の裏が臭い T です。こんばんは。

どうして急に臭うようになったんだ。涼しくなってきたというのに。靴が悪いのか。でも汚れてないぞ。徒歩出勤だからか。先月まではバイク出勤だったからなあ。

研究日記

来週のセミナー発表の準備。後期から 3年生の聴講も始まるのだが、次回の我がラボのセミナーには、30人近い学生が出席希望を出している。多過ぎだろ。ゾロゾロ群れやがって。参加するセミナーくらい、自分の判断で決められないのか。プリントを印刷する身にもなれ。

とはいえ、そこまで大勢が来るとなると下手な発表はできない。配付するプリントをカラーにするなど、涙ぐましいサービス精神を発揮している。線虫のことを全く知らない彼らのために、簡単なイントロダクションも用意した。俺なりに心を砕いているわけだが……、こんなの、俺のガラじゃねえんだよなあ。偽善っぽいよなあ。

「わかりやすい」と「レベルが低い」は別物、というか、むしろ背反するものだ。あれこれと勉強し直している。良い機会なので、これまでレビューを読むだけで済ましていた知識に関しても、原著論文を当たって調べている。接着因子は複合体を形成しているため、文字通り芋づる式に論文が出てくる。ハッと気付くと(セミナーには)ほとんど関係のない論文を読んでいたりする。自分の勉強だから、それはそれで良いことだけど。まとめて読むと、関連する事柄がスイスイと頭に入ってくるしな。

今週はよく論文を読んだ。実験も一通り終わったし、修士論文(?)における共同研究の成果の部分は、N大学の I先生に書いてもらうことになったので、ポッカリと時間が空いていたのだ。それなりに有益な1週間だったと思う。

就職活動日記

気になる公募の詳しい資料が届く。多分、応募することになると思う。実はまだ少し迷っているのだが、受けるからには万全の態勢で臨みたい。この週末は、迷うのではなく、腹をくくるために色々と考えることになりそうだ。ま、相手にされるかどうかすらわからないうちから、グダグダ悩んでいてもしょうがないわけで。玉砕したところで、元の位置に戻るだけのことだし。と書くと、何だか捨て鉢のようで、ちょっとカラ元気っぽい気もするけれど、とにかく頑張っていこう。

2004/10/14/Thu.

T です。こんばんは。

寝るに一畳、座るに半畳

帰宅すると、郵便受けに「御近所の皆様へ工事着工の御挨拶」という書類が投げ込まれていた。どこで工事をするんだろうと添付の地図を見てみたら、何と我が豪邸の真向かいではないか。マジかよ。日中はほとんど部屋にいないが、それでも毎朝 8時からの工事が、来年の 3月まで続くというから気が滅入る。俺に安息の地はないのか。

どんな建物が建つのか知らないが、場合によっては窓からの眺望が損なわれる恐れがある。手狭になってきた我が部屋で、最も気に入っているポイントが消え去るようであれば、本気で引っ越しを考えても良い。正直、今の部屋はかなり狭い。昨今は敷金礼金不要の物件も多数あるので、家賃さえ同程度であれば、大した経済的負担もなく引っ越すことは可能だ。少し賃貸情報を漁ってみるかなあ。

どうでも良いが、「工事着工」という言い回しは日本語としておかしい。

【着工】工事に着手すること。(大辞林)

意味がダブっている。「馬から落馬」の類だな。こんな奴が家を建てるのかよ。頭が痛い。

2004/10/13/Wed.

風邪薬のせいでやたらと眠い T です。こんばんは。

研究日記

組織学的な実験において、結果を撮影した写真の美しさは、データの正確さに直結する。それゆえ、Photoshop などによる画像処理も、非常に大切なスキルなのである。

というわけで……、今夜は大学のサイトから落としてきた学長の写真に、色んなものを合成して楽しんだ。ヒゲマン氏の注文に従って、女性ものの下着をかぶりながら「PLAYBOY」を読みふけるエロ学長の写真を捏造。見つかったら退学ものだ。

しかし Photoshop は面白いよなあ。我が愛機にも導入したいが、学割でも 4万円以上する値段はどうにかならんものか。もうちょっと安くしてほしい。

2004/10/12/Tue.

T です。こんばんは。

朝一番で、実家から救援物資が届く。ありがたい。同梱されていた得体の知れない栄養ドリンクを、グイッと一気に飲み干してからラボへ。

研究日記

来週のセミナー発表の準備や、K先生が書いた科研費申請書類のチェックなどを少々。それにしても科研費の申請、「今日が〆切なんだけど」と俺に言われても困るんだが。夕刻からはセミナー。帰りはヒゲマン氏の車(壊れたドアも直っていた)で送ってもらう。ありがとうございました。

今日は久し振りに大勢と話ができて、ようやく人間気分。

よく考えよ、名前は大事だよ

ユビキチン
特定のタンパク質に結合する修飾タンパク質。ユビキチンによって修飾されたタンパク質は、分解されたり、細胞内で局在したり、シグナルとなって機能したりするなど、様々な振る舞いを示す。ユビキチンは種を越えて広く保存されており、広汎なタンパク質修飾系に関わる。語源はユビキタス (ubiquitous; 遍在している) で、このタンパク質の存在形態をよく表していると言えよう。
ジャポニウム、リケニウム
どちらも理化学研究所が発見した113番目の元素の名前の候補。最初はジャポニウムと命名しようとしたが、野依理事長の支持が得られなかったという。その昔、日本が新元素を発見したときに「ニッポニウム」という名前で発表したところ、後に誤認の産物であることが判明、幻の元素になった歴史があり、縁起が悪いというのがその理由。リケニウムは「理化学研究所 = 理研 = リケン」が由来。理事長の名前を取って「ノヨリウム」にしたら、というのはヒゲマン氏の提案。

新星や新遺伝子、新元素でもそうだが、決められた規則に従っていれば、発見者がその名前を自由に決めて良いことになっている。これは非常に名誉なことだと思うし、それだけに発見者の方々は、色々と知恵を絞って命名されているようだ。明らかにウケを狙ったものもあって、それがまたスベっていたりすると痛々しい。残念なことに、特に日本の研究者は、真面目でもウケ狙いでも、あまり命名センスがないように感じる。

名前なんて恣意的なもので、科学的な事実とは本質的に無関係なのだが、それでもやはり、命名の仕方によってその後の研究の進展が左右されることは、実際にあり得ると思う。研究をするのは人間だからだ。

そういう意味で、「ユビキチン」というタンパク質を命名した人はコピー・ライター的なセンスがあると思うし、反対に、「ジャポニウム」「リケニウム」という名前には何らセンスを感じない。……なんてことを、論文を読みながら考えた。ワケのわからない名前の遺伝子やタンパク質の論文って、やっぱ手に取らないもんなあ。

「修羅場、どっと混む」という名前のサイトを運営している人間に言われたくはないか。ごめんね。

2004/10/11/Mon.

悩める半病人、T です。こんばんは。

最前1週間の日記を自分で読み返してみたのだが、何だこれは、ただの泣き言ではないか。情けねえなあオイ。痛々しいっちゅうねん。今日から頑張って切り替えるか。

研究日記

論文を読む。来週のセミナーで論文発表が当たっているのだ。テーマは筋肉細胞の接着因子。ここ2年ほど、個人的に注目して追いかけている分野である。

筋肉の接着因子・構造タンパク質は、一連の巨大な複合体を形成している。関係している遺伝子は多く、我がラボでも、筋肉をやっていない人には取っつきにくいと思われているようだ。確かに一見複雑そうではあるが、基本的には難しくない。複合体は基底膜側から繊維までつながっているため、概念的には階層構造を形成していると考えてよい。活性系しかない転写制御システムのようなもので、上流が潰されると下流が機能しなくなる、ただそれだけの話である。

高層ビルを思い浮かべてもらいたい。1階に相当する遺伝子を破壊されると、それより上の構造を保てないため、必然的にビルは崩壊する。ある接着因子X の変異体において、2階までの構造が保持されており、4階以上の構造が観察されなければ、因子X の属する階層は 3階ということになる。接着因子の論文で繰り返される抗体染色や蛍光タンパク質による筋肉構造の観察は、階層を探る実験なのだ。

線虫では多くの場合、接着因子の変異体は致死となるが、中にはそうでない場合(行動不良など)もある。このケースでは、その因子X が属する階層Z は、東館と西館に別れて建っていると考えられる。因子X が発現する東館が破壊されても、別の因子によって支えられている西館が保持されていれば、とりあえず死なないだけの構造が残る。抽象的な言い方をすれば、「冗長性がある」ということになる。冗長性は生物にとって大事な概念(例えば遺伝子のアイソフォーム)だが、どうして冗長性のある階層とない階層があるのかはわからない。単なる進化的な偶然なのだろうか?

ビル最上階の研究

俺が研究しているタンパク質は、ビルの最上階にある。破壊すると、やはり個体は死ぬ。しかし「何で?」と問われると、いまだに上手く答えられない。1階の因子を研究しているならば話は簡単だ。ビル全体が崩壊するため、その瓦礫を見せ、「ほら、こんなことになるから死ぬのです」と言えば良い。それはほとんど形態的な問題だからだ。俺の場合、最上階で執務する社長がゴルゴ13 によって射殺され、結果としてビルが用を足さなくなるのに似ている。これは機能的な問題だ。

その証拠に、物理的に破壊せずとも、我らが社長の体質を変えるだけで、役割としてのビルは崩壊する。社長を愛人と寝かさない、社長が飲んでいるバイアグラの量を変える……そんなことで、人間としての社長を殺さなくとも、ビルの業績はガタガタになったり、ヒドいときには倒産する。これが「機能的」の意味である。3年間研究してきて、ようやくそんなことがわかってきた。

この比喩が面白いので、もう少し悪ノリして続ける。俺の研究は「いかに社長をインポにするか」というところから始まった。ついで「バイアグラを飲まなかったときの社長」の様子を調べ、最近の実験では「社長のチンポは本当に下半身にあるのか」を確定した。今度やろうと思うのは、「インポになった社長は本当に愛人と寝ていないのか」という問題の確認である。うむ、こう考えると実験も楽しくなりそうだなあ。

就職活動日記

調子が良かったので、朝からラボへ。恢復しかけのときこそ休むべきなのだろうが、ちょっと寝ていられないというか。先日見付けた募集について、K先生に相談。K先生は、俺がその仕事に応募するなら協力する、と言ってくれた。ありがたいことだが、これにはトリックがある。

その募集は、正確に言うと「就職」ではない。職種は某研究機関の非常勤なのだが、採用されるには「大学院の博士課程に在籍している」必要がある。つまり非常勤に対して支払われる対価は、「給料」というよりも、むしろ「奨学金」に近い性質を持つ。あくまで博士号取得を目指す人間のためのポストなのだ。K先生が推薦してくれるというのは、そこに俺の「博士課程進学」が付随してくるからでもある。いや、俺は何も悪いように受け取っているのではない。素直に感謝している。だがこれは、俺にとって微妙過ぎる問題だ。

非常勤の仕事は、上記の「社長」に関することである。話としては、かなり美味しい(それゆえ、とても受かるとは思えないけれど)。「情」としては、やってみたいと思う。それでも応募にすら躊躇するのは、俺の「理」が色んな疑問を投げ掛けてくるからである。お前はそんなに研究ができるのか、博士号なんて取れるのか、取ってどうするのか……。これらの質問に、今の俺は答えることができない。回答するとしたら、否定気味になる。要するに自信がない。

情理の狭間で迷っているわけであるが、どちらにせよ、今週から動いていこうと思う。胃の痛い話だが、こればかりは寝ていても治らない。

2004/10/10/Sun.

T です。こんばんは。

昨夜は隣の麻雀もなく、静かな夜の帳(とばり)の中、久々に熟睡。ちょっとスッキリ。我が豪邸の周辺は、元々かなり森閑としているのである。逆に昨日は、空虚さすら感じた。

咳をしても一人(尾崎放哉)

いや、咳をしなくても一人なんだけどな。この句の、そういうまやかしめいたところが嫌いだ。「元気でありさえすれば」みたいな。一人は一人だろうが。

とまあ、放哉のオッサンに噛み付くくらいは何でもないのだが、持ち合わせが底を突いたことにはヘコむ。俺に ATM まで行けというのか。遠いっちゅうねん。紅茶に入れていた砂糖もなくなるし。滅多に砂糖なんて使わないが、今は貴重なグルコース源なのである。しかし米しか食うものがない、というのは困るので、今から ATM に行ってくる……。

……とことんツイてない。何でATMからの帰りを狙ったかのように雨が降るんだ(もちろん傘など持っていない)。メチャクチャ寒いんだが。何をやっても裏目に出る。面白いことはないのか。鬱。

2004/10/09/Sat.

T です。こんばんは。

体調は一進一退。むしろ悪化か。ついに布団が塩を吹き始めたのには笑えた。どれだけ汗をかいているんだ、俺よ。天日に干したいが、あいにくの天気が続いている。とことんツイてない。布団が乾くまでは、ダラダラとネットを徘徊。おかげで興味ある求人情報も見つかったが、こんなことをしていては治らないわな。治らなければ、せっかくの情報も生かすことができないわけで。

毎日毎日、やらねばならない状況に追い込まれて、ようやく家事や買い出しに立ち上がる。そして何とか食事を摂り、さあ寝るかと思う頃に、隣で麻雀が始まるのである。気が狂いそうだ。どこかの収容所で、精神的な拷問を受けているような感じ。

昨夕からの麻雀は特に悪質で、恐らく 5人以上のメンバーが、入れ替わり立ち替わりでゲームに興じている。ジャラジャラと牌をかき混ぜる音が、もう 24時間以上も続いている。あり得ん。普通なら怒鳴り込んでいるところだが、「病人 1人」vs「徹夜でラリったバカ者若者 5人以上」では、金属バットでも持参しないことには、ちょっと勝てる気がしない。ちなみに、我が豪邸に金属バットはない。残念なことである。

とことん疲れた。慰みに日記を書くのがやっと。実家に帰りたいが、駅まで行くのが面倒だ。

2004/10/08/Fri.

昨夕から調子も戻りつつあり、久し振りに熟睡できそうだなあ、という夜に限って隣が徹夜麻雀をやり始め、発狂しそうになった T です。こんばんは。

結局は寝不足。今日は台風 22号の影響で雨も激しい。開き直って、しっかり休み切ってしまおうと思う。先月来、ずっと体調不良だったしなあ。それにしても台風、今年は上陸し過ぎだろ。

就職活動日記

風邪を引いていようが、こんな日記を書いていようが、就職活動が頭から離れることはない。というか、それゆえに身体がまいって不調になったり、あるいは精神が逃避を求めてサイト更新にうつつを抜かしたり、というフシがないでもない。ま、因果関係はどうでも良いのだが。いずれにせよ、全ては俺の責任である。

昨日、非常に気になる募集を見付けてしまった。応募するかどうか、激しく悩む。受かる前から何を、と思われるかもしれない。確かに「取らぬ狸の皮算用」なのだが、万が一「受かった」場合、これはもう取り返しのつかないことになる恐れがあり、それが俺には怖い。

連休の間、じっくりと考え、来週にはK先生に相談してみようと思う。と書いたら、わかる人にはわかってしまうだろうか。いや、何も勿体ぶっているわけではなくて、真剣に悩んでいるのだ。考えが煮詰まったら、また日記に書く予定。

そんなこんなで、色々と行き詰まり……。早く復調したいものだ。家事や買い出しが、果てしなく面倒臭い。隣人への仕返しの方法でも考えながら寝るか。

2004/10/07/Thu.

T です。こんばんは。

研究日記

出歩けるまでには恢復した(と俺には思えた)ので、ラボへ。しかし道半ばにして、既に大量の発汗。ラボに着き、K先生に会った途端、「家に帰って休め」と言われる。とりあえず K先生をなだめて(何で病人の方がなだめにゃならんのだ)、資料を作成。「なくても困らないから」と言われても、俺が困る。これは仕事における信頼の問題なのだ。なあんて、カッコつけたりして。だが、N大学との共同研究をおろそかにしたことはないぞ。

資料作成後、K先生と少しディスカッションして論点を詰め、午後には帰宅。明日から K先生が出張なので、月曜日まで連休だ。今日は少し無理をしたが、後はゆっくりできる。それよりも他の人が心配。ラボに人がいない。みんな風邪を召されているという。お大事に。俺もな。

……寝るか。

と思ったが、「連休」で気になることがあるので、もう少し書く。資料を作ったせいか、久し振りに頭だけはスッキリしている。

ハッピー・マンデー構想改正案

今さらの感もあるが、「祝祭日 = 休日」にする必要はない。慣れ親しんだ各種記念日には歴史的・文化的な意味があり、勝手にその日付を移動することには違和感がある。確かに連休というのは嬉しいもので、その経済的効果も否めない。だとしても、「ハッピー・マンデー」として「祝祭日(を記念した休日)を直近の月曜日に振り返る」というアイデアは、ただそれを実行するだけで良かろう。カレンダーにおける祝祭日の日付まで書き換えるのはやり過ぎだ。

例えば今月 10日は「旧・体育の日」であり、今年はそれが日曜日であるから、翌 11日月曜日が「体育の日」として休日となっている。しかしこれは、やっぱりおかしいと思うのだ。10月 10日は我が国の戦後復興を象徴する東京オリンピックが開幕した日であり、「体育の日」には、それを記念するという重要な意味がある。だからカレンダーにはこれまでと同様、10日の箇所に「体育の日」と表示し、黙って 11日を休日にするだけで良いんじゃないか。法則としてのハッピー・マンデーは、小学生にも理解できるほど易しい。わざわざ記念日まで移動しなくても、誰にでもわかるだろ。

祝祭日は歴史における時間的固有名詞のようなもので、安易にイジるのは良くない。さすがに「みどりの日」はハッピー・マンデーの対象から外れているが、まあそのようなものだ。日本にはないものだが、仮に「独立記念日」や「戦勝記念日」、あるいは「国恥記念日」などを移動しようとしたら、これはもう政治問題になるのは目に見えている。

目先の経済効果だけで祝祭日をどうこうするのは、歴史に対する冒涜である。それが文化国家のやることか。数年来、我が国で歴史教育に対する関心が高まっているが、その前にハッピー・マンデーを見直せと言いたい。というか、「ハッピー・マンデー」という名称をまずやめろ。日本語を使え。

2004/10/06/Wed.

T です。こんばんは。

洗濯機を回している間に更新。寂しがり屋なのだ。笑ってくれ。

闘病日記

だいぶ発熱は収まったが、いまだに咳が止まらない。鼻水、頭痛とともに「風邪の三大症状」とでも言うべき咳だが、これが三つの中で最も辛いものではないか。何よりも、咳をするだけで体力を使う。腹筋が痛い。ヒドいときには横隔膜がイカれ、さらには嘔吐まで誘発する。これって悪魔的じゃないか。鼻水や頭痛があっても、食べるのには支障がない。ところが咳は、咀嚼や嚥下を困難にするばかりか、それを乗り越え、苦労して食べたものを吐かそうとまでするのだ。無茶苦茶な話である。

明日にはラボにも行けそう。明後日には K先生が N大学の I先生を訪ね、俺の研究について色々と話し合う予定らしい。数時間でもラボに行って、資料を揃えようかと思う。さすがに、I先生に下手なモノを渡すわけにはいかない。自分の研究だしな。

……洗濯物を干したら寝るか。

2004/10/05/Tue.

T です。こんばんは。

闘病日記

引き続き闘病中。かなりキツい。昨日の日記で「どうせ朝だけだろう」とか書いているけど、完全な読み違い。夜になるほどヒドくなって、食道が破れるんじゃないかと思うくらいに咳が出る。

日記なんて書いてる場合じゃないだろ、という話になるのだが、2時間も寝ると汗ビッショリになって目が覚める。布団がある程度乾くまではとても横たわれたものじゃないので、その間はすることがないのだ。布団の上に、オンにしたままのドライヤーを放置しておくと乾燥が早くなる、というどうでも良い裏技は発明したが。問題なのは着替えの方で、こんな日に限って天気が悪い。もうすぐ服が底を突く。部屋干しするかな。

一人暮らしの人にはわかってもらえると思うが、独りで病気になるってのは、精神的にも結構しんどい。「病は気から」ではないが、俺にとって日記を書くことは、誰かに話しかけるのにも似て、疑似的なコミュニケーションの効能があるように思う。依存症なのかもしれないけれど。テレビを観たり本を読む気にはなれないし、まあ、独り言を呟くよりはマシかなあ、ということで。

……寝るか。

2004/10/04/Mon.

T です。こんばんは。

ジーンズのベルト通しがちぎれた。いくら 1,000円の安物とはいえ、半年も経たない内にそれはないだろう。着飾るのが嫌いで、服屋に行くのも面倒で、そんなものに金なんてかけたくないけれど、そうするためには最低限の丈夫さが必要だと痛感。いっそのこと、テツ and トモみたいに、いつでもジャージで通してしまおうか。

闘病日記

風邪を引いてしまった。起きてから咳が止まらない。どうせ朝だけだろうと、とりあえずラボにも行ったのだが、午後になっても好転しないので早退。一緒に飯を食いに行った B氏も調子が悪く、しばらく見かけていないと思ったら、Dr. A も流感にかかっているらしい。流行っているのか。皆様、お大事に。って、人の心配をしている場合じゃないな。

研究日記

追試も終わったので、先日出た実験結果をまとめ、共同研究をさせて頂いている N大学の I先生にお送りした。年配の方に送るメールは、文面に気を遣う。「ここ数日、急に涼しくなってまいりました。お身体には充分お気を付けてお過ごし下さいませ」なんて、ゴホゴホ咳き込みながら書く俺。ステキだよな。

……寝るか。

2004/10/03/Sun.

応用科学ってのはスゲエな、と思う T です。こんばんは。

俺が学んでいるのは理学であって、つまりは基礎科学である。たまに応用科学の人の話を聞いたり本を読んだりすると、その考え方の違いに色々と思うこともある。

映画日記

『i, ROBOT』を観てきた。メモ代わりに、ストーリーを要約しておく。ロボット工学の権威であるラニング博士が密室から飛び降り自殺した。ウィル・スミス演じるスプーナー刑事は、これは自殺ではないと疑うのだが、部屋の中にいたのは、博士以外はロボットが 1体。ロボットは「ロボット三原則」によって、その安全性が保証されている。

第1条: ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第2条: ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合は、この限りではない。

第3条: ロボットは、前掲第1条および第2条に反する惧(おそ)れのないかぎり、自己を守らなければならない。

(アイザック・アシモフ『われはロボット』/小尾芙佐・訳)

一見完璧に見える三原則だが、そのロジックに穴があるのではないか(だからロボットは人間に危害を加えたのではないか)、というのが主題である。ネタバレになるので結末は書かないが、『i, ROBOT』における三原則の解釈は納得のいくものであった。満足。

通常、こういった探偵小説的なストーリーは退屈になりがちだが、『i, ROBOT』では随所にアクション・シーンが盛り込まれており、観ていて飽きない。特に、CG で表現されたロボット達は一見の価値がある。恐らく、フェイシャル・モーションでも使っているのだろうが、変にリアルなロボットの表情は、違和感を通り越して不気味ですらあった。ロボットの動きが、やたらとスパイダーマンに似ているのも気になったけれど。

ロボット工学

『i, ROBOT』の舞台は 2035年である。果たしてあと30年で、映画のようなロボットができるだろうか。さすがに無理だと思う。ロボット工学と一口に言うが、あれは総合工学(どころか、総合科学と言っても良い)とでも言うべきもので、ちょっと考えただけでも卒倒しそうなほどのテクノロジーが必要とされる。

ロボットは機械体だ。であるから、機械工学、材料工学などの進歩が必須である。『i, ROBOT』に登場する NS5 というロボットは、人間の 4倍の力を持つという。そんな強力なモーターを、指の関節に組み込めるまでに小型化する必要がある。そんな負荷に耐えられ、メンテナンスが容易で、かつ大量生産も前提とした材質も検討しなければならない。動力の確保も大きな問題だ。

視覚も備えなければならない。ロボットの目として、高解像度の映像を撮影できるカメラがいる。ただ撮っただけでは仕方がない。画像解析により、その映像が持つ「意味」を、ロボットが理解できる形に翻訳しなければならない。しかも処理するのは動画で、1枚ものの画像ではない。タイムラインに沿ったシーケンシャルな解析が必要である。動画上に存在する要素は複数あり、時間的にズレたり、入れ子状になって存在する。それらを解析するための、並列に走るプログラムが要求される。

視覚ばかりでなく、聴覚にも同様の機能が求められる。音声解析、言語解析、過去の文脈との接続、etc...。これらをリアルタイムで行うために、高速の演算装置や記憶装置もいる。かなりキツい。現在の認知科学、ソフトウェア工学、情報工学は、まだまだこんな地点まで到達していない。

思い付くものはまだまだあるが……それにしても、果てしなく道は遠い。しかし、ロボット研究者(特に最先端を走っている日本の研究者達)には頑張ってほしいものである。

2004/10/01/Fri.

三角関数が苦手だったため、「∠θ」なんてのを見ると頭痛がする T です。こんばんは。

自分の専門に関する論文なのに、読んでも理解できないのは悲しい。俺は実験屋だから数理モデルなんて知らない、なんていうのは負け惜しみだ。理解できないより、理解できる方が良いに決まっている。

節目の季節

今日、多くの会社で内定式が行われている。来春からの働き口が決まっている人達は、それに出席しているわけだ。そんな日にラボで論文を読んでいる俺はどうかと思うが、意外と同級生も学校の中をうろついていたりする。そんなに仕事がないんだろうかと、他人事のようだが、気にはなる。わからんなあ。

我が大学は今日から後期。今までどこにいたんだオマエら、と言いたくなるくらいに人が多い。後期初日とはいえ、金曜日であるから休講も結構あるらしい。来週月曜には、もっと人が溢れかえるということか。さっさと履修登録をして、サボれる講義はどんどんサボってほしい。昼に生協へ行ったのだが、完全に機能マヒしていたぞ。

バイク日記

先週の土曜、ヒゲマン氏と港へ走りに行ったときの写真。

港の XJR

ちょうど夕日が海に沈むところだったので、良い絵になると思って撮影した。カメラは、ヒゲマン氏の携帯電話に付いているのをお借りした。俺はいまだにカメラなしの携帯電話を使用している。デジタルカメラを持っているので、さして欲しいとも思わないが、それならデジタルカメラを携行していないと意味がない。せめてバイクに乗るときは常備しよう。