- 「コメ問題」における「コメ」の問題

2004/09/17/Fri.「コメ問題」における「コメ」の問題

T です。こんばんは。

昨日は具合が悪かったので、学校も休んで一日中寝ていた。おかげで今日はラボにも行けたが、まァそんなことはどうでもよろしい。問題は米である。いや、コメか。

買い物に出るのが億劫だったので、昨日は米を炊いて握り飯を作った。それを頬張りながら考えたのだが、どうして「コメ問題」は「コメ」とカタカナで書くのか。何か「米」ではいけない理由でもあるのか。

「コメ」と「米」

一昔前、日本中で大騒ぎになった「コメ問題」だが、その本質は牛肉やオレンジとは全く違う。今さら俺が言うまでもなく、日本人にとって「コメ」とは、主食である穀物という以上の意味を持つ。西洋人にとっての小麦とはワケが違うのだ。

「コメ」という表記を見て俺が連想するのは、民俗学や社会学のタームとして使われる「ムラ」や「クニ」といった単語である。「村」「国」ではなく、そこに属する集団のアイデンティティーを示すための「ムラ」「クニ」という表記。俺には「コメ」というカタカナが、これらと同じ系統の言葉のように思える。

だから、単なる経済問題という枠組みを越えて日本人社会に影響を及ぼす「米問題」は、やはり「コメ問題」と書かれなければならなかったんじゃないだろうか。「コメ問題」と最初に書き記した人物が誰だか知らないが、それが意図したものだったのか、あるいは無意識の産物だったのかはともかく、彼の頭にはそのような問題意識があったと思われる。

「コメ」の歴史

日本の歴史、特に政治史は、「いかにして日本人全員に米の飯を行き渡らせるか」を追及してきた歴史であると言っても過言ではない。いや、冗談ではなく本気である。日本史上に起きた革命には、必ず「農地改革」が含まれている。古くは班田収受の法、墾田永年私財法。初めての武家政権である鎌倉幕府が最初に行ったのは、全国に守護と地頭を設置することであった。そして明治維新、更には戦後のGHQによる農地改革。日本で政体がひっくり返るとき、それは「米分配システム」が破綻したときである。

興味深いエピソードがある。昭和天皇は、その年の日本の経済状況を尋ねるとき、決まって「今年の稲の育ち具合はどうか」と尋ねられたという。一つ付け加えるならば、これは戦後の逸話である。「自動車」でも「半導体」でもなく、天皇が、日本の景気を左右するものとして「稲」の育ち具合を訊く。俺はこのエピソードが大好きなのだが、同時に、日本の歴史における「コメ」の業を思わずにはいられない。

「コメ」と政治

「政」を「まつりごと」と読むように、そもそも古代政治の長たる天皇には、シャーマンとしての役割があった。天皇家に直接の関わりはない(だろうと俺は思っている)が、卑弥呼もこの系譜の女王である。シャーマンたる彼等は、占いや予言によって「政」を司った。

では、何を占ったり予言していたのかというと、具体的には天候であったり戦争の行方だったりするんだろうが、それらはあくまで手段である。「何のために」占うのかと言えば、「稲が無事に育つか」「無事に育てるにはどうすれば良いか」を知る、という目的があったからではないか。

そういう歴史的経緯があるため、社会的な問題として「米」の話をするときには、やはり「コメ」と書かざるを得ない気持ちはよくわかる。食べ物の話をしているんじゃないよ、ということだ。

「コメ」と「カネ」

さて、ここからは余談である。米が日本人全員に滞りなく行き渡り、あまつさえ「米余り」なんていう、わずか100年前には考えられなかった問題が起きている現在の日本。「米分配システム」としては申し分ないのに、しかし再び革命(は大袈裟にしても、抜本的な改革)が必要とされている。何故か。

それは「コメ」が日本人にとって切実なものではなくなったからだ。足りるようになったから、ではない。足りなくても良い、というふうに意識が変わってしまったからだ。ことの善悪はともかく、今日では「米」の代わりを「金」が果たしている。改革が必要だという危機意識は、だから「金分配システム」の破綻に起因している。

戦後の日本がそれなりに安定だったのは、高度経済成長によって、それがたとえ幻想であったにしても、「金分配システム」が十全に機能していると国民が信じていたからではないだろうか。それが今や「勝ち組・負け組」である。これは「金分配システム」の破綻を意味している。

「金」がしばしば「カネ」と表記されることは注目に値すると思うんだが。