- 「進化論」論

2004/07/17/Sat.「進化論」論

真新しいアスファルトの上をバイクで走るのが好きな T です。こんばんは。

「14時のアスファルト」。何かのタイトルに使えそうだな。実はこれの有効利用を考えている。

単位面積辺りの太陽エネルギー受容量が最大になるのは正午である。が、熱エネルギーが空気の層を通過して地表に到達するには、1時間ほどかかる。昼下がりが暑いのはこのためだ。その熱がアスファルトに吸収されるのに、また 1時間かかる。つまり、アスファルトが一番熱くなるのは 14時なのだ。

アスファルトの熱保有能力は凄まじい。恐らく大量の空気を含んでいるからなのだろうが、夜になって道路を触ってみても、まだほんのりと暖かい。この熱を何かに生かすことはできないだろうか。ライダーとしては、タイヤのグリップ力が上がって嬉しいのだが、それだけでは勿体ない。

研究日記

昼夜逆転の生活リズムをどうにか誤魔化し、午前中のプログレスレポートに出席。まァ何だかんだいって、最終的には真面目なのである。なんてことをアピールしたいのではない。むしろその逆だ。

どうして堂々とサボらない、俺よ。いや、サボりを称揚しているわけではないのだが、ちょろっとプレゼンテーションしてお茶を濁そうとする、その俺自身のキンタマの小ささに嫌気が差す。そうなるように企図したわけではないが、参席した以上、結果は同じだ。だったら最初からサボるなというのだ。

進化論あれこれ

ダーウィンの自然淘汰説
生物集団の中では、生育する環境に適した個体が確率的に生き残りやすく、結果、その個体の形質を継承する子孫が繁栄するようになる(適者生存)という説。遺伝的変異についても、その有利・不利が重要なポイントとされる。
中立進化説
1968年、木村資生が提唱。生物集団の中では様々な遺伝的変異が生ずるが、世代を経て集団に固定されるのは、そのうち有利でも不利でもない(=中立な)変異であるという説。中立というのは象徴的な意味で、実質的に有利・不利という概念を重視しない。

この時期、夜中や明け方にウロウロしていると、セミの羽化によく出会う。羽化という現象は非常に興味深い。中で何が起こっているのか、さっぱりわからない。

セミなどはまだ、幼虫−成虫の間における不自由な時間が、比較的短い。理解できんのが、幼虫−サナギ−成虫という形態変化を取る種である。よくそれで今まで生き残れたな。サナギなんて動くどころか、外界を察知することすらできない。一応擬態はしているが、最初にサナギになった個体は、そんなことしていないだろ。

動物の睡眠についてもそうだが、細かい表現型では、ダーウィンの自然淘汰説だけでは説明が苦しくなる現象がいくつもある。だからこそ中立進化説なんてものが出てきたのだが。

あわわ、注釈まで書いてしまった。これ以上の深入りは避けよう。俺はそれぞれの学説に詳しくないし、むしろ進化論というものを意識的に遠巻きにしてきた。確かに進化の話は面白い。ロマンもある。あれこれ考えるのは実に楽しいのだが、どうも進化論というのは、論文のディスカッションや科研費申請書類のネタにされているフシがある。天文学の本を出版するとき、とりあえずビッグバンやブラックホールの話を書いとけ、というのと同じ匂いがする。そのようなレベルで議論に巻き込まれるのはゴメンだ。

進化の話になると顔を真っ赤にして、彼我の論議の理非を尽くそうとする人がたまにいる。進化論に罪はないが、そこが俺の嫌いなところである。そんなもの、いくら話したって答えは出ないでしょうが。だったら実験科学なんてやめちまえよ。

……いかん、八つ当たりしてしまった。日記には全然関係なかったな。